新型コロナの第4波に備える(2)集団免疫を阻止する5つの難関とは
ソファに寝転がってある雑誌をめくっていたら、新型コロナ・ウイルスに感染しても、それが集団免疫を促すからいいことなんだという発言が目に入って驚いた。飛び起きてその雑誌の刊行日を見直すと、それは今年の4月だったので再び驚いた。この期に及んでなお、集団免疫がコロナの感染によって達成できると思い込んでいる論者がいるのである。
いうまでもなく集団免疫とは、全人口の一定の割合がウイルスに対する免疫をもつと、それ以上の感染が起こらなくなる現象である。もう少し正確にいえば、ある一定の割合に達して閾値を超えるまでは、流行しているウイルスの感染が続くという現象のことだ。しかし、その閾値はウイルスの種類によって異なるし、同じウイルスであっても様々な条件によって異なる。
周知のようにスウェーデンは、ゆるい規制で若い人たちがコロナに感染するのに任せ、そのことで集団免疫を達成しようとしていると言われた。しかし、スウェーデン当局は、それは誤解であって、ゆるい規制にしているのは医療システムが崩壊しないためであって、集団免疫を目指しているわけではないと繰り返し説明した。
しかし、国家疫学者のアンジェス・テグネルは、2020年の春「この秋には、他の北欧の国々に比べて、スウェーデンは免疫においてずっと有利な状況になっているはずだ」といってはばからなかった。そしてまた、同年7月には、感染数も死亡者も少なくなったので、同国の公衆衛生庁が「スウェーデンは集団免疫に至った」と発表している。
もちろん、これは時期尚早の判断ミスであって、秋から急速に感染者数が再び上昇し、第2波における死者数は第1派の死者数を大きく超えることになった。日本ではスウェーデン情報に疎い人が多かったせいか、このような状態になってからも、スウェーデンは集団免疫を目指し達成したという「神話」が横行した。同年11月には日本クラブでのオンライン会見では、テグネル自身が「ワクチンなしの集団免疫達成は不可能」と発言したが、あまり目立たないニュースだった。冒頭に触れた論者もこの神話を振りまいた一人だが、それにしても今も感染による集団免疫を信じているというのは、よっぽどのことだろう。
この神話は「スウェーデンは天国のような福祉国家」という話を安易に信じ込みやすい日本人だけでなく、スウェーデンの国民にとっても、いまだに害を及ぼしている。たしかに、この国はワクチンの接種を人口の30%まで進め(4月28日現在)、感染者数は増加しているものの、死者数にはブレーキがかかりつつある。しかし、1万4000人を超えるコロナ死者(人口比で日本に換算すると約17万2200人に相当)を生じさせた責任をめぐって、議会でもさまざまな形で与野党間の応酬が繰り返されている。
先日も野党の「政府は集団免疫を戦略とした」との追及に対して、同国のロベーン首相は「けっして、けっしてそんなことはない」とムキになって答弁せざるを得なかった。ここでの集団免疫戦略とは、いうまでもなく、若者がコロナに感染するに任せて集団免疫を達成するというコロナ対策のことである。これは若者に死を含めたリスクを負わせるわけであり、WHOも昨年10月に「非倫理的」ゆえに回避すべき戦略としてコメントした。スウェーデンはWHOなど気にしていないだろうが、この戦略の非倫理性は否定できないので、ロベーン首相は、たとえそうした側面があるとしても、政治的に認めるわけにはいかないのである。
ところで、ではワクチンを使って集団免疫を達成することはどうなのだろうか。もともと、集団免疫という考え方は、国民が感染するに任せるのではなく、ワクチンをどれくらい接種すれば感染がとまるかという問題意識から生まれたものだった。たとえば、麻疹(はしか)の場合は人口の95%、ポリオ(小児麻痺)では80%に接種すれば感染拡大はやむと推定されてきた。
同じ考え方による推定では、新型コロナの場合は約60%と言われてきたが、世界中でコロナ・ワクチンの接種が進んでいるなかで、この数値だけでなく他のさまざまな条件についても疑問が呈されるようになっている。科学雑誌『ネイチャー』3月18日号はクリスティ・アシュヴァンデンのリポート「コロナの集団免疫はたぶん不可能だといわれる5つの理由」を掲載している。イスラエルや英国のケースを見れば、ワクチン接種の効果は歴然としているように見えるが、今ここで簡単にチェックしておいても悪くない。
同レポートが第1にあげる難関は、「ワクチンがウイルスの伝染を阻止するかどうかには不確実性がある」ということだ。ジョージタウン大学の数理生物学者シュヴェータ・バンサルによれば、「伝染をブロックするワクチンをもっていれば、集団免疫ができる可能性がある。そうでないときには、集団免疫を達成するには全員にワクチンを接種する必要がある」。しかし、いくつかの国で好成績をあげているではないかと言いたくなるが、実は、厳密にいって数理的には伝染の連鎖を確実に断てると明言できないのだという。ちょっと抽象的だが、以降の「難関」、とくに第4の難関のを読んでいただければ、あるていど理解いただけるだろう。
第2の難関は、「ワクチンの接種がばらばらであること」で、時間的にも空間的にも別々に接種していった場合に、うまくいかないこともありうるという。パーク大学の疫学者マット・フェラーリによれば、「集団免疫について言われていることは、技術的な可能性にすぎない。しかし、現実の世界で、しかもそれがグローバルな規模で可能かといえば分からない」。ワクチン接種が世界でいっせいに行われるならともかく、いまのようにばらばらでは、想定されている条件とは違いすぎる。こちらを押さえればあちらが出てくるといった、「もぐら叩きゲームになる危険がある」という。
第3の難関だが、「新しい変異株が集団免疫の方程式を狂わせてしまう」ということだ。これはいま盛んに報道されているので分かりやすい。ロスアラモス国立研究所の数理疫学者サラ・デル・ヴァレによれば、「ウイルスの伝染を阻止する期間が長くなればなるほど、変異株が生まれて拡散する機会が多くなる」という。すでに「新型コロナの第3波に備える(12)マナウスの集団免疫は幻想だった」でも紹介したことだが、ブラジルの都市マナウスでは、集団免疫が形成されたと思ったところ、急激な感染が再開した。判断の根拠となったデータにも問題があっただけでなく、変異株の拡散も大きかった。
第4の難関としては、「できた免疫は永遠には維持されない」ことである。前出のバンサルによれば「われわれは免疫の消滅について最終的なデータをもっていない。せいぜい、それはゼロではないが100でもないといった話だ」と述べている。「肝心なのはワクチンでできる免疫がどれくらい続くか、また追加で打つワクチンがずっと後まで必要かどうかを知ることだ」。そうしたデータがない限り、結局は中間報告でしかないのだ(註1)。
第5の難関だが、これは「ワクチンは人間の行動を変えてしまう」ということである。たとえば、ワクチンを打った人が以前より人込みのなかに入っていくようになり、かえって高いリスクを負うようになるなど、前提となっていた条件が変わってしまう。イスラエルの技術研究所のバイオ技術情報専門家ドヴィル・アランは「ワクチンを打つ前は1人としか会わなかった人が、打った後は10人に会うようになる」と端的に述べている。こうした現象は社会学や経済学でも、やっかいな問題としておなじみである。
集団免疫は社会、国家、そして世界のなかで刻々変化するシステムであり、これまで行われてきたワクチンの議論の前提を絶え間なく変えていく。たとえば、ひところ論争になった感染者が何人に感染させるかという数値も、けっして一定ではないのだ。にもかかわらず、人は分かりやすさに飛びついてしまう。こうした難関を乗り越えながら、まずは「10人会っていた人が、10人に会う生活」を回復していかねばならない。ワクチンは複数出来て、すでに10億回以上接種されている。しかし、すべての難関を通過するための時間は意外に長いかもしれない。
註1)シュヴェータ・バンサルの研究は、たとえば、彼女の論文「インフルエンザの再ワクチン接種による集団免疫の拡大」などを見ると、人と人との接触の構造をさまざまに設定で考察しながら、免疫を持っている人がどのように増えていくかを、数学と「スケール・フリー」の理論などを用いて探究するものらしい。それは、左に掲げたこの論文の図版などから推測できるだろう。なお、『ネイチャー』のリポートは話題になって、CNBCがこのリポートをもとに「神話か現実か? 医学専門家たちが『集団免疫』は可能かどうかを考察している」という記事を掲載している。バンサルからの引用は、この投稿の第1の難関と第4難関の解説で行った引用と同じ部分だった。
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