近づく旅立ちの日;『いつかの君にもわかること』の手応え

『いつかの君にもわかること』(2020・ウベルト・パゾリーニ監督)

 映画評論家・内海陽子

 見過ごしてしまいそうな小さな事柄に生きる指針になる宝が潜んでいる。『おみおくりの作法』(2013)で世界的に知られるウベルト・パゾリーニ監督の新作は「旅立ちの作法」とでも呼びたい美しい映画である。死期が迫った三十代の父親が、幼い息子のために最良の里親を見つけようとするが、次第に浮かび上がるのは里親候補たちの人生のゆがみだ。父親は途方に暮れ、息子は恐怖に近い感情にとらわれる。物語の調子は坦々としているが、彼らの感情は激しく波打っている。

 窓拭き清掃人のジョン(ジェームズ・ノートン)は丁寧な仕事をする。さまざまな窓からのぞき見る他人の人生は面白く、うらやましい。ガラス越しにその家の飼い猫と顔を見合わせ、からかい合うこともある。このまま生きていけたらまずまずだが、彼は余命宣告を受けた重病人だ。自分の身体以上に気がかりなのは、四歳の息子マイケル(ダニエル・ラモント)のこれからのこと。「両親がそろった一軒家で(恵まれなかった)自分とは違う子供時代を送らせたい」と願い、まずは郊外に住む裕福な夫婦に会う。理想的に見えたが、将来は寄宿舎に行かせるという話も出てジョンは失望する。どうも見込み違いのようだ。

 次に向かったのは郵便配達夫の家庭で、夫婦ともよく肥えていて庶民的な雰囲気だ。すでに養女が一人いて、彼女はマイケルと遊んでくれるが、マイケルは落ち着かない。大家族とのことだが、夫婦が妙にべったり依存しあっていて、子供への配慮が足らず、養女に注意されるほどだ。養子になるマイケル本人のことより、自分たちの精神の安定のほうを重視しているようである。要するに、ここもジョンの眼鏡にかなわない。

「また新しい人に会いに行く?」と不安を口にするマイケルを連れて向かった家庭は、白人と黒人の夫婦で、実子を含めて何人もの子がいる。夫婦は愛想がいいが、子供たちはしっかりした躾を受けているとはいいがたい。夫婦は実の子の養育に失望し、養子を迎えても失望し、その穴埋めのために次々に養子を迎えているのではないかとわたしは思う。年長とおぼしき男児は粗暴で、年少の男児はマイケルが大事にするおもちゃをねっとりした目つきで見る。それを敏感に察したマイケルはおもちゃを隠す。ジョンの顔はまたしても曇る。里親候補訪問はまだまだ続く。

 こういう暮らしや具合の悪い父の様子から“死”というものをうっすら感じ取ったマイケルは、仲良しの子の家に預けられても不機嫌になり、死んだ昆虫を見ては「動かない」と言う。ジョンはできるかぎりわかりやすく“死”を説明するが、マイケルが幼いだけに、またそれがわが身に迫っていることだけに、うまく伝えられているかどうか自信がない。

 夫を若いころに亡くした老婦人が、窓拭き清掃の顧客として、また良き相談相手として登場する。若いころは幸福そうな他人が羨ましくて仕方なかったが、今は「夫と50年も連れ添った」と笑顔で言えるようになっている。その彼女が、ようやく夫の歯ブラシを捨てたと言う。それは自分自身の旅立ちの日が近づいてきたという感慨からだろうか。彼女もまた「旅立ちの作法」を考えているのかもしれない。自分も覚悟を決め、マイケルにとっての最善の道を決定しなければならない。それでもジョンは悩む。

ジョンとマイケルがよく通る寂しい川沿いの道は、日本にもよくある寂しい町はずれの風景に似て慕わしい。浅い川底に捨てられたペットボトルが、流れようにも流れられずに石くれに引っ掛かっている。それがジョンのようだと思うのはどうにも残酷すぎるが、ペットボトルはいずれ雨に押し流されるだろう。それと同じようにジョンにもいずれ無慈悲な死が訪れる。彼は決定を下さなければならない。

 ジョンとマイケルがバスに乗って向かう先はどこだろう。おそらくジョンとマイケルが納得した里親の住むところだろう。わたしはあそこだといいなと思い、それが当たったので嬉しいが、何より嬉しいのはジョンとマイケルの聡明さだ。父と子が手を握り合い、互いに励まし合う。この先にあるのは不安ではなく、拓かれた未来の手応えである。新しい家族に幸あれ。

◎2023年2月17日より公開

内海陽子プロフィール

1950年、東京都台東区生まれ。都立白鷗高校卒業後、三菱石油、百貨店松屋で事務職に従事。休みの日はほぼすべて映画鑑賞に費やす年月を経て、映画雑誌「キネマ旬報」に声をかけられ、1977年、「ニッポン個性派時代」というインタビューページのライターのひとりとしてスタート。この連載は同誌の読者賞を受賞し、「シネマ個性派ランド」(共著)として刊行された。1978年ころから、映画評論家として仕事を始めて現在に至る。(著者の近著はこちら

 

内海陽子のほかのページもどうぞ

『愛がなんだ』:悲しみとおかしみを包み込む上質なコートのような仕上がり

『バースデー・ワンダーランド』:情感とスピード感に満ちた贅沢なひととき

『家族にサルーテ! イスキア島は大騒動』:けっして自分の生き方を諦めない大人たちを描きぬく

『町田くんの世界』:熱風がユーモアにつつまれて吹き続ける

『エリカ38』:浅田美代子が醸し出す途方に暮れた少女のおもかげ

『ファイティング・ダディ 怒りの除雪車』:本作が断然お薦め! 頑固一徹闘うジジイ

『DANCE WITH ME ダンス ウィズ ミー』:正常モードから異常モードへの転換センスのよさ

『記憶にございません!』:笑いのお座敷列車 中井貴一の演技が素敵!

熱い血を感じさせる「男の子」の西部劇

RBGがまだ世間知らずだったとき:ルース・B・ギンズバーグの闘い

『劇場版おっさんずラブ LOVE or DEAD』常に新鮮で的確な田中圭のリアクション

俺はまだ夢の途中だぁ~!:草彅剛の持ち味満喫

相手を「発見」し続ける喜び:アイネクライネナハトムジーク

僕の人生は喜劇だ!;ホアキン・フェニックスの可憐な熱演

カトリーヌ・ドヌーヴの物語を生む力

悲しみと愚かさと大胆さ;恋を発酵させるもうひとりのヒロイン

獲れたての魚のような映画;フィッシャーマンズ・ソング

肩肘張らない詐欺ゲーム;『嘘八百 京町ロワイヤル』

あったかく鼻の奥がつんとする;『星屑の町』の懐かしさ

高級もなかの深い味わい;『初恋』の三池崇史節に酔う

千葉雄大の孤軍奮闘にハラハラ;『スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼』

成田凌から飛び出す得体のしれないもの;ヨコハマ映画祭・助演男優賞受賞に寄せて

関水渚のふてくされた顔がいい;キネマ旬報新人女優賞受賞

情熱あふれる歌・踊り・群舞;『ヲタクに恋は難しい』の高畑充希になり切る

受賞者の挨拶はスリリング;キネマ旬報ベスト・テン 続報!

年を取るってすばらしいこと;波瑠と成田凌の『弥生、三月』

洗練された泥臭さに乾杯!;『最高の花婿 アンコール』

生きていると否応なく生じる隙間;『街の上で』若葉竜也の「素朴」さに注目!

ヒロインを再現出させる魔術;ゼルウィガーの『ジュディ 虹の彼方に』

わたしはオオカミになった;『ペトルーニャに祝福を』

心が晴れ晴れとする作品;『五億円のじんせい』の気性のよさ

「境目」を超え続けた人;大杉漣さんの現場

老いた眼差しの向こう;『ぶあいそうな手紙』が開く夢

オフビートの笑いが楽しい;『デッド・ドント・ダイ』のビル・マーレイを見よ

現代によみがえる四人姉妹;『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』

夜にたたずむ男の見果てぬ夢;『一度も撃ってません』の石橋蓮司に映画館で会おう

長澤まさみの艶姿を見よ!;『コンフィデンスマン JP プリンセス編』は快作中の快作

幸運を呼ぶ赤パンツ;濱田岳と水川あさみの『喜劇 愛妻物語』

刃の上を歩くような恋;『燃ゆる女の肖像』から匂い立つ輝き

どことなく滑稽でどことなく怖い;『星の子』にみる芦田愛菜の包容力

挑戦をやめない家族;『ヒトラーに盗られたうさぎ』でリフレッシュ

おらおらでひとりいぐも;田中裕子の『おらおらでひとりいぐも』

弱い人間への労りのまなざし;波留の『ホテルローヤル』

内海陽子「誇り高き者の確執、愛憎」;佐野亨編『リドリー・スコット』に寄稿しました

小粋な女性のサッカー・チーム;『クイーンズ・オブ・フィールド』で愉快になれる

娑婆は我慢の連続、でも空は広い;西川美和監督の『すばらしき世界』は温かく冷たい

感情を自在に操ることのできる演技者・水川あさみ;ヨコハマ映画祭・主演女優賞受賞によせて

最高の「嘘っぱち!」物語;『騙し絵の牙』の大泉洋は期待通りの全開

チャーミングな老人映画;『カムバック・トゥ・ハリウッド‼』を見逃すな

「打倒! まとも」が新しい世界を運んでくる;『まともじゃないのは君も一緒』の成田凌を深読みする

役所広司の醸し出す「歴史」;『峠 最後のサムライ』のぬくもり

異様な細部がすばらしい『ベルヴィル・ランデブー』;おばあちゃんの闘争は続く!

恋ゆえに渡る危ない橋『ファイナル・プラン』;リーアム・ニーソンからの「夢のギフト」

王道を行く人情コメディ;やっぱり笑える『明日に向かって笑え!』

「君は世界を守れ、俺は君を守る」;初々しい『少年の君』のチョウ・ドンユイ

漫画家夫婦の不倫ゲームを楽しむ;黒木華と柄本佑の『先生、私の隣に座っていただけませんか?』

未来についての勇気の物語;『愛のくだらない』の藤原麻希がみせる推進力

ムロツヨシの「愚直」な演技力;『マイ・ダディ』の聖なる滑稽さ

ジェイソン・ステイサムの暗く鈍い輝き;『キャッシュトラック』の「悪役」が魅せる

底なし沼に足を踏み入れたヒロイン;『アンテベラム』の終わらない感情

早すぎる時間の中での成長;『オールド』にみるシャマラン監督の新境地

二人はともに優しい女房のよう;西島秀俊と内野聖陽の『劇場版 きのう何食べた?』

おどおどしつつも男の意気地が光る!;中谷美紀と田中圭の『総理の夫』

生き生きとした幸福のヒント;加賀まりこが母を演じる『梅切らぬバカ』

前進する者への確かなエール;リーアム・ニーソンの『マークスマン』

小さな人間にも偉大なことはできる;妻の仇討ち物語『ライダーズ・オブ・ジャスティス』

AIを超える人間の誠意;『ブラックボックス 音声分析捜査』の最後に残る希望とは

体全体で感じる音楽の喜び;『CODA あいのうた』の家族たち

胸がすく女殺し屋の戦闘シーン;『ガンパウダー・ミルクシェイク』から目を離すな!

臨床心理士が逆に心を解読される恐怖;『カウンセラー』がみせる短編映画の切れ味

深い思いやりをもって吸い付くように伴走する笠松則通の眼;ヨコハマ映画祭・撮影賞によせて

肩の凝らない、いいセーター;今泉力哉監督の『猫は逃げた』は恋のトラブルの高みの見物

隠し味が効いてる『ゴヤの名画と優しい泥棒』;実話の映画化はやっぱり喜劇が最高だ!

田中圭の『女子校生に殺されたい』;目当ての少女を見つけ出せ!

生きることはミステリアス;小林聡美の『ツユクサ』がもつ苦味とおかしみ

奇妙な悲しみをたたえる阿部サダヲが怖い;『死刑にいたる病』が残す余韻

「少女」を演じる宮本信子が温かい;『メタモルフォーゼの縁側』は生きて行く活力を伝える

鳥肌が立つほどの軽やかさと上品さ;中井貴一の『大河への道』は裏切らない

あの世への優雅なダンス;『スワンソング』の心地よい風に吹かれて

人生における美しい瞬間;『セイント・フランシス』の小さな体験

「イエス」で答え「アンド」で繋げる未来;『もうひとつのことば』の初々しい二人

料理が結ぶ恋愛関係;『デリッシュ!』で楽しむ幸福の味

永野芽郁のバンカラ女子がいい;『マイ・ブロークン・マリコ』の確かな手ごたえ

『ドライビング・バニー』は振り返らない:アンチヒーローの正義

正念場を迎えた4つのカップル;『もっと超越した所へ。』のいい加減で深刻な情熱

男がひとりで食べるフルーツパフェの味;『窓辺にて』の嫉妬とおかしみ

生きる上で幸福は花火のよう;『夜、鳥たちが啼く』の晴れやかな世界への出発

阿部サダヲの『アイ・アム まきもと』は温かい;死を通じて人と繋がる静かな高揚感

世界は美しさに満ちている;カンバーバッチの『ルイス・ウェイン 生涯愛した妻とネコ』

弱虫だから輝く『雑魚どもよ、大志を抱け!』;内海陽子が足立紳監督の魅力と「誕生秘話」を語る

近づく旅立つ日;『いつかの君にもわかること』の手応え

『女優の肖像』全2巻 ご覧ください

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください