TPPの現在(11)RCEPとTPPは米中激突の前哨戦か
11月20日、中国の習近平国家主席は、環太平洋パートナーシップ(TPP11あるいはCPTPP)について、「参加を積極的に検討する」と表明して、関係諸国に波紋がひろがっている。これは同日に閉幕したAPECの首脳会議で述べたもので、その後のフォローがないので意図がどこにあるのか、まだ不明といってよい。
NHKニュースなどは「中国の習近平国家主席は、20日夜開かれた、APEC=アジア太平洋経済協力会議の首脳会議で、TPP=環太平洋パートナーシップ協定への参加に意欲を示しました。アメリカが離脱したTPPへの参加に前向きな態度を表明することで、この地域での自由貿易の枠組みを主導したい狙いがあるとみられます」(同月21日)とのことだが、現実問題として、中国はいまのままではTPP11の基準をクリアできない。
たとえば、TPP11では国営企業や国家が資本を出資している企業に厳しい制限を課しており、多くの製造業や金融業に国家資本を投入している中国が参加すれば自国の首を絞めることになってしまう。そもそも、参加資格の審査のうえでとても認められるようなレベルではないことは明らかなのである。では、なぜ今の段階でこうした表明をしたのか。
すぐに想像できることだが、11月15日、RCEP(地域的な包括経済連携)の署名が行われ、中国、日本、韓国を含めたアジア諸国15カ国が参加して、いよいよ中国はアジア経済の枠組みを決める組織のリーダーとしての自覚を高めるとともに、その存在感を内外に高々と示す局面を迎えている。さらに大きな多国間経済協定であるFTAAP(アジア太平洋自由貿易圏)をめぐるアメリカとの主導権をめぐって、布石だけは打っておこうという算段なのだと考えれば分かりやすいことは確かである(図版:日本経済新聞より)。
とはいえ、このRCEPについては視点によって、評価が大きく分かれることも知っておいてよい。日本の経済ジャーナリズムは、自由貿易が推進されるという「お題目」にはきわめて弱いので、冷静な評価以前に称賛的な記事を掲載することが多い。しかし、たとえばこのRCEPで日本経済にどのような変化があるかといえば、意外にもそれほどのものではないのである。
まず、輸出において最も日本が恩恵を受けそうなのはどの分野か見れば、いうまでもなく自動車産業であり、自動車部品、鉄鋼製品、家電などが関税撤廃される(図版左:NHKより)。その半面、輸入品で関税撤廃の対象となるのが、冷凍の野菜の総菜、冷凍枝豆、冷凍たこ、紹興酒、マッコリなどで11年から21年かけて関税撤廃となる。では、自由貿易協定につきものの農産物はどうかといえば、コメ、牛肉・豚肉、乳製品は「対象外」であり、これまでも中国で稼いできた自動車メーカーが喜んでも、国内に衝撃が走るというようなものではないのである(図版下:NHKより)。
しかも、RCEPはこうした輸出や輸入についての品目の関税を撤廃すること目指していても、TPPにみられるような参加国の経済制度変更などの項目は、いまのところ存在していない。たとえば、国内の流通を透明にしろとか、環境基準を整えろとか、知的財産権の保護を確立しろとかの条項は含まれていないのだ。そもそも、中国にとって他の参加国なみの制度の「自由化」を求められたら、かえってたまらないということもあるわけである。
日本経済新聞11月17日付の「中国、環境車保護が鮮明、RCEPの関税撤廃品目」から一覧表(左図)と要点だけを引用すると、全体的にみれば「日本企業の間には即座に輸出拡大につながらないとの見方もでてきている」とのことで、「即時撤廃品目の多くは関税率2~6%程度。中国企業に一定の競争力がある分野はもともと率が低く、撤廃しやすかったとみられる」。中国がむざむざとどこかの国のように自国の犠牲のうえに自由貿易を推進するわけがないのである。
したがって、中国の息のかかった「専門家」が主張するような、「いよいよ中国がアジア経済の統合をリードする時代を迎えようとしている」というようなことは、今回の署名までの経緯を見れば、ちょっと願望が先行していると見なさざるを得ない。興味深いのはアメリカの経済ジャーナリズムの評価で、たとえばウォールストリートジャーナルなどは、まったく相反する評価の記事が前後して掲載されるという事態になっている。
同紙11月15日付は「アジア太平洋諸国はバイデンの試練となる巨大な貿易協定にサインした」という記事を掲載して、RCEPがいかに巨大な自由貿易協定かを強調している。たとえば、日本の自動車産業が恩恵を受ける対象となる経済規模は年間500億ドルであり(日本の報道では5兆円。どういうわけかなくなる関税の推定額が発表されていない)、参加国15か国の人口合計は世界の3分の1にも達するというわけだ。
ところが、翌日には「アジアの巨大自由貿易協定は北京の大勝利ではない」という記事が掲載されて、「この協定は中国政府にとって勝利とされているが、協定自身の内容が薄いため、中国が地域貿易のリーダーだという話からは程遠い」と断じている。別に経済新聞が前後一貫した内容を報じなければならないということはないが、この落差はいったいどこから生まれたものなのだろうか。
想像するに、15日の記事はバイデン(次期大統領という肩書がついている)に頑張ってもらわないとアメリカ経済は損をするぞという警告が含まれているのに対し、16日の記事は中国政府が大きなことを言っているが大したことないぞと指摘することに重点が置かれているということだろう。では、その肝心のアメリカはいまどういう状態なのか。
周知のようにアメリカは、どう考えてもバイデンが勝利したというのに、いまだにトランプが敗北を認めていないという異常事態である。なにせ国務長官がトランプ第2期に移行しつつありますなどと宣言して、(それがたとえサル芝居であっても)政権移行がまったく頓挫しているほどなのだ。もちろん、来年1月20日の大統領就任式までにはまだ間があるが、居残りをたくらむトランプ一派が邪魔でしょうがないので、世界経済政策を具体的に開陳するなどという状態ではないわけである。
こうしたスキをつく習近平はすごいというのは北京サイドからする煽り報道であっても、アメリカが政権移行どころか政権についてからの世界経済政策の布石も置けないのだから、実際にはスキどころか巨大な空白が横たわっているといったほうがいい。中国政府としてはTPPにすぐに入るとはまったく思っていなくとも、ちょっと突っついてみて、バイデン次期政権の反応ぶりを探るということぐらいは、実害のあるリアクションを気にしないでできるということなのである。
さて、ここまで甘く見られたバイデン次期政権は、TPPについてはどう考えているのだろうか。すでにこのシリーズでお伝えしているように、バイデン次期大統領は選挙戦の前に、トランプに選挙で勝ったら貿易政策の一環としてTPPに復帰するとぶち上げている。それならば、バイデン次期政権への準備チームは、もうそろそろTPP復帰を高らかに語っているかというと、これがまったくそうではなく、どうやら留保あるいは逡巡しているのである。
ワシントンポスト11月13日付に掲載されたブルームバーグ所属の記者による「なぜ中国は新しいアジア太平洋貿易協定をつくったのか」によれば、今回のRCEPはインドが抜けたことで規模からその意義にいたるまで、実は大きく後退したと認めつつも、中国がTPPに参加する前にRCEPで新たなルールを作っておこうとしているのではないかと指摘している。
この点、すでに述べたようにTPPのほうがはるかに自由化度は高いのだから、ややおかしな指摘だが、同記事は中国は今回RCEP成立によって、政治的にアメリカのアジアにおける後退を演出できればよかったのだと言いたいらしい。逆に、アメリカが挽回するためRCEPに参加しようとすれば、アメリカはASEANとの自由貿易協定を結ぶ必要があるとも指摘している。つまり、中国がTPPに参加する意図をもっているなら、何らかのルールの留保やすり合わせが必要であり、アメリカがRCEPにアプローチするには、ASEANとの関係を深めるという関門があるということになるわけだ。
実は、この点が重要なのだが、バイデン次期大統領は選挙前にTPP復帰を唱えたが、いまやアジアの多国間経済協定はトランプのTPP離脱以前とは、かなり複雑になって様子が変わってしまっているという事実である。そのためバイデン政権の準備にあたっても、単純に「よりをもどす」というだけでは、TPP復帰がすんなりできるわけでないことが明らかなのだ。
前出のウォールストリートジャーナル11月15日付は、この点を指摘し、「ミスター・バイデンの政権移行チームはRCEPについてのコメントを避けているようだ」といらだっているのは無理ない。いまは微妙なアジア経済外交については何もいわないようにしているのだろう。また、CNBCは米民主党の外交アドバイザーの大御所グレアム・アリソン(若いころに書いた『決定の本質』が有名。近著に『米中戦争前夜』がある)にインタビューしているが、アリソンはバイデンが大統領になろうと、ほかの者が大統領になろうと、米中のアジアでの勢力争いの構造が変わってしまったので、アメリカが新しい事態に対応するにはかなりの困難が予想されると述べている。
つまり、RCEPもTPPもいまや米中のアジア太平洋地域の勢力争いのための政治ツールと化している部分が大きくなって、単純に経済のための協力関係の構築という視点からは理解できないことが、さらに多くなるということだろう。こうした議論はオバマ大統領がTPPを提唱して日本を無理やり巻き込んでいこうとした時点でも、すでにいわれていたことだった(図版:CNBCより)。
ただし当時は、将来的にアメリカが作り上げた自由貿易体制であるTPPのなかに中国を招き寄せるとか、TPPはもともとアメリカ中心の車輪と中国中心の車輪があって、最初は別々に進展するが将来は一緒になるなどというシミュレーションを、正気で発表するアメリカのシンクタンクもあった。アメリカ側にはかなり楽観的な見方が残っていたのだ。しかし、いまの事態はそんな甘いものではない。それは中国が予想以上に急速に強引に、国際社会において政治・経済において存在感を大きくしたからである。
とはいえ、谷間にあっていちばん焦らなくてはならないはずの日本政府が、GOTOキャンペーンの修正などに忙殺され、趨勢を決する一大勢力であることを強調して、アジア経済の再構築について戦略的メッセージを発していないのは、あまりにも能天気あるいは腰抜けというしかない。TPPという「アメリカの管理貿易」やRCEPという「中国の新支配ツール構築」に、「貿易自由化というタテマエ」があれば、それがどんなに胡散臭くても、何の戦略もなく追従する国の政府ならではというべきかもしれない。
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