今のバブルはいつ崩壊するか(7)幻想を産み出し破裂させる「物語」
年末から年始にかけて、株価が気になる人は多いのではないだろうか。普段は株式にあまり関心がないのに、この時期だけは妙に落ち着かない、そういう中高年は少なくないように思われる。それは1989年から90年にかけて、東京証券取引所で起こった株価の高騰と暴落が、その後の日本経済と自分の将来を運命づけたからである。
89年12月29日には3万8915円87銭という、いまも超えられていない高値を付けていたのに、翌年1月4日の大発会では202円の下落が起こり、同年4月2日には2万8002円にまで低下するなど転落を続けた。その後、多少は回復した時期があったものの、もはや前年の勢いは蘇らず、日本経済そのものも「失われた30年」にずるずると落ちていったのである。
さて、前回と前々回は2008年のリーマンショックを予言した経済学者ヌリエル・ルービニのバブル形成とその崩壊について、事実の認定と論理の構築を眺めてみた。ひと通り読まれた方は、事実についても、また、論理についても、「なんだか常識的なものばかり」と思った人もいるかもしれない。しかし、人間の予測能力を考えれば、それでも彼には鋭いセンスがあったというべきだろう。
今回は、ITバブルの崩壊とリーマンショックを予測して、ルービニ以上に高い評価を得てきたエール大学教授のロバート・シラーの予言と方法論について紹介してみたいと思う。シラーの金融市場研究は筋金入りといったら失礼なくらいで、20歳代から各種の金融市場を実証的に研究し、2013年にはノーベル経済学賞を受賞していることはすでに述べた。
シラーの研究は、学説として有力だった「効率的市場仮説」を疑うことから始まっている。市場というのは長期的に見れば均衡に至るのであって、それはフェアな結果を生み出しているというのが効率的市場仮説である。こうした認識に対して、シラーは「市場は外部からのショックを常に受けているので、均衡に至るまえに新たな撹乱を被るから、効率的市場仮説は成立しない」と、データと論理によって批判した。
ここで重要なのは、市場は外部からのショックあるいは外生的な情報によって、アダム・スミス以来主張されてきた「見えないの手」による均衡は望むべくもないという指摘である。とくに、金融市場は外からの情報に敏感であって、とてもじゃないが「均衡」などは期待できず、しばしばバブルとその崩壊を起こしている。したがって、金融市場は「効率的」な動きをしているとはいえないという指摘を、データと理論の両方で示したわけだ。
では、ここでいう「ショック」とか「情報」にはどんなものがあるか、ということになる。すでにいくつかの専門書を書いていたシラーが、最初に一般向けに刊行したのが有名な『根拠なき熱狂』であって、2000年に盛り上がっていたITバブルが崩壊する寸前に書店に並んでいる。
この本ではITバブルがどのようにして形成されたかを、射幸的に傾いたアメリカ国民の社会心理をデータによって浮き上がらせ、「IT(情報技術)によって新しい時代が来たので、これから経済成長はずっと続く」という異常心理が生まれていることを指摘した。
さらに、2005年に刊行した『根拠なき熱狂 第2版』では新たに「住宅バブル」の章を加えて、アメリカ国内に「いまの経済は上昇し続けているから、高い住宅を借金して買っても、住宅の価格が急上昇しているので簡単に返せる」という雰囲気が蔓延していることを、各種のデータによって分析してみせた。
この住宅ブームの章のなかで、いまでも覚えているのは、シラーがこれまでの住宅バブルと今回の住宅バブルの違いを鮮やかに比較してみせたことである。たとえば、戦前のマイアミ住宅バブルや戦後すぐの住宅バブルは、あくまで地域に限られた、あるいは一時的な実需があってのバブルだった。
ところが、2005年にピークを迎えた住宅ブームは、全国規模に広がり、また、一般の人が「投資目的かレジャー目的」で2軒目の家を持つようなバブルである。ここにもシラーは、根拠のない「物語」の存在を見てとった。つまり、ITバブルが「ITによって新時代がきた」という幻想を抱かせたと同様、住宅バブルが「ローンの発達によって低収入層にも家が持てる新時代がきた」という類似の妄想を抱かせていると洞察したのである。
では、今回のアメリカの株式急伸は何によってもたらされたのだろうか。2019年、シラーは『ナラティブ・エコノミックス』という本を刊行した。「ナラティブ」というのは、「ナレーション」などと語源を同じくする言葉だが、ITバブルや住宅バブルを形成させた「新時代が来た」という大規模な集団妄想を産み出して、経済を動かしていく「ストーリー」一般を意味している。実利と数字で動いているように見える経済は、実は、かなりの部分がストーリーで左右されているというわけである。
この『ナラティブ・エコノミックス』のもとになったA4で55枚ほどの同名の論文は、すでに2017年に発表されているが、このなかでシラーは、前年に大統領選に勝利したドナルド・トランプを分析している。経済学の論文としては異例なことだが、トランプは「ナラティブ」の発信者としては熟練者であると述べている。
「前年のトランプの驚くべき成功は、彼の長年鍛えたペルソナによって、困難な決断や取引ができる天才ビジネスマンであるかのように見せたことだ。彼の浸透力はテレビのショー番組に出ていた賜物で、そのため選挙中にも十二分の注目が集まったわけである」
論文を読めば(単行本でも同じだけれども)、この「ナラティブ」の影響力を重視する経済学がどこまで社会科学として成立するのかは難しいのではないかと思わせる。それはシラーも認めている。しかし、ブームやバブルを分析し、そして、その崩壊の切っ掛けを予測するには、こうした、かなり文学的な、物語を論じられるような方法論もいるのかもしれない。バブルを産み出すのは「物語」だが、それを破裂させるのも「物語」なのだ。
シラーはこうした心理的な影響力を数量的に分析するため、心理学、神経科学などはもとより、生まれた幻想の広がり方を「感染」として捉えようと疫学や感染制御理論まで導入して、統計的に論じることを可能にする試みを続けている。これらの詳細については次回に譲ることにして、今のバブルについて、最新のシラー予想を紹介しておこう。
2019年12月22日のCNBCでのインタビューに応えて、シラーは今回の株高の理由から述べている。「最近の株式市場が強気なのは、主にトランプに原因があると思います。彼は影響力のあるスピーカーなんです。このような強力なスピーカーである大統領はいままでいませんでした。彼はどうすれば投資家たちにアニマル・スピリット(血気あるいは非合理的な心理)を生み出せるか知っているんです」
では、このトランプ・バブルの崩壊時期はいつなのか。「私たちは、大統領弾劾にもかかわらず、いましばらくはトランプ・ブームの継続を見ることになるでしょう。そうなるのを目撃できると思いますよ」。シラーは皮肉屋なので、そのニュアンスも噛み分けたいところだが、「いましばらく」とはどのくらいの期間だろう。CNBCのナレーションは数ヵ月と解釈し「もし、それ以上は続かないとしても」とシラーのシニックなニュアンスをあえて言葉にして付け加えている。
発信者として類希な異形の大統領が発信する「ナラティブ」の効果が、いまのアメリカの株高を生みだしているというのは間違いない。では、このナラティブの他の例やシラーの理論の組み立てはどうなのか、そしてこのバブルが「ナラティブ・エコノミックス」の視点からして、いつ崩壊を迎えると考えるべきなのを、次回、じっくりと考え述べてみたいと思う。
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