TPPの現在(14)米国通商代表部は牛肉より中国問題が大事?

【注記】この投稿は3月17日のものですが、米通商代表部の代表候補だったキャサリン・タイ氏が正式に承認されました。タイ氏については、この投稿の後半部をお読みください。

3月18日から、日本政府は米国産牛肉に対するセーフガード(緊急輸入制限)を発動する。セーフガードの発動が3年7カ月ぶりだとか、2020年度の累計輸入量が基準数量の24万2000トンを「わずかに」(日本経済新聞)上回ったとかの話が、テレビやインターネットを駆け回ったが、やや不自然な感じがしないでもなかった。

この「セーフガード」は数量によって判断するのだから、発動の予想がつかなかったものではないはずである。上記のように日経は「わずかに上回った」と述べているが、昨年4月から今月10日までに24万2229万トンになっているが、中間の経緯が公表されているから、大体の超過量も予想できたはずだ。また、このセーフガードは25.8%を38.5%と日米貿易協定以前に戻すだけであり、3月18日から4月16日までで終了するという。牛飼育農家にとって、ないよりはいいかもしれないが、その効果は決して大きくないだろう。

そもそも、この牛肉輸入量はアメリカのみの数量であって、最大の原因はオーストリアが例によって干ばつのために輸出量が減ったために、その分をアメリカ産でおぎなった結果である。日本政府としても、大した問題ではないという印象を与えるのに必死で、野上浩太郎農相は16日の記者会見で発動については発言を控えながら「発動されても国民生活に大きな影響があるとは考えにくい」と述べているほどだが、アメリカにとっても「大きな影響」があるとは思えない。大きなことをしたように騒いでいるのは、菅政権と経済マスコミだけなのだ。

そのいっぽうで、和牛の価格が昨年11月ころから2019年を上回ったという情報もあり、たとえば和牛枝肉の価格は昨年11月に前年度に比べ3.3%高になったのは、農業新聞あたりで「朗報」として報じられていた(日本農業新聞2020年11月23日付 図版下)。なんとか、日本の和牛市場も上向きだから、ここは勢いを失わないようにアメリカ食肉業界を牽制したと思いたいところだが、どうもそれほど気の利く日本政府でもない。結局、アリバイ的な政策ということだろう。

しかし、牛肉に関するニュースは、否応なくアメリカのTPP復帰問題を思い出させてくれる。大統領選において、バイデン大統領候補はTPPへの復帰を唱えて、日本の自由貿易論および親米派を喜ばせたものだが、大統領に就任してからというもの、この問題について何も言わなくなってしまった。これはある意味で分かりやすいわけで、まずは国内の経済が第一であって、「アメリカ人の雇用を奪う」とトランプががなり立てたTPPに、「復帰する」といまのタイミングで発表すれば、支持率が落ちることは確実だろう。

そのかわり、アメリカ通商部代表部(USTR)の代表候補に指名されたキャサリン・タイが、2月26日に記者会見に臨んださい、TPP復帰問題について記者団からの質問に答えている。台湾系アメリカ人で能弁の弁護士タイは、かつてWTOの会議で中国代表を相手に論争した人物であり、この記者会見でもすこしも臆することなく、答弁の力を十二分に発揮して、問題の指摘をしてみせるいっぽう、TPP再参加について具体的なことは何も言わなかった。

英文紙ニッケイ・アジア2月26日付に掲載された「バイデンの貿易担当はTPP再参加について記者団を煙に巻いた」が、その様子を伝えているが、具体的なことは言っていないものの、アメリカの貿易が置かれている位置については明確に述べているので、少しだけ紹介しておきたい。この記事が登場したとき、USTR代表に就任したさいに、まとめて書こうと思っていたのだが、いまだに彼女は正式に就任していないのである。

さて、タイが言うには、「TPPを取り巻く状況は、アメリカが署名したとき(2016年)以来、すでにきわめて多くの点で異なってしまっている」。とくに、「中国はいまや同時にライバルであり、貿易相手であり、そしてアメリカがグローバルな挑戦を行うさいに協力を必要とする巨大なプレーヤーとなっている」。

もし、アメリカがTPPあるいは同種の経済協定を遂行すべきだとしたら、「TPPの基本的な枠組みというのは、いまも妥当な枠組みだといえる」。しかし、「この5年から6年の間に、世界では多くのことが変化してしまった」。そしてまた、「アメリカが追求してきた貿易政策の軸についての認識についても、あまりに多くの変化があった」。

キャサリン・タイが問題としているのは、いまあるTPP11などではなく、中国の問題を含めたアメリカの貿易をどう考えるかということであって、たとえば日本との関税をめぐる問題をどのように解決するかということは部分的なものなのだ。まずはアメリカ国内の問題を解決して、それに付随する貿易問題を解消することが、USTRの仕事となっているというわけである。こうしたスタンスを同紙は次のようにまとめている。

「アメリカの産業を強化して、アメリカの労働問題を、貿易政策の中心に位置づけること。それがキャサリン・タイ代表候補にとってもバイデン大統領にとっても、戦略的思考のきわめて重要な課題になっているのである」

この戦略的思考にとって欠落してはいけないものが、「中国との(アメリカにとってよい)関係を追求していくことであるが、対話においても、方法においても、アメリカはあらゆる選択肢を検討していかなければならない」。どこまで行っても中国、中国なのであって、はたしてキャサリン・タイの頭のなかで、TPP11がどれくらい占めているかを考えると寂しい気すらしてしまう。

キャサリン・タイは、両親は中国大陸で生まれているが、2人とも台湾で育ち、そしてアメリカに留学したという。父親は医療リサーチの専門家として研究所で働き、母親も公的医療機関で研究に携わっていた。タイはハーバード大学ロースクールで博士号を取得し、その後、さまざまな貿易交渉で活躍してきた。こうした経歴からしても、常に中国あるいは北京のことが課題の中心であることは理解できる(個人的な関心事だということではなく、何かにつけて意識せざるをえないという意味で)。

3月17日現在、いまだにタイがUSTR代表に議会で承認されたという情報を目にしていない。ここらへんにも、中国との対決姿勢を見せつつも、国内の経済問題が最優先としている、バイデン政権の苦悩が推測できるのかもしれないが、それにしてもこの人事の遅れは甚だしいように思われる。

日本政府は、日本国内の牛飼育農家を意識してセーフガードを発動し、消費者を意識して何も影響はないといっているだけだろう。そして、アメリカ政府は中国との新たな関係(対立を含めて)を模索しており、バイデンはともかく選挙民に喜ばれる政策をぶち上げ、いまのところ微妙なTPPに敢えて触る気はないということなのだと思われる。もちろん、それが永遠に続くということではないけれども。

【追加】キャサリン・タイが仕切るUSTRがどうなるかは、この投稿で述べたように「対中国強硬派」として、中国問題を第一の課題としながら、それと矛盾しない方向でアメリカの貿易環境の維持を追求していくということになる。TPPについて、あるいは日本との貿易関係については、もう少し本人の具体的な方針が表明された時点で、あらためてリポートしたい。

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