生き生きとした幸福のヒント;加賀まりこが母を演じる『梅切らぬバカ』
『梅切らぬバカ』(2021・和島香太郎監督)
映画評論家・内海陽子
映画から「こんにちは」という声が聞こえてくる。声の主は加賀まりこだが、加賀まりこが演じているというより、加賀まりこに似たステキなおくさんがそこにいるという感じがする。彼女の自閉症の息子・忠(ちゅう)さんは塚地武雅によく似た愛らしいおじさんで、一目で彼のことも好きになる。この母子は、わたしをとても安心させてくれる。お二人の隣に住むことになったら楽しいだろうな。
と映画を観ているわたしは慕わしい気持ちでいっぱいになるが、映画の中に現れる隣人は非常に用心深く、いや、警戒心をあらわにしてこの母子を見る。それが世間というもので、もしわたしがこの映画の中にいたら、やはり同じような態度をとるのだろうか、と少し嫌な気持ちになる。加賀まりこに似たおくさんはそんなことをとっくに見透かしている。
50歳になる忠さん(塚地武雅)は、占いを生業にする母・山田珠子(加賀まりこ)と二人暮らし。隣に越してきた里村家の息子・草太(斎藤汰鷹)はまだ友達ができず、山田家に興味津々だ。引っ越しの最中に転がり込んだ草太愛用のボールを忠さんが届けたことで、母・英子(森口瑤子)の気持ちは和らぐが、父・茂(渡辺いっけい)はかたくなに警戒心を緩めない。誕生日祝いのときに忠さんがぎっくり腰になったのを機に、彼はグループホームに入ることになるが、ホームの存続に関しても町の人々の感情は芳しくない。長年、忠さんを守って来た珠子は話し合いの場に同席し、乗馬クラブの経営者(高島礼子)に「お互いさまだろ、この町があんたの馬を追い出そうとしたか?」とぴしゃりと言う。
珠子が訪れた客に占いをするシーンはわずかしかないが、言いにくいことをズバズバと口にして、けっこう人気があるようだ。不倫相手への未練を断てない若い女に「父親とのいい関係を築けなかった女って(男が)落としやすい」と指摘するが、きっとこれは自分自身のことであり、忠さんの父親の不在の理由がわかる。里村家の英子が挨拶にやってきたときは、離婚を考えている客と勘違いして“不幸な結婚”のオーラをまとっているなどと言ってのける。ここでは怒らない英子の人の好さが伝わり、先行きがやや明るく感じられる。
忠さんが入ったグループホームには4人の先住者がおり、それぞれに癖がある。年長のテツさん(徳井優)は何かにつけ不満の多い人のようで、我知らず、乗馬クラブの馬が逃げ出す事件の引き金になるが、自分のしたことが大ごとになったとはつゆほども思わない。こういう人間同士のすれ違いは一般の人々の間でも起こりうることで、グループホームの入居者に対する世間の常識が、ますます心ないものに思えてくる。ホームの隣家の男性が乱暴に言う「土地の地価が下がるのが心配」がその代表格だ。
とはいえ雨降って地固まる。草太と忠さんのふれあい(失敗)が、両家の本当の顔合わせの機会になり、山田家の居間で「里村茂です」「忠さんです」と名乗り合って乾杯するシーンは大きな山をともに乗り越えたような感動がある。山田家の間に合わせの小さな椅子に座ったのに、すっかり酔っ払ってしまい、大言壮語する茂の様子ひとつで、二つの家族がきちんとした理解に達したという大事なことが伝わる。山田家で交わされた会話を思い切りよく省いて観客に委ねる、和島香太郎監督のセンスの良さが幸福感を増幅させる。
できることなら、珠子さんの占いのシーンをもっと見たいという気持ちがつのる。忠さんがグループホームに入居した後、虚脱感に襲われて元気がなくなった彼女が「新潟から新幹線で来た」という女性に頭を下げて占いを断るシーンがあるが、あの人をぜひ見てあげてほしい。忠さんが家に戻ってきて、福を取り戻したかのような顔をする珠子さんが、人生に迷っている女性たちをどう叱咤激励するのか。その言葉はそのまま、何かに導かれてこの映画にたどり着く観客の心に生き生きとしたヒントになって届くだろう。そんなことを夢想しながら、わたしは我が家の小さな梅の木を愛でている。
◎2021年11月12日より公開
内海陽子プロフィール
1950年、東京都台東区生まれ。都立白鷗高校卒業後、三菱石油、百貨店松屋で事務職に従事。休みの日はほぼすべて映画鑑賞に費やす年月を経て、映画雑誌「キネマ旬報」に声をかけられ、1977年、「ニッポン個性派時代」というインタビューページのライターのひとりとしてスタート。この連載は同誌の読者賞を受賞し、「シネマ個性派ランド」(共著)として刊行された。1978年ころから、映画評論家として仕事を始めて現在に至る。(著者の近著はこちら)
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