TPPの現在(3)米韓FTAからの警告

 今回は米韓FTA(自由貿易協定)について、特徴的な部分をとりあげてみることにしたい。米韓FTAはTPPに先行していたことから、「米韓FTAをみればTPPが分かる」とまでいわれた。いま韓国といえば国際法を無視する国という印象だけが強いかもしれないが、アメリカがFTAおよびTPPのモデルケースとして試みた米韓FTAの内容と経緯は、TPPおよび今回のTAG(日米FTA)の「祖型」といってよいものである。

品川優『米韓FTA』より

 米韓FTA(自由貿易協定)は2006年から交渉が始まり、わずか1年で合意された。この背景にはブッシュ(息子)大統領が議会から得ていた貿易促進権限(TPA)の期限が迫っていたことがあったが、あまりにも拙速な印象があった。そのため韓国の批准が遅滞し、アメリカがオバマ政権になってから再交渉が行なわれて、2010年12月に妥結する。

 このとき韓国で広がった激しい反米韓FTA運動が日本でも報道され、同年10月に降って湧いたようなTPPの正体を暴露するものとして注目されることとなった。すでにアメリカの高官が「これからのアメリカのFTAは米韓FTAがモデルになる」と発言していたから、当然の反応だったと思う。

 当時、日本では韓国の積極的なFTA戦略が話題になっていて、財界などは「このままでは日本は世界の流れに乗り遅れる」と焦燥をあらわにしていた。FTAを結んだ国との貿易が全体の何%かという「カバー率」が問題であるとされ、このカバー率において日本は韓国にはなはだしく遅れをとっているということが、あたかも決定的であるかのように論じられていた。

 しかし、そんなに「先進的」な経済戦略をもっている韓国で、なぜ米韓FTA反対運動が盛り上がっていたのか。このときの運動主体をみればすぐわかるように、韓国政府は急速に繁栄しはじめたエレクトロニクス産業を柱にするいっぽう、アメリカからの農産物輸入を受け入れ、農業の縮小に甘んじるという、経済構造の改造を図ろうとしていたわけである。

 ざっと、米韓FTAの特徴を列記すれば、次のようになる。
1)コメ以外の農産品はすべて関税を撤廃(コメはWTOで関税化が決まっていた)
2)農協、漁協の共済、郵政の保険部門は民間保険会社と同様の経営形態に
3)大型乗用車は米国の要求で安全基準や排ガス規制を緩和(関税換算13%分引下げ)
4)法務、会計、税務サービスは米国人が韓国内で事務所を開設できるような制度に変更
5)政府調達の国際入札範囲は、BOTなどを含み、実績要件が禁止された
6)医療制度の改変(医薬品や医療機器の輸入制限が困難に)
7)ISDS(投資家保護)条項の受け入れ

 今回は、まず1)3)について見ておくことにしよう。データや分析については、品川優氏の『米国FTA 日本への示唆』(筑波書房)を中心に紹介している。さらに、柳京煕氏の「米韓FTAは韓国農業と経済全体に何をもたらしたか」(農業協同組合新聞)も参考にした。事態の複雑さや規模からいって、とても短いブログに収まるものではないので、さらに調べたい方は直接あたっていただきたい。

品川『米韓FTA』より

 もともと、韓国政府が米韓FTAを受け入れるさいに、農業が規模縮小していくことは前提としていた。いわば農業を犠牲にして製造業を拡大するという姿勢だった。それは農業の廃業支援をあらかじめ用意していたことからも分かる。その結果、当然のことながら農産物の自給率は下がりつつある。

 コメのみが依然として100%を超えているが、これはコメを例外品目にすることに成功したからで、「聖域」とすらいわれたコメも交渉の対象にされた日本とは、少しばかり異なる。とはいえ、コメを守った韓国でも、ほかの農産物はすべて関税撤廃へと向けて関税率をさげているわけだから、こうした結果になるのは当然だった。

品川『米韓FTA』より

 まず注目したいのは牛肉で、アメリカからの輸入が量にして2倍弱、金額にして約3倍に達している。ここではデータを紹介していないが、豚肉も規模はこれほどではないものの、アメリカからの輸入が量にして3割、金額にして14%ほど伸びている。これは高級ブランド品ではない牛肉への衝撃という意味で、日本の畜産業にとって警戒すべき現象である。

 興味深いのは牛肉がかなりの価格上昇をみせていることだ。つまり、「輸入の増加により国内供給量全体が増えているにもかかわらず、国内価格は上昇している」。これは意外な印象を受けるが、ひとつには「パラレルに国内消費も増加しているため」であり、また「増加する輸入牛肉の価格が上昇傾向にある」ためである(品川氏)。

 韓国というと「焼き肉」を思い浮かべる日本人は多いが、実は、韓国で牛肉の消費が伸びたのはこの20年間と最近のことであり、そのブーム的な増加がまだ続いていると考えることもできるかもしれない。しかし、もし、輸入増加があって価格上昇もともなっていくとすれば、畜産農家は未来への期待からよほど増えてもおかしくないはずだが、現実はそうはなっていない。

品川『米韓FTA』より

 そこでデータを見ると、生じている現象は急速な牛の畜産農家の減少と、一戸あたりの牛の頭数の増加である。米韓FTA発効前と比べると畜産農家は4割強減少したが、ブームによって少しだけ回復し、20頭以下の畜産農家は半分以下になった。生産額はFTA発効前から下落していったが、価格上昇によって同レベルまで回復している。では、生産効率を上げることによって、価格上昇とブームのお陰で何とか維持できていると読みとっていいのだろうか。

 この現象を韓国の自治体や畜産農協は、価格高騰は米韓FTAの影響ではなく、また、牛肉農家の減少は高齢化による自然減であって、「FTA廃業支援」で多くの牛肉農家が廃業したせいでもないとしているという。しかし、米韓FTAで牛肉が大量に入ってきているのだから価格高騰を起こす原因ではないというのは分かるが、FTAを見越して畜産農家が廃業すれば高騰を加速することはありうる。

 品川氏は自治体や畜産農協の見解には疑問を呈しつつ、「自然減であれば、一定のスピードでの現象であり、かつある程度先を見通すことができよう」と指摘する。そうであれば、急激な高騰にはならないはずである。「この間、価格の高騰が生じたのは、予想の困難な急激な飼養頭数の減少・供給減によるものであり、その起因がFTA廃業支援である」として、やはり米韓FTAの衝撃は大きかったことを示唆している。そのとおりだろう。

柳京煕論文より

 とくに、韓国に特有の「韓牛」(日本の和牛に相当)については、前出の柳氏も「韓牛は米韓FTAにおいて最も大きな被害が予想されているが、すでに生産戸数は、2012年のおよそ15万戸から、2014年時点でおよそ10万戸にまで減少しており、飼養頭数もおよそ300万頭から270万頭にまで減少している」と指摘している。

 では、自動車についてはどうだったろうか。2010年の時点では、米韓FTAによって韓国はアメリカの自動車関税を撤廃してもらい、日本の自動車産業に大きな打撃を与えるだろうと論じる評論家も多くいたものだ。しかし、この時点でも、アメリカから韓国に輸出する大型乗用車の環境規制緩和が盛り込まれたので、得をしたのはアメリカではないかとの指摘がなされていた。

 米韓FTAが発効してしばらくしてからのデータを見ると、アメリカへの自動車輸出を伸ばしているのは、数字で見る限り韓国よりも日本のほうが多かった。これは韓国の経済回復によって、ひところよりも為替レートが高くなってその分不利になったと考えることもできる。その後、韓国の自動車産業はアメリカへの攻勢をかけたはずだが、どうなっただろうか。

品川『米韓FTA』より

 これも品川氏の分析をみてみよう。「FTA発効後の乗用車輸出は着実に増加し、輸出に占める割合を高めている。ただし、この間アメリカの乗用車関税は現行の2.5%が維持されていたため、FTA効果による輸出拡大ではない。そこで、乗用車の関税が撤廃された2016年の輸出実績をみると、輸出台数は97万台と前年にたいし1割近く落ち込み、輸出額は156億ドルと10.9%減少している」。つまり、米韓FTAと韓国の自動車の輸出増加の間には密接な関係などないのである。

 無線通信機器・自動車部品などでも同じような現象がみられた。FTA発効以前から関税ゼロだった無線通信機器は当然ながら、ものによっては10%ほどの関税がついていた自動車部品でも、FTAの発効前後で明らかな影響が読みとれないのである。品川氏はつぎのように指摘している。「少なくとも輸出拡大期において、米韓FTAの恩恵を受けて輸出増加という結果が生じたというわけではない。輸出増という表面的な数値だけを捉え、それを米韓FTAの効果とストレートに結び付けると実像を見失うことになろう」。

 自動車については、アメリカはその後も韓国側からの輸入増大に神経をとがらせ、トランプ大統領の時代になると、さらに「ディール」的な発想が加わった。2017年から米韓FTAの見直しを言い出し、結局、2019年1月に改定米韓FTAが発効している。

 この改定米韓FTAについては回を改めて検討したいが、このときアメリカ側は韓国からの鉄鋼輸出に並んで、やはり自動車の輸出を減らさせる方向で交渉している。トランプなどは例によって「破棄」すら口にして脅したが、韓国側はかなり冷静に対応して、逆にISDS条項の適用について提起し、「ISDS濫訴の制限」と「政府の正当な政策権限保護」の2点を了承させている。

柳京煕論文より

 農産物について一方的に押し切られながら、旧TPPのまま据え置きの自動車の2.5%関税撤廃を獲得できなかった日本とは、ちょっと違うようである。それは韓国がすごいのではなく、日本があまりにも情けないだけなのだ。結局、交渉といいながら日本は交渉していないのである。

 いずれにせよ、アメリカが主導するFTAやTPPは、受け入れる側の国にとっては迷惑な産業構造の変更を要求される。ある分野についてかなりの犠牲を強いられるものの、馬のニンジンのようにぶら下げられるメリットは、よく検討してみれば(検討しなくとも)たいしたものでなく、しかも、しばしば途中で取り下げられてしまうのである。

●こちらもご覧下さい

TPPの現在(1)日米FTAの悲惨
TPPの現在(2)安倍政権のデータ加工に呆れる

日米FTAのみじめさ;TPPに参加した当然の帰結

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください