トランプ経済を乗り切る(5)相互関税の「合意」は一方的に変えられる危険性が今も高い
すでにアメリカのトランプ大統領は、8月7日にトランプ関税を世界の多くの国に適用を始めている。そこに世界の経済史の必然性のようなものを見出して、預言者的なニュアンスで日本のこれからの運命を語っている人もいるようだ。しかし、あっさり言えば歴史の必然性などというよりは、アメリカ経済の都合、もっといえばトランプの都合によって、これまでの貿易構造を破壊しようとしている、はなはだ迷惑な事件なのである。すでに私のブログHatsugenTodayで述べたことと重複するが、ここでは少し俯瞰的な目から見直してみよう。
まず、何よりいちばん強調しておきたいのは、トランプ関税が歴史の必然などではないということだ。世界がなんの抵抗もなく従って三十年もたてば、それは歴史として振り返ることができるだろうが、「アメリカ社会の変化が新古典派経済学に染まっていたから、そのためにトランプが登場してきたのであり、日本もEUもその大きな動向に飲み込まれている」という見方は、むしろ、トランプに都合のよいストーリーなのである。
このストーリーの神話性をひとつひとつ暴露してもいいのだが、そんな暇はないので、とりあえず、前バイデン政権も新古典派経済学を至上のものとなどしていないし、新古典派経済学者たちも、トランプ関税はアメリカにとって損になることは認識しており、そもそもトランプ関税は新古典派の国際経済学とはおよそ相容れないものだ。トランプ関税が「アメリカを再び偉大にする」と信じているトランプ取巻きの「経済学者」たちは、むしろ非主流でマイナーな異端(ヘテロ)の、奇矯な主張を好む異常なタイプの連中なのである。
こういう馬鹿げたことは、実は、アメリカ史で初めてではなく、レーガン政権が誕生したさいにも、「税金を安くすればするほど税収が増える」という奇説を主張したサプライサイド経済学(しかも最も奇矯な説「ラッファー曲線」説)が採用され、当然のことながら失敗し、レーガンはむしろ増税に追い込まれた。レーガンは増税を認める文書に、「こんなはずではなかった。立派な経済学者が減税で税収は増えると言っていたじゃないか」とぶつぶつ言いながらサインをしたのは、アメリカにとって極めて恥ずかしい歴史的事実なのだ(以下の図版はすべて日本経済新聞より)。
次に確認すべき事実は、石破政権は赤沢亮正経済再生担当大臣を通じての交渉で、ちゃんとした文書を作成しなかったので変更されていると言われているが、変更されているのは日本に限ったことではないことだ。日本とアメリカとの合意は後になってから見解の相違、齟齬、不一致がつぎつぎに現れたことは報道された。しかし、ちゃんとした文書にしたEUとの合意においても、あとからあとから見解の相違、齟齬、不一致が生じているというのに、日本ではあまり注目されなかった。笑ってしまうのは、EUは7500億ドル分のエネルギーをアメリカから購入すると文書に記載されているのだが、アメリカのエネルギー産業はこれほどのエネルギーを輸出する余裕はまったくない。いかに杜撰な合意を急いで行っていたかが分かる。
日本の場合も、関係者によれば「とんでもないこと」をアメリカ側が記載しようとしたので、あえて文書化を避けたという話もある。この「とんでもないこと」は暴露されていないが、トランプの単なる思い付きを、アメリカ側の担当官たちは検討もしないで記載しようとしたわけだろう。トランプとの交渉というのは、日本やEUにとどまらず、他の国の場合でも、これまでの経済外交からするときわめてずさんで、でたらめで、時間切れの見切り出発になったものが、何の付帯的条件もなしに盛り込まれている呆れたプロセスだったのである。
さらに注意すべきは、それが石破首相だったからみじめな結果になったのだと、何の根拠もないことを言い募る政治家とか自称学者がいることで、たいがいは旧安倍派政治家あるいは安倍の取り巻き評論家たちで、「安倍さんがいたら、こんなじゃなかった」という胡散臭い話になるようだ。しかし、第1期トランプ政権時代の日米貿易協定では、安倍政権は日本が米農産物の輸入を増やす代わりに、日本製自動車部品の関税引き下げ・撤廃を主張すべきだったが、言い出すことすらなく終わった。ことほど左様に他の分野においても、日本側が最初から引けた「交渉」で、TPP賛成派の評論家ですら「ひどい」とあきれたものだった。
このときの日本外務省の担当官は、自動車部品関税について、押しかけた日本のマスコミ関係者に「これはトランプ大統領にとって微妙なものですのでご理解いただきたい」と言って済ませた。呆れたことに日本のマスコミ関係者から、何の質問も出なかったのは根回ししていたからで、日本の恥というべき歴史的事実である。なぜ、安倍元首相がトランプに気に入られたかは、いろいろあるにせよ、2人ともお坊ちゃん育ちで遊びがすきで、外交の真剣な丁々発止などはなく、なんの緊張感もないゴルフを楽しめたからではないだろうか? なんのことはない幇間外交だったわけで、これはブッシュ(息子)大統領の前でプレスリーの物まねをしてみせてゴマをすった、小泉純一郎元首相の行為に次ぐ国辱的行為だろう。
トランプの関税外交というのは、報復的あるいは懲罰的なもので、気に食わない奴には屈辱を味合わせてやるといった類のものにすぎない。今回についていえば、ブラジルに対しては、自分を尊敬していたブラジル前大統領への取り調べが気に食わないというので50%の関税をかけたが、こんなことが常態になっているアメリカは、もうすでに病的な独裁国家といわざるを得ない。これはトランプ後を見越した場合に効いてくるわけで、アメリカが何かその国に対してプラスになることをしようとしても本気にされなくなるだろう。いちど失われた国際的信頼を取り戻すのは、超大国のアメリカでも大変だろう。
そもそも、この50%のトランプ関税というのが、ブラジルにとって脅威であることは確かだが、それがアメリカを益するのかといいえば、まったくそうではない。英経済紙フィナンシャルタイムズは、次のようなコーヒー製造業者の言葉を載せている。「問題はアメリカとブラジル、アメリカとベトナム、そしてアメリカとコーヒー生産国全体に米輸入関税がかかることだ。最終的にアメリカにおけるコーヒーの価格上昇につながる。つまり、アメリカの消費者にとってより高価になってしまうだろう」。
まあ、すべての輸入品でそうなっても、おそらくトランプは統計局に圧力をかけて、嘘の数値が発表されることだろう。精度をほこったアメリカの諸統計は、いまやまったく信用できなくなりつつある。トランプ関税はどのようなやり方にせよ、市場の均衡を信じる新古典主義の政策ではないし、石破政権が冴えた対応をしたとはいわないが他の国と同等あるいは少しだけましだったと思う。また、安倍政権に比べればわずかながらも「なめるなよ」という気概はあった。自分の議論に合わせて現実を変形するべきではないだろう。少なくともこのトランプ関税のずさんで強引な急速断行のお陰で、アメリカはいまさらに世界の信頼を失いつつあることは間違いない。
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