今のバブルはいつ崩壊するか(2)はじけて初めてバブルと分かるという嘘
バブルがいつ崩壊するかというテーマを追うには、実は、経済の状態がバブルかどうか判断がつくのかという問題がある。日本では元FRB議長アラン・グリーンスパンの「バブルは崩壊して初めてバブルと分かる」という言葉が流布していて、あたかも絶対的な真実であるかのように信じ込んでいる人が多い。しかし、これは嘘といってよい。
グリーンスパンは1987年に連邦制度理事会議長つまりFRB議長に就いたが、実は、初めのころ、バブルは認識できると思っていた。だからこそ、1990年代になってアメリカ経済が回復の兆しを見せ、94年に加熱の兆候が見られたとき、金利を上げて「あらゆる観点からみて、バブルを解消した」と誇らしげに宣言したのである。
したがって、96年からITブームが始まり、どうも再び過熱しているのではないかと思ったとき、金融市場の研究者を招いて意見を聞き、その後に語ったのが「根拠なき熱狂は慎まねばならない」という、後に有名になる言葉だった。このときもグリーンスパンは、進行中のバブルが認識できると思っていた。思っていたから、微妙な言い方で牽制したのである。
ところが、ITブームが続き、アメリカの経済が空前の繁栄を迎えたかに見えたとき、「データと現実の間に差が感じられるのは、生産性の統計に欠陥があるからではないのか」と疑ってしまった。その結果、彼は現実を見直すのではなく生産性の算出法を変えて、1997年からアメリカ経済の生産性が、飛躍的に伸びているかのように見えるグラフを発表してしまう。
それが原因のすべてではないにせよITブームはさらに過熱して、2000年にはバブル崩壊へと転落し、急激な株式の下落を経験することになる、ブームの最中はいくらでも加熱の兆候が見えたのに、有効な対処をしようとしなかった。2002年にこうした経緯を踏まえて述べたのが、「バブルは崩壊して初めてバブルと分かる」という「名言」だったのである。この言葉は、言うまでもなく自らの金融政策の失敗を糊塗するためのものだった。
もちろん、厳密な意味で経済学者に見解の一致は見られないものの、「これが私の基準で、その基準によれば今の経済はバブルだ」という経済学者は何人か存在する。なかでも有名なのがノーベル経済学賞を受賞したロバート・シラーだが、彼は2000年のITバブルに警告を発し、2007年から崩壊していく住宅バブルに警戒を呼び掛けていた。前述のグリーンスパンが招いて意見を聞いた経済学者とは、実はシラーだったのである(今のバブルはいつ崩壊するか(7)バブルを産み出し破裂させる「物語」を参照)。
シラーは長年の金融市場研究によって、住宅価格の騰落を判断する「シラー指標」を発表しただけでなく、株価の指標である「シラーPER」(正しくはCAPEと呼ばれる)を考案して数値を発表してきた。このシラーPERは株価の過去10年間の動向を反映させるので、単なるPER(株価収益率)と比べて精度が高いとされる。シラーによればS&P500において、この値が25を超えると危険水域に入ったことになる。
このシラーPERでアメリカの株価を観察すると、2013年ころから25を突破し、しかも、さらに急伸しているので(今や33を超えた)、シラーはこの数年、あらたな株価崩壊に警戒するように注意を促してきた。ところが、今年(2019年)になると、どういうわけか「十分に高いがすぐ崩壊するわけではない」というような言い方をして、一見、韜晦しているかのような印象をあたえていたわけである。
ところが、10月28日前後、この日は戦前の大恐慌を引き起こしたニューヨーク株式取引所が大暴落を記録した日でもあるので、それにちなんでという意図もあったのだろう。「あらゆるところにバブルが蔓延している」と言い出して衝撃を与えた。
もちろん、何月何日に株価が崩壊を始めるなどとは言わなかったが、シラーPERはいつ崩壊が起こってもおかしくない値だと述べた。さらに、それだけではなく、アメリカの住宅価格も再び過熱しており「2005年の状況が再現されて」いて、また、債券市場にいたっては「注目する人は少ないが、とてもこのままでは続かない」と語っている。
しかし、これはあくまでシラーの基準によればであって、アメリカは「いたるところバブルだらけ」という説にまっこうから反対する経済学者もいる。同じく市場経済研究でノーベル経済学賞を得たユージン・ファーマは「バブルは破裂してからバブルだったと分かる。警告のサイレンは単なるノイズにすぎない」と反論している。
こうした反対意見をファーマが言ったというのは、一般の人にとってはどうでもよいことだが、実は因縁がある。2013年にシラーと同時にノーベル経済学賞をもらっているだけでなく、2人の見解がほとんど180度違うので、当時、ノーベル経済学賞というのは信用できない賞だという、従来からの悪評を募らせることにもなった。
シラーの研究は、金融市場というものは非合理的な要素を含むので、常に正しい均衡をもたらすということはありえないという結論だった。一方、ファーマの研究は、金融市場というものは長期的には合理的に動くのであり、結局は正しい均衡をもたらすという結論だった。
実は、ファーマの説は「効率的市場仮説」と呼ばれ、市場の機能を最大限に肯定的にとらえるのに対し、シラーの説はこの効率的市場仮説を実証的に批判するものだったのだから、2人に同時にノーベル賞を与えるほうがおかしいのである。ノーベル財団は、これまでも市場主義の経済学者に与えたかと思えば、次の年には市場主義批判の経済学者に授与するといったことはあったが、同じ年に対立する2人に与えるというのはいくらなんでもおかしい。
さて、この市場をめぐる見解の対立まで考察してきたが、バブルの判断については、先ほどのグリーンスパンの話を思い出していただければ、政策上はきわめてプラクティカルといえる側面をもっていることが分かる。つまり、FRB議長のおかれた政治的立場とか、自己の名声を維持したいとの欲望とか、非合理的要素が入り込む余地は十分にあるのだ。
今回は、このグリーンスパンがFRB議長を退いてからのことを述べて、いちおうの締めくくりをしておくことにしたい。グリーンスパンは、FRB議長という重い責任から解放されると、世界中で講演をして歩くようになるが、その講演料は1千万円から2千5百万円を要求したといわれる。しかも、職務上の秘密までしゃべったので、他の国の中央銀行総裁からは批判的な目で見られた。そして、さらに悠々と自分の思っていたことを書いて本にした。
2014年に刊行した『地図と領土2.0』はかなり気ままに書いた印象を与える本だが、そのなかには次のような文章がある。「バブルは延々と続いた好景気、低いインフレ率、きわめて狭い負債イールドなどから生まれてくる。そうした現象の測定値の集積を、私は根拠にすることができると思っているのだが、これらがバブル発生の必要十分条件なのである。バブルは定義からして崩壊すれば経済は収縮する」。
え? グリーンスパンさん、ちょっとそんなこと言ってしまっていいの? 何のことはない、「バブルは崩壊して初めてバブルと分かる」という日本人の大好きな「名言」は、まったく嘘だったということになるのだけれど、ほんとに何考えているのか。話はまだまだ続く。
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