ウクライナ戦争と経済(14)企業物価上昇10%で日本も高インフレか【増補】
日銀が5月16日発表した4月の国内企業物価指数は、前年同月比で10.0%上昇して、世界的なインフレの波が日本にも及んでいることを示した。もちろん、これがそのまま消費者物価に反映するわけではないが、石油・石炭製品などの資源関連を中心に幅広い品目で価格が上昇しており、また、日銀が金融緩和を続ける影響もあって、いまにもインフレが襲ってくるような言い方をする論者もいる。(増補分の【追記】は文末にあります)
まず、日本の消費者物価について簡単に見てみよう。3月の消費者物価指数は前年前月比で総合が1.2%、生鮮食品を除く総合が0.8%、生鮮食品及びエネルギーを除く総合がマイナス0.7%の上昇と、エネルギーを除くと、インフレが近づいているという感じすらしない。また、企業物価文指数もたしかに10.0%に達したことは分かるが、それ以前にも9%台になっていて、それが消費者物価に跳ね返ってきたという実感もこれまでなかった。
では、世界の国々、とくにOECD諸国と比べてみよう。ジ・エコノミスト誌5月14日号が掲載している「アメリカ以外にも、インフレが定着しつつある」が5つの指標を使って、「インフレの定着度」といったものを表にしている(下図参照)。いちおう「定着」と訳したが、エントレンチという言葉を使っているので「インフレへの嵌りこみ度」と訳したほうがいいのかもしれない(左図は日本経済新聞より、日本の企業物価上昇率)。
アメリカが3月に消費者物価指数8.5%まで上昇し、4月は多少下がったとはいえ8.3%を記録するなかで、他の先進諸国も急速にインフレの定着度を高めつつある。同誌によれば、この8.3%を発表する前日に、バイデン大統領がインフレとの戦いを「国内問題で優先度のトップ」と演説し、米国の新聞はインフレ問題を1年前の4倍の頻度で取り上げるようになっているという。
そこでジ・エコノミストは、「コア・インフレ率」「インフレ商品の分布率」「労働賃金」「インフレ期待値」「グーグルの『インフレ』頻度」の5つの指標を点数化して「インフレの定着度」を計算したというわけである。それぞれの指標を簡単に説明しておくと、まず、「コア・インフレ率」というのは食料品とエネルギーを除いた消費者物価指数のことで、日本では前出の「生鮮食品及びエネルギーを除く総合」に相当する。これはインフレ問題の中心となる指標で、図版1の上図がそれである。
また、「インフレ商品の分布率」というのは、2%を超える価格上昇を示した商品が何%あるかを掲載した数値。特定の商品が極端に高いよりも、全般的に価格上昇を示しているほうがインフレの定着率は高いと見なすというわけだ。さらに、「労働賃金」だが、これはインフレが物価→賃金→物価→賃金と、スパイラル的に上昇していくさいに、その主たる原因となるため注目するという。
加えて、「インフレ期待率」は、消費者の予想するインフレ率は、現実となるインフレ率に大きな影響を与える。最後に「グーグルでの『インフレ』頻度」で、これは話題頻度としてインフレがどれほど伸びているかで、インフレの定着度を測ろうというわけである。もちろん、この5つを点数化するのは、ジ・エコノミストの手法によるわけだが、詳しい説明はここでは省くことにする(これは公開されている)。
さて、こうして作成されたのが図版1⃣の下図ということになる。それぞれの指標で満点をとったとすれば100になるようにできているわけで、カナダやアメリカが80を超えて、群を抜いた「インフレの定着度」を示しているというわけである。逆に、日本などは12しか定着度がなく、これだけ見れば日本が高インフレになる可能性は低く、インフレになるとしても、まだ先だということになる。
コア・インフレ率がきわめて低く、ジ・エコノミストのデータでは今年の第1四半期が前年度比でマイナス1.7%というのが大きく響いている。また、「インフレ期待率」も他のOECD諸国に比べてきわめて低く、0.9%くらいでしかない(図版2⃣の上図)。他の指標が低いイタリアですらウクライナ戦争の影響を反映して2.7%を予想しているのだから、いかに日本が長期のデフレ定着が強いか分かるだろう。さらに、「グーグルの『インフレ』頻度」も1.3%くらいと低いのは、これまで日本では日常的にインフレが話題にならなかったからである。
それはこれまで日本経済が、商品価格に対して強いストレスをかけてきたからでもある、前出の企業物価指数を改めてみてみると(下表を参照)、たとえ輸入品の価格が上昇して、企業物価指数がかなり影響を受けても、それがそのまま製品には反映させないようにする「企業努力」が続けられてきた。繰り返し外国産牛肉や乳製品が原料の上昇圧力を受けても、急速に産地の異なる牛肉の輸入を増やしたり、ヨーグルトの容器は変えずに内容量を変えるといった、事実上の値上げを行なって局面をしのいできた。
しかし、この数カ月の間には、そうしたストレスが薄められ取り去られておかしくない事態が次々と生じてきた。まず、アメリカのインフレが急上昇したことである。アメリカの価格が上昇すれば、日本でも上がるかもしれないという予想が生まれる。また、ロシアのウクライナ侵攻によって小麦やその他の農産物が品薄になるという事態が生じた。さらに、円安が急速に進むことで、輸出は有利になっても輸入品が高くなるという認識が広まった。こうしたファクターは、ジ・エコノミストの「インフレの定着度」を押し上げることになると思われる。
もちろん、「インフレの定着度」は主観的な要素や心理的な要素を、かなり重く見ているといえるかもしれない。とはいえ、これまでもしばしば、日本国内での「デフレの定着度」について語られるさいの、「日本の消費者はデフレに親しんでしまったので値上げができない」という説明は、まさに主観的で心理的なものだった。
しかし、いま世界が直面しているのは、何よりもアメリカという経済大国の実質をともなった変化であり、そして、世界の食糧市場やエネルギー市場の構造変化という、物理的な圧力をともなった具体的な動きである。日本における主観的かつ心理的なファクターも、こうした具体的な変化にともなって、大きく動く局面に来ていると思われる。そして、それが動けば日本の「インフレの定着度」もスパイラル的に急速に高まることになる。
【追記】5月20日に総務省が発表した4月の消費者物価指数は、生鮮食品を除いた総合指数が、前年同月比で2.1%だったので、なかには「これで日本も景気がよくなる」と思った人がいたかもしれない。しかし、これはいうまでもないが、日本の指標においてコアCPIと言われるもので、国際基準である生鮮食品とエネルギーを除いた総合(コアコアCPI)では、まだ0.8%であることを忘れるわけにはいかない。
とはいうものの、いちおうはプラスなのだからアベノミクスで唱えられたインフレターゲット理論でみれば、これから日本はデフレを脱して消費者には購買意欲が高まることになるが、おそらく消費者の多くの人はそんな風には考えないだろう(左図参照:消費庁)。遺物のようなインフレターゲット論者ですらも、「いまは条件が悪い」とか「いまのインフレは悪いインフレだから」などと説明するのではないだろうか。
アベノミクスで出発時、これからインフレにしますと日銀の黒田総裁や安倍元総理が宣言したとき、消費庁の消費者動向調査では圧倒的な人が「これからインフレになる」と思った(右図参照:消費庁)。インフレターゲット理論が正しければ、もう意識のほうが十分にインフレなのだから、日本人はもっと消費をするはずだった。しかし、現実にはどうかといえば、まったくそうではなかったのである。
だいたい、こんな危うい「理論」が正しいのなら、いまのアメリカにおいても8.3%とか8.5%のインフレになったというのだから、消費はますます伸びていいはずだが、周知のようにインフレのせいで消費が停滞を始めている。まあ、世の中にはインフレが40%までは資本主義は大丈夫だという、実に太っ腹な経済学者もいるから、8%台くらいでオタオタするアメリカは、とても完全雇用など達成できないだろう。この20数年に流行したいくつもの新しい経済理論とやらを、しっかりと検証してみるにはいい機会かもしれない。ともかく、これからインフレは「達成目標」などではなく、「克服対象」なのだということが、ますます明らかになってくるはずである。
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