ポスト・コロナ経済の真実(17)米国経済が本格的に回復しないのは心理的問題なのか
これからの世界経済を占う上で、いちばん大きい比重を占めるのが、やはりアメリカ経済の動向だろう。ところが、アメリカ経済の予測指数が、実はさっぱり未来を予測しなくなっていることが分かったらしい。ミシガン大学消費者信頼感指数というのが、しばしば用いられてきたのだが、コロナ禍が始まってからというもの、予想と現実の間のギャップがあまりにも大きくなった。では、これから何を参考にしてアメリカ経済を見ればいいのか。
英経済誌ジ・エコノミスト9月7日号は「パンデミックが経済予測の基準をぶち壊してしまった」を掲載している。これまでアメリカ経済がどちらの方向に向かうのかを予測するさいに、もっともポピュラーな消費動向の予測指標として使われてきた、ミシガン大学消費者信頼感指数が、もうまったくといってよいほど使い物にならなくなったというのだ。
このミシガン指数は名前からしても分かるように、経済研究が盛んなミシガン大学が開発したもので、1946年から今まで、もっとも信頼性の高いアメリカの消費者動向を知る手がかりとされてきた。アメリカをまんべんなく代表すると思われる600人の人に、毎月、自身の財務状況や消費、経済一般など5つの分野について現状と将来について質問して、そこからアメリカの消費について予測してきた。
ところが、最近になって予想と現実が異なるので、X(旧ツイッター)を使ったグループが研究してみたところ、2020年から指数が示す予想と現実が乖離するようになったことが明らかになり、その研究は今年8月に発表されて注目された。そこで経済統計の分析に熱心なジ・エコノミストのチームが、さらに洗練された技法で検証してみると、これはかなりの問題を含んでいることが分かったという。
ジ・エコノミストの方法というのは、膨大な経済データの組み合わせから13の変数を設定して1980年から2016年までの予想と現実を突き合わせていくというものだった。たとえば、インフレ率、失業率、石油価格などの多くのデータを、その関係を考慮して数式化するわけだが、その結果、この期間においては86%の一致が見られたという(グラフはすべてジ・エコノミストより)。
ところが、同じ分野のデータと同じ数式を2017年から2019年までに適用すると、誤差は極めて少なかったのに、2020年以降に適用すると、おどろくべき誤差となってしまうことが分かったという。その結果をグラフにしたものが上図で、「もし2020年以前のデータ間の関係が維持されていたとするなら、最新の予測値は98ということになって、それは現実より30ポイントも高いことになってしまうというのである。
つまり、ジ・エコノミストが作り上げた「1980-2016年モデル」で2020年以降を予測すると、コロナ禍以前の98%の状態にまで回復してよいはずなのに、現実は68%くらいまでしか回復していないのである。つまり、これはミシガン大学消費者信頼感指数が単に使えなくなっただけでなく、このミシガン指数が前提としていたアメリカ経済の諸要素の結びつきが断ち切られてしまったか、コロナ禍のさいにあまりに過剰な悲観的予測がなされたために、人びとの信頼感という心理の構造が変わってしまったことになる。
「エコノミストたちは、この経済的ペシミズムは自己実現的予言ではないのかと憂いている。パンデミック以前にも、落胆した人びとはもうダメだという感情をもったかもしれないが、2020年以降はミシガン指数を構成している経済データの諸関係が変わってしまい、その結果として、ミシガン指数は予測能力を失ったのである」。
ここでいう自己実現的与予言というのは、社会学者ロバート・マートンが唱えた社会心理学的なメカニズムで、「だめかもしれない」という予想が成功させる意欲を損ない、結果として本当に「だめ」にしてしまう過程をたどることを意味する。そのいっぽう、経済そのものは同じでもデータの組み合わせが、うまくいかなくなったということも考えられるわけである。
ジ・エコノミストのレポートを読むと、「そうしたネガティブな傾向はこの国が『扇動的景気後退』に害されてしまったと言いたくなる。つまり、市場は明らかに健全なのに、適度な刺激が欠落しているのだ」という文章が出てくる。どうやら、このレポートの筆者はアメリカ経済の諸要素の組み立てが根本から変わったというよりも、心理的なファクターによって、本来の経済的パワーを発揮しなくなってしまったと見ているようである。
「われわれの結論は、今日の扇動的景気後退が本当の景気後退を引っ張り出してしまうことを緩和することになるだろう。消費者の心理と経済の現実との間のギャップそのものが、2020年から2022年までの間にしっかりと定着してしまったのだ。悪しき扇動的ファクターが新しい常態となってしまったわけである」
こうした経済と心理的ファクターの関係は、たしかに重要ではあるが、しばしば、何の解決も生み出さない。日本でも「失われた10年」が論じられたころに、精神病理学上の概念を用いて「いまの日本は鬱病だ」と「診断」した論者(たしか医師の資格をもっていた)がいたが、では、どうすればよいのかという具体的対応は、その議論からは出てこなかった。そして、「失われた20年」を迎えたのである。
それと似ていたのがインフレターゲット論で、日本人は高齢少子化で未来に希望が持てなくなっているから、直接、心理的に刺激をしてデフレの線路からインフレの線路に乗り換えさせようという話だった。しかし、日本は提案者のクルーグマンとは少し違った形で実行したが、十年やって日本経済はデフレ経済を脱して成長路線に戻ったかといえば、そんなことはなかった。インフレに転じたのは世界的なサプライチェーンの寸断が原因だった。
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