MMTの懐疑的入門(6)クラウディングアウトは神話?
この「MMTの懐疑的入門」の連載を読んでいただいていれば、これまで学んだことのあるマクロ経済学と様子がかなり違うことは、すでに気づかれたかと思われる。昔大学で勉強した人は、「自分が持っているマクロ経済学の知識がさっぱり使えない」といら立ったのではないだろうか。しかし、今回は、懐かしい式が出てくるので、もう少し読み進んでいただきたい。
それは他でもない、ケインズ経済学でおなじみの「三面等価の原則」を学んださいの3本の恒等式である。わたしですら、なんとなくほっとする。MMT派マクロ経済学の教科書では、おそらくビル・ミッチェルが担当した部分だと思われるが、GDPを「生産」「支出」「分配」の3側面からアプローチして、それぞれ総計を示す式をつくり、それぞれが同じ値になるという説明がある。ここまでは、従来の経済学教科書と同じといってよい。
つぎに、この3本の式を変形していくと(それぞれの記号の意味は、図版をご覧ください)、C+I+G+NX=C+S+Tとなって、これを整理すれば、(G-T)=(S-I)-NXとなるのも難なく分かる。また、S=I+(G-T)+NXという変形もまあまあ理解できるだろう。しかし、この変形した式が、「政府支出が民間貯蓄を決めていることを意味する」といわれたとき、すぐには理解できないかもしれない。
とりあえず、純輸出を省略して(G-T)=(S-I)に変形すれば、左辺は政府の収支を意味し、右辺は非政府部門の収支を意味すると言われても、すなおには受け入れられない。さらに、ここで、「したがって、政府支出が赤字になればなるほど、民間貯蓄は黒字になる」と説明されると、もう、別世界に来たような気がする。
しかし、これはすでに連載の(1)~(3)を読んでいただいていれば、MMTでは垂直マネーが非政府部門に入ってきて、それが非政府部門の貯蓄となることが予測できたことだろう。この構図をケインズ経済学で用いられてきた「三面等価の原則」に当てはめると、(G-T)つまり財政赤字が、S=I+(G-T)つまり総民間貯蓄を創り出すということになるわけである。
こうしたMMTの説明に対しては、いわゆる主流派は必ずしも同意しない。それはそうだろう。政府の財政赤字に苦労しているはずなのに、それは実は民間の貯蓄を創り出す源泉なのだといわれて、すぐに頷くほうがおかしい。新古典派のミーゼス財団からは、きわめてストレートな疑義と批判が上がった。(G-T)=(S-I)だとして、政府支出によって経済を動かせば、たしかに(S-I)は増加するかもしれないが、それは民間の投資が政府の資金によって追い出されてしまってIが縮小するからではないのかというわけである。これは、「クラウディングアウト」と呼ばれる現象であることは知られている。
同じ主流派でも、ケインズ経済学およびニュー・ケインジアンの場合には、こうした政府の支出が行なわれても、不況になっていて設備が使われず、また、労働者が大勢失業している状態なら、クラウディングアウトは起こらないとしてきた。つまり、総需要じたいが小さくなっている場合には、むしろ、政府支出を増やし(財政赤字を拡大して)失業のない状態まで持ってくるほうがいいというわけである。
では、MMTではどう考えるかというと、最初から「クラウディングアウトなんか起こらない」というのである。ミッチェルにいわせれば「それは神話」であり、そもそも財政赤字が金利を引き上げてしまうということが正しくないのだから、政府支出によって創出する事業や雇用が、民間の事業や雇用を追い出してしまうことなどない。さきほどの教科書によれば「財政赤字に対するクライディングアウトの議論というのは、金融操作の実際についての一貫した理解に基づいていないし、また、経験的なデータにも基づかない」というのである。
この点については、多くの反発が生まれているが、MMTの労働政策について検討するときに、もう少し詳しく検討してみたい。とりあえず述べておくと、日常会話でも使われるようになった「クラウディングアウト」は、政府がよけいな事業を起こすので民間会社がはじかれることとして使われたりするが、原義的には金融市場を介した金利上昇により生じる民間の投資減少を意味していた。この点、一貫した理解やデータと言われて、すぐに示して見せることのできる経済学者はそういないだろう。
もちろん、クラウディングアウトについての研究は多く、また、近年では統計学を用いた「財政乗数」の研究も蓄積がある。ただし、それがMMT派の描く経済構造を前提とし、彼らがいう「金融操作の実際」に基づいているというわけではない。とりあえず言えるのは、いまでも不況期と好況期を比べれば、不況期における財政の効果は好況期に比べれば高いということだろう。(もちろん、不況期のほうが乗数が低いという説も有力で、不況期と好況期が逆の評価を導き出した研究もあるというが)。
なんとなく居心地がわるい人は、第11回を読んでみてください。
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