MMTの懐疑的入門(12)国際経済に対する楽観

 国際経済の分野がMMTにとって「アキレス腱」であることは、すでに何回か指摘してきた。どこかの国の元中央銀行総裁などは、「MMTを採用したかったら、まず、鎖国にすることだね」などと皮肉を言っているらしい。ここでは、皮肉をいう前に、MMTが勧める国際経済システムのどこに弱点があるのかを正面から考えてみよう。

 繰り返しになるが、MMTは自国の通貨が「不換」であって、また、その国が主権国家であるならば、通貨は「主権的(ソブリン)通貨」であり、財政赤字を気にすることなく、完全雇用を実現するまで政府貨幣を発行し、あるいは国債を発行し続けても、不本意なデフォルトをすることはないと述べている。

 この不換通貨に加えてMMTの理論家は、他国との通貨の交換については変動相場制を採用すれば、その国の金融政策は選択の余地が大きくなると主張して、開発途上国も変動相場制を採用することを勧めている。

 これは多くの経済学者が指摘してきたことなのだが、国際通貨制度において国家は次の3つを同時に実現することはできないという「鉄則」がある。①自由な資本移動、②固定相場制(為替相場の安定)、③独立した金融政策。3つ全部は無理だが2つなら実現するわけで、たとえば他国との為替レートを固定する固定相場制を捨てて、レートを国際金融市場に委ねる変動相場制を採用すれば、資本の自由な移動と金融政策の独立性は確保できるわけである。

 この鉄則は経験的にもほぼ正しいので、先進諸国は変動相場制を採用するようになった。では、世界中の国が変動相場制を採用しているかといえば、そうでもない。自国の通貨があまりにも不安定であるために、主要輸出先の通貨との間に固定相場を設定する(ペグすると表現される)国もあれば、また、政治・経済的に従属的であるがゆえに、従属先の国家の通貨に固定することも見られる。さらに、主要輸出国を中心に数か国の通貨を選んで「通貨バスケット」と言われる方法でレートを自国に有利に調整する国も存在している。

 こうした、MMTに言わせれば「例外的」な国がなぜ生じるのかについて、MMTの代表的理論家L・R・レイは論じている。彼にいわせれば、変動相場制でなくとも政策の自由度をもつ国や、逆にソブリン通貨で変動相場制であってもデフォルトしたと指摘される国があるのは確かだが、それらの例は必ずしも、ソブリン通貨で変動相場制を進めるMMTへの批判になっていないと反論している(『現代貨幣理論 第2版』)。

 まず、中国だが、この国は巨大な経済を運営しながら変動相場制を採用していない。それは輸出を中心とする経済を前提としているからで、何かあったときのために巨額のドル資産をもたざるをえない。それは他の国が真似できるものではないし、いずれは中国も変動相場制に向かうだろうとレイは予測している。

 また、1998年にロシアはソブリン通貨でありながらデフォルトしたが、実は、この国の通貨であるルーブルを、ドルにペグしようとして危機を招いたのだという。しかも、実はデフォルト宣言せずに切り抜けられたのに、政治的判断でデフォルト宣言をした。したがって、ソブリン通貨で変動相場制ならデフォルトしないというMMTの主張の反証にはなっていないというのである(ちょっと苦しいと思うけれど)。

 さらに、ハンガリーはソブリン通貨で変動相場制だったにもかかわらず、世界金融危機のさいにデフォルトに追い込まれた。これはハンガリーがEUに参加するための条件を整えようと無理をしたためだという。本当の意味のソブリン政府ならば、常にデフォルトを阻止することが『できる』はずだというわけである。

 しかし、こういうふうに事後的に条件を緩和していけば、反証などできないことになる。結局、本格的なソブリン国家でソブリン通貨をもち、完全な変動相場制でやっている国といえば、アメリカ、日本、英国くらいに絞られてしまう。EU諸国などは財政と金融を分離しているから問題外であり、開発途上国のほとんどはドルとかなり強い連動性をもたせているわけだから、MMTの主張というのはかなりの「限定版」になってしまう。次のようなレイの断言も、相当に値引きしないと、とてもじゃないが受け入れるわけにはいかない。

「ソブリン通貨で変動相場制を採用していれば、開発途上国の政府でも、自国の通貨を使用することによって、自国の資源すべてを有効に使うことが『できる』のである」

 そもそも、日本にしても変動相場制なのだから、いまのような巨大なドル資産を抱え込む必要がないはずである。だからこそ評論家のなかには、日本の財務省が抱えているアメリカ財務省証券を手放せば、財政赤字は激減すると論じる者がいるわけである。では、なぜ巨額の米財務省証券を保持しているのかといえば、それは財務省が馬鹿だからという答えになるのだろうが、それだけではあるまい。ここには、日本の財務省は政治圧力がらみの介入をしているとか、日米関係の微妙な政治関係があるのではと考えるほうが自然だろう。

 たしかに、中国の経済がこれから「健全」に成長していって、中国人民がもっと外国製品を安く買って裕福になるには、いまの「管理フロート・通貨バスケット制」でも不都合が多い。そんなことは多くの中国ウォッチャーが指摘してすでに久しい。では、なぜ中国政府は完全な変動相場制に移行しないのかといえば、いましばらくは輸出大国でやっていったほうがよいと判断してきたからにほかならない。

 こうした一見不自然にも見えるそれぞれの国の通貨対策は、MMTが提示している単純な構図では理解できない。また、なぜアメリカが中国と親しくしてみたり、一転して激しく批判するのかも納得不可能である。それこそ、レイが中国、ロシア、ハンガリーについて述べたときのように、MMTが提示した単純な構図の背後にある国家間の駆け引きや、それぞれの国が抱いている未来像に目をむけざるを得ないのである。

 もともと、政治と経済をからめながら論じるアメリカのIPE派(国際政治経済論)からすれば、そんなことはあきらかで、HatsugenTodayのブログでも書いたようにジェラルド・エプスタインなどは、MMTが国際経済を論じるさいのナイーブさにあきれているほどである。もちろん、IPEというのは経済学の世界ではMMTと同じく「異端」とされることが多いわけだが、国際経済を純理的に分析できないというのは明らかだろう。

 かつて、国際経済における通貨の役割を論じて、自国通貨の地位向上が至上命題だと主張していたベンジャミン・コーヘンなども、国際経済と自国通貨の位置づけについては、さらに複雑な要因を探究するよう主張している。国際経済において通貨の重要性は変わらないものの、もっとそれぞれの国の戦略的な意図を細かく分析する必要を説くようになったのである。コーヘンが使うようになった用語に「ステイトクラフト」があるが、これは露骨にパワーを発揮するのではなく、あくまで「潜在力」として確保しながら、自国の経済および政治の目的を達成する力を意味するのだという。

 別の学説をもってきてMMTを批判するという安易さを避けるのが、この連載の潜在的な目標なのでIPE派の話はここらへんでやめておくが、常識的に考えてもMMTの国際経済観あるいは世界観はきわめて楽観的というしかない。それはいったい、なぜなのだろうか。なにか内在的な理由があるのではないだろうか。

 やはりあげておいてよいのは、まさにMMTの通貨論あるいは貨幣観であろう。彼らの理論からすると、貿易においては「輸入は得、輸出は損」なのである。なぜなら、輸入した製品には相手国の労働力や資源が費やされているが、その対価として支払う貨幣は政府がいくらでも発行できるものと前提されるからである。逆に輸出して貨幣をいくら多く手にいれても、それは実はタダであるのに、送り出した製品は自国の労働力と資源がかかっているのだから丸損になるわけだ。

 こうした貨幣観と世界観にのっとっていれば、MMTを採用した国は遠慮なくいくらでも輸入し続ければよく、産業を育成しようという発想は生まれない。そもそもMMT派のテキストのどこをさがしても、よい製品を効率よく製造するなどという記述は発見できない。つまり、こんなことが成立するのはアメリカ合衆国だけだろう。いや、アメリカですら今は出来るとしても、そう長くは続かないことはあきらかである。

 MMTを採用した国家があるとすれば、他の国は貿易するさいに警戒するだろう。そのMMT国が小国であれば貿易の支払いはドルあるいは他国の通貨を要求するようになる。別に鎖国などしなくても、よほどの「ステイトクラフト」がなければ、スムーズな貿易や経済外交が不可能になってしまう。つまりは、MMTという理論は、現実の国際経済のなかで存立しえないのである。

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