感情を自在に操ることのできる演技者・水川あさみ;ヨコハマ映画祭・主演女優賞受賞によせて
「ヨコハマ映画祭」主演女優賞 水川あさみ
映画評論家・内海陽子
2021年2月5日、第41回ヨコハマ映画祭において『喜劇 愛妻物語』『滑走路』で好演した水川あさみさんに、主演女優賞がおくられました。また、『喜劇 愛妻物語』では、足立紳監督が脚本賞を受賞しています。このサイトでも『喜劇 愛妻物語』はいち早く紹介して、多くのファンの方々に楽しんでいただきました。今回は新型コロナウイルス感染拡大防止のために表彰式は見送られましたが、ネット上でみても水川さんと足立監督の受賞は多くの映画ファンによって祝福されています。以下は第42回ヨコハマ映画祭のプログラムに内海陽子が寄せたもので、オリジナル・タイトルは「❝すぐれた喜劇❞が与えてくれる妙味に気づいた」でした。
もし女優になれるものなら、水川あさみの顔でなりたいとあつかましくも夢想していた。彼女の演技や演じる役柄が好きというより、シンプルにその表情や体の動きが好きなのだ。なかでも口元の形と動きがいい。彼女がどんな役を演じていても、まず口元に目が行き、何か神秘的なものを見るような気持ちになる。そのせいか役柄そのものを存分に味わうという経験があまりないままに来てしまった。
しかし2020年、『喜劇 愛妻物語』で、ついに水川あさみの口元が役柄を最高に引き立たせる瞬間を見ることになった。映画監督と脚本家を目指しながらいっこうに芽が出ない豪太(濱田岳)に罵詈雑言を浴びせ続ける妻のチカ(水川あさみ)。聞くに堪えない言葉を連発しながら、それが少しも下品に聞こえないのは、チカの中にある人の好さと夫の才能を信じるいちずさが観客にまっすぐに伝わるからである。チカは豪太を信じているからこそいら立つ。豪太を認めようとしない業界に、チャンスをものにできない豪太に、そして幸運を呼ぶ赤いパンツを長年身に着けている自分自身に。
豪太のほうは毎日が背水の陣のようなありさまなのに、さほどの焦りも見えず、目下、気になるのは妻がセックスに応じてくれないことくらいだ。彼はチカの罵詈雑言に悩まされているようで実はそれが愛の言葉だと見抜いているようなところがあり、とことん困ったときは彼女が何とかしてくれると思っている。実際、豪太がどんな窮地に陥っても、チカは大奮闘してやばい状況を乗り越えさせてしまうのである。
こんなにいい女がいるのかと思うが、実話が下敷きなのだからいるのである。ただし、こういう女を演技派の女優が緻密に演じたら喜劇にはならない。喜劇であったとしても重くて楽しめない。女優としての水川あさみの感情には緻密過ぎないよさがあると思うが、今回、その緻密過ぎないほどのよさがみごとに功を奏した。うどんを高速で打つ女子高校生の実家を訪ね、題材がものにならないと悟ったときの不機嫌な表情から車で移動中の怒り爆発までの流れは、ひたすら愉快で可愛らしい。観客はちゃんと共感を覚えつつ、他人事として楽しむことができる。そしてふと、あの日あの時のわが身を思い起こしたりもする。これが“すぐれた喜劇”が与えてくれる妙味というものだ。
水川あさみは、演技者として、おのれの感情を自在に操ることのできる境地に至ったようである。その口元の魅力をそのままに、さまざまな役柄の多彩な感情を、大胆にのびのびと創作し続けるだろう。
内海陽子プロフィール
1950年、東京都台東区生まれ。都立白鷗高校卒業後、三菱石油、百貨店松屋で事務職に従事。休みの日はほぼすべて映画鑑賞に費やす年月を経て、映画雑誌「キネマ旬報」に声をかけられ、1977年、「ニッポン個性派時代」というインタビューページのライターのひとりとしてスタート。この連載は同誌の読者賞を受賞し、「シネマ個性派ランド」(共著)として刊行された。1978年ころから、映画評論家として仕事を始めて現在に至る。(著者の近著はこちら)
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『バースデー・ワンダーランド』:情感とスピード感に満ちた贅沢なひととき
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