TPPの現在(22)英国が参加してもほとんど何も起こらない
英国がTPPに正式に加わったというニュースが流れた。ほとんどの日本人はなんの感慨も持たないと思うが、かつてはTPPについて激しい議論があり、反対する人間に対してはまるで裏切り者でもあるかのような批判がなされたものだった。そのいっぽうで若者を中心に多くの人が本当に日本が得することなんてあるのだろうかと憂慮した。英国にとっても日本にとっても、今回の参加はほとんど意味がないが、これをきっかけにもう一度TPPについて考えてみる意義くらいはあるだろう。
英経済紙フィナンシャル・タイムズ12月16日付に「英国はヨーロッパで初めて太平洋貿易ブロックに参加」との短い記事が出ている。きわめて小さな扱いであり、タイトルも何か意味があるのかという含みがすぐに分かるようなものだ。英国人がかろうじて気になるのは、このTPP(正式にはCPTPP)なるものが、ヨーロッパ経済との関係を悪化させたブレグジットのかわりに、どれくらい穴を埋めるのかの比較衡量くらいなものだろう。
「OBR(英国予算責任事務局)による統計によると、ブレグジットによる損失がGDPの4%という数値が出ている。しかし、それにくらべて英国のTPP参加は、2021年に英国政府が行った推計によれば、長期的に見ても同国のGDPをジャスト(たったの)0.08%ほど加速するものにすぎない」
では、日本の場合、TPPに参加することで、どれほどのGDPの加速が見込まれていたかといえば、10年で0.54%であり、1年に換算すれば0.054%だから、これだって十分に「ジャスト」だったわけである。恐るべきこの数値についてTPP推進派たちは口にしたがらず、この数値をシミュレーションで算出していた経済学者は、この数値を大げさに強調しないことを条件に、政府系大学の教授に栄転させてもらったという噂があるほどだ。
ざっといえば、もともとのTPPはアメリカの権益確保・増進が中心であり、たとえば新たに生まれる農産物貿易の6割を日本が引き受けることになっており、自動車部品なども他の項目との暗黙の交渉材料であって、本当に関税が廃止されるかどうかは不確定だった。つまりは、表向きの関税廃止・引き下げは単なるタテマエであり、廃止になったとしても先進国の場合、ほとんど経済効果は見込めなかった。実際には例外処置や付帯事項のほうが影響をもっていて、肝心なことは協定の本文には出てこないのだ。精密なシミュレーションであればあるほど、自由貿易の推進などにはならないし、すでに行われている貿易協定に付け加えるものなど、きわめて少なかったのである。
では、そこまでやるほどの政治的効果があったかといえば、トランプが2016年に大統領になるとすぐアメリカはTPPから離脱し、そして日本に対しては、やらずぶったくりの協定である「日米貿易協定」を押し付けてきた。そのせいで日本はさらに多くの農作物を輸入せざるを得なくなるいっぽうで、いまだに自動車部品の対米輸出には関税がかけられているのである。しかし、これをトランプの間違った貿易認識のせいだと思うべきではない。なぜなら、バイデン大統領などは政権につくと、TPP復帰に否定的になった。すでに取るべきものはトランプが取ってくれていたからである。
同紙はどういうわけか、TPP参加の意義をなんとか見つけようとして、さまざまな関係者にコメントをもらっている。その中でも、貿易専門家のディヴィッド・ヘイグのコメントは笑えるし納得できる。ヘイグはCPTPPがいわゆるサプライチェーンをシンプルにして、貿易を容易にしてくれると述べているが、別にCPTPPがなくとも、サプライチェーンの効率化はいますごいスピードで進んでいる。
さらにヘイグは「CPTPPが英国に損害を与えることはなく、ほんの少しだけど機会を増やしてくれる」と発言している。まあ、長期的にみて0.08%だけの増加でも嘘ではないだろう。そして「それはナイス・トゥ・ハブ」と言い添えている。もうここまで来れば語るに落ちるというべきで「あってもなくてもいい」と明言しているわけだ。さらに「すでに英国はCPTPP加盟国のほとんどの国と同様の協定を結んでおり、それがないのはマレイシアとブルネイくらい」とも語っている。ならば、この2国と協定を結べばすべてと結んだことになり、それはたぶん、英国にとってそのほうが有利なものになるはずである。
かつてTPPについての賛否が問われたとき、このヘイグさんのような善人が雲霞の如く発生して、何が何でもTPPに参加しないと日本経済は終わりになるようなことを言っていた。しかし、貿易を長年続けてきた経済重視国にとって、新たに付け加えねばならない貿易協定などはほとんどなくなるのである。この単純なことをTPP推進者は分かっていたのかどうかは知らないが、口にすることはなかった。それで、日本はTPPで何かいいことがあったのでしょうかね?
たぶん、アメリカのオバマ政権が強圧的に要求してきたので従うのが当然だと思い、さらに条件の悪い日米貿易協定をトランプがすごい形相で言い出したときには、外務省の担当者が「自動車部品についてはトランプ政権にとって重要な項目なので今回は妥協することにした」という意味の発言を日本記者団の前でやり、日本の報道関係者は誰もまったく何も質問をしなかったのである。
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