今のバブルはいつ崩壊するか(9)パニックとパンデミック[増補版]
現在、新型コロナウィルスによる肺炎が世界に広がりつつあり、1月30日にはWHOが緊急事態宣言を発したばかりである。テレビなどに登場する感染症の専門家たちは、かなり抑えた調子で、2003年のSARSなどより、感染力や死亡率が低いことを指摘して、むしろ、国民が悲観的な予想を抱かないようにふるまっているかのように見える(以下、数値については文末の註参照)。
たしかに、今回の新型肺炎の場合、中国本土だけでも感染は1万人に達しようとしているが、死者は213人にとどまっている(1月31日現在。文末の註を参照)。それに対してSARSの場合には感染者は8000人程度だったが死者は774人(916人との説もある)に至った。また、新型肺炎の場合、症状が重いのは4人に1人で、多くは比較的軽いという情報もある。致死率もSARSが9.6%といわれるのに、いまのところ2%台にとどまっている(最新の数値は「新型コロナウィルスは何が怖いのか」を参照)。
しかし、これらはあくまで現状であって、これからどのような展開を見せるかは不確定である。グラフに描けば、まだ登りの曲線であって、ピークを越えたという兆候はどこにも見られない。したがって、これからバブルの進行とパンデミック(感染症の爆発的広がり)について考えてみたいが、ここで書くことはほんのスケッチであり、事の性格上、なるだけ不確定なことは述べないことにしたい。
まず、最大の関心であるバブルの最中にパンデミックが起こった例だが、いまのところ歴史上においてパンデミックが経済バブルを崩壊させたというケースは見当たらない。たとえば、中世のペストの蔓延がそれまでの都市における繁栄を崩壊させたことはあっても、金融制度が生み出した巨大な金融バブルが、感染症の猖獗によって弾けた例は見当たらない。
興味深いのは1918年から翌年にかけての「スペイン風邪」だが、アメリカで始まり世界人口が20億人ほどの時代に5000万人から1億人が亡くなった。これはインフルエンザの一種だったといわれる。日本でも人口5500万人に対して50万人が死亡している。インパクトは大きかったが、第一次世界大戦の最中だったので、兵士になるべき若者たちが減って、戦争の終結を早めたとの説がある。そのことで、戦場でなかった日本やアメリカの第一次大戦景気が終焉を迎えたので、バブル崩壊の間接的な原因になったといえるかもしれない。
もちろん、これまで繰り返し述べてきたように、バブルを形成している「物語」が何らかのショックによって「幻滅」してしまうことによって崩壊するという見方からすれば、そのショックがパンデミックであってもおかしくはない。しかし、すくなくとも17世紀以降の資本主義の歴史を振り返ったとき、感染症の蔓延が危うい物語を幻滅させたといえる例はないのである。
ただし、それに近い例はないことはない。いうまでもなく、2003年のSARSが中国の急速な経済成長を一時的に停滞させたケースである。このケースはやはり、いま振り返っておくべきものであるのは間違いない。しかも、この例はバブルが形成されるプロセスと、パンデミックが生まれるプロセスが、グラフに描くと実によく似ていることも思い出させてくれる。
すでに、第8回目にロバート・シラーの経済バブル感染論について述べたが、簡単に言えば、経済バブルの拡大は感染症の蔓延と同じような形態をとるということである。数学的には同じモデルで、バブルと感染症流行の発生から消滅まで、同種のグラフで描いてみることができるのだ。それは単なる形態上の類似かもしれないが、いっぽうで感染(膨張)するメカニズムが働き、その一方でそれを阻害(収縮)するメカニズムが動き始めるという、きわめて類似した構造とプロセスであるがゆえに、似たような形状のグラフになるわけである。
そのグラフを描くのは、それほど難しいことではなく、いわゆる「ケルマック・マッケンドリックのモデル」は、感染症研究ではおなじみのものである。このケルマック・マッケンドリックのモデルには何種類かあって、ひとつが単純なSIRモデル、もうひとつが感染と発症を分けて考えるSEIRモデルがよくつかわれる。
ここで示したグラフは、SIRモデルによって描いたもので、I;感染者、S;非感染者としたとき、⊿I=βSI-γI ただし、β;感染率、γ;治癒率、ということになる。これは最も単純なモデルであって、実際に適用するには単純すぎるが、発想としてはだいたい理解していただけるのではないだろうか。
では、現実にはどうなのか。左に掲げたグラフは実際のデータによって描いたものであって、現実に起こる細かな出来事が加わっているので、単純な形ではなくなっている。しかし、おおむね急激な数値の上昇が起こって、それがやがてピークを迎えると急速に下落が生じるという形は見て取れる。したがって、モデルによって、ある程度、これから起こる大雑把なことはシミュレーションできる。今回のパンデミックも、感染者数のグラフの形状が数学的に推測され、上昇のペースが落ちてピークが迎えたころになれば、それなりの全体像が見えてくるはずである(予測についてのロイターの記事はこちら)。
そこで中国経済について考えてみたいが、2003年、SARSによるパンデミックが起こったとき、中国経済はどのように動揺したのか。あるいは、どのような事態が生じたのだろうか。それがここに掲げたグラフである。このグラフはダイヤモンド編集部の高口康太氏が「新型肺炎、中国経済への影響がSARS流行時とは決定的に異なる理由」(DIAMOND online1月30日付)のなかで掲げているもので、図版引用させていただくが、「SARS流行時は、個人消費の指標である社会消費品小売総額の成長率が4.3%まで急落した」と述べている。
この衝撃のグラフは、先に挙げた「中国の経済成長率」とはかなり異なる印象を与える。先のグラフは成長が停滞したものの、さらなる成長に向かっての活力を持っていたように見える。しかし、鋭く切り込んだ谷が読み取れるこのグラフから受ける印象は、「よくもまあこの衝撃を吸収できたものだ」という驚きである。それはまさに、急成長中の巨大な中国だったからこそ可能なリカバリーだった。
現在、SARSのころと根本的に異なるのは、中国経済のサイズ拡大と同経済を成立させているサプライチェーンの巨大さである。この点については、早くからウォールストリートジャーナル)電子版(2月3日付)が図版(クリックし拡大してご覧ください)を提示しながら指摘してきた。サイズが大きくネットワークが複雑だと、影響は単なる数値の倍率だけでなく、ネズミ算的な波及効果があることも考慮すべきだろう。
では、いま急速に成長率を落としている中国は、どこまで今回の新型コロナウィルスの衝撃を緩和できるのだろうか。いまの中国においてなら、このパンデミックはこれまでの成長の「物語」を吹き飛ばすだけのパワーを持っているかもしれない。そうなれば、パンデミックは「幻滅」を生み出しパニックを呼び寄せ、延々と持続してきた中国のバブルそのものを最終的に破裂させることになる(「新型コロナウィルスは何が怖いのか;パニック防止がパニックを生む」もお読みください)。
註)2月14日の中国政府による発表では、感染者は6万3851人、死者は1380人になった。しかも、すでに日本でも死者が出て、それが2次あるいは3次感染だったと推測できる。もちろん、日本政府があらゆる地域の中国人入国を拒否してきたわけではないから、水際作戦など無意味だという専門家もいたが、何次目かの感染源は減るので、まったく無意味であったわけではない。しかし、いまや日本国内感染の段階に入ったことは確かだ。これからの対応については「新型肺炎で死なないための最後の砦;中国もアメリカも封じ込めていない」をご覧ください。さらに、中国政府の感染者数と死亡者数の「訂正」が引き起こす影響は「中国政府の『訂正』がもつインパクト;激変する新型肺炎のピークと終息の予測」をお読みください。
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