奇妙な悲しみをたたえる阿部サダヲが怖い;『死刑にいたる病』が残す余韻
『死刑にいたる病』(2022・白石和彌監督)
映画評論家・内海陽子
映画やドラマに登場する殺人鬼は多種多様だが、画期的だったのは『羊たちの沈黙』(1991・ジョナサン・デミ監督)でアンソニー・ホプキンスが演じたレクター博士だ。彼を模倣したような殺人鬼がその後たくさん登場し、物語は凝った仕掛けをほどこし、熱のこもった演技も見られたが、殺人鬼の真の怖さは、観客に仕掛けや熱気の謎を解こうとする余裕を与えないところにある。そういう意味において『死刑にいたる病』で殺人鬼を演じる阿部サダヲは、芯から冷えていて得体のしれない怖さがあり、そのターゲットになる優秀で勤勉な高校生世代を震え上がらせる。
パン屋を営んでいた榛村大和(阿部サダヲ)は24件の殺人事件の容疑者になり、9件で立件された。中学生時代、榛村の店に通っていた大学生の筧井雅也(岡田健史)に獄中の彼から手紙が届き、9件目の事件は自分が犯人ではないと訴えてきた。9件目の事件の被害者は成人女性だ。17、8歳の真面目そうな高校生ばかりを好んで殺害し、爪をきれいにはがすなどの暴行を加える彼のやり口とも違う。別に雅也がそれを調べる義務もないのに、捜査まがいのことを始めてしまうのは、榛村の誘導が巧みだからだ。彼は知能レベルが非常に高く、同じように頭のいい若者の心を捉えるテクニックを持っている。
残忍な殺人事件そのものは既に終わっていることなので、拘置所にいる榛村がレクター博士のごとく脱走でもしない限り新しい事件が起きることはない。問題は、雅也が自分の人生につまずいており、父(鈴木卓爾)との仲が険悪なこと、依存心の強い母(中山美穂)を持て余していることにある。榛村はそれらを見透かしており、彼を自分の思い通りに動かそうとしているように思える。動かしてどうしたいのか、それがこの映画のメインテーマで、雅也もそれが知りたくて深入りする。やがて母と榛村がともに虐待されて育ったこと、母は子を宿して養母に追い出されたことなどが明らかになる。
ここまでくると、雅也が榛村を実の父ではないかと考えるのは当然で、榛村は彼の動揺を知って非常に嬉しそうな顔をする。肯定も否定もしないが、まるで実の父であるかのような心配をし、雅也の信頼感をかきたてる。雅也は自分が殺人鬼の“才能”を受け継いでいるのではないかと考え始めるのだ。人と面と向かって争うことのできない内向的な自分の中にそんな血が流れていたら、と想像するのは甘美でないこともないだろう。
榛村の遠回しな誘導で浮かび上がるのが、顔にあざのある金山一輝(岩田剛典)で、9件目の事件の目撃者だったという男だ。少年時代に榛村とかかわりを持ったという彼の描写が少し浅い気もするが、ともかく雅也と一輝が接近することで、榛村の起こした数々の事件の新たな地平が見えてくる。そしてもう一人、重要な人物が絡んでくるのだが、ここでは秘密にしておこう。
雅也が独自捜査の過程で会う榛村の隣人の発言が興味深い。もし榛村がかくまってくれと頼ってきたらかくまってしまうと言い、雅也もそれに同意するのだ。榛村は人を手なずけるのが得意で、獄中では刑務官と歩きながら朗らかに語らうシーンもある。彼の娘の読書として「赤毛のアン」シリーズの「アンの結婚」を薦める心理など、なぜともなくぞっとする。こういう頭の良さを持つ男に目をつけられて少しでも関心を抱いたら、一生縛られてしまうのではないだろうか。
こんなことも考える。もしかすると榛村が雅也や一輝に施したのは、自尊心の低い子に対する教育で、雅也は独自捜査の過程で苦しみながら、自分の弱点をはっきり認識し、それを乗り越える手掛かりをつかんだのではないかということだ。一輝はどうやら乗り越えることに失敗しているようだが、それはそれで榛村にとっては痛くもかゆくもないことだろう。殺人鬼に仕上がってしまった彼にとって、ほかの人間は人間であって人間ではなく、自分の楽しみのために存在するものなのだ。そのことを、阿部サダヲはいっさい汗をかくことなく、奇妙な悲しみをたたえて表現して見事である。
結末はいささか尻切れトンボのようにも見えるが、ここから先は観客の想像力と人間観が試される。もう一人の人物の真の正体が明らかになり、榛村の仕掛けの全貌が見えたとき、雅也はどうするだろう。あなたが雅也だったらどうするだろう。現実とうっすら繋がって既視感のある物語は、ときどき観客にこういう責務を負わせる。しかと受け止めるも軽く受け流すもあなた次第である。
◎2022年5月6日より全国公開
内海陽子プロフィール
1950年、東京都台東区生まれ。都立白鷗高校卒業後、三菱石油、百貨店松屋で事務職に従事。休みの日はほぼすべて映画鑑賞に費やす年月を経て、映画雑誌「キネマ旬報」に声をかけられ、1977年、「ニッポン個性派時代」というインタビューページのライターのひとりとしてスタート。この連載は同誌の読者賞を受賞し、「シネマ個性派ランド」(共著)として刊行された。1978年ころから、映画評論家として仕事を始めて現在に至る。(著者の近著はこちら)
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