早すぎる時間の中での成長;『オールド』にみるシャマラン監督の新境地
『オールド』(2021・M・ナイト・シャマラン監督)
映画評論家・内海陽子
どこのリゾートホテルに「あなた方を好きになったから、特別なビーチにご案内します」と囁く支配人がいるだろうか。わけもなくおいしい言葉を並べるのは詐欺師に決まっているではないか。こんなあやしげなホテルはさっさと出ていくべきだ。このようにものごとを理詰めで考える人には、この映画は向かないかもしれない。映画を観るときには、現実にいるときとは違って警戒心を解き放ち、悪魔のささやきにもためらうことなく従ったほうがいい。M・ナイト・シャマランという悪魔は、いともラフな手つきで、無防備な宿泊客と一緒に観客を風光明媚なプライベート・ビーチへ誘い込む。なぜかガイドは同行せず、宿泊客は大量の飲食物を持たされることになるが、もはや誰も逆らわない。
物語の軸になるのはカッパ家の4人家族。ガイ(ガエル・ガルシア・ベルナル)とプリスカ(ヴィッキー・クリープス)の夫婦は問題を抱えており、11歳の長女マドックスと6歳の長男トレントもそれは知っている。ほかに医師のチャールズ(ルーファス・シーウェル)一家、妻がてんかん患者の夫婦、黒人男性がビーチで顔を合わせる。互いのぎこちなさが消えたころ、時間のマジックに気づく。子どもたちが異常なスピードで成長し始め、2時間半も過ぎるとマドックスは16歳くらいに、トレントは11歳くらいになった。どうやら、このビーチにいると生き物は1日で50年も年を取るということが明らかになる。パニックになって崖の下の道を戻ろうとすると、気を失う。海を泳いで行こうとしても同じだ。
些末なことだが、なぜか彼らの髪や爪は伸びない。そもそも髪や爪は死んだ細胞だから、と劇中で説明されるが、髪には毛根が、爪には爪母があって、そこは生きている細胞ではないか。この設定の中で考えると、髪や爪もそれぞれに異常な生え方、異様な伸び方をして、誰もが見るに堪えない姿かたちになるのではないかと思う。そうなると、演じる俳優たちのメイキャップに手間取り、全体のバランスを調えるのもひと苦労だ。第一、ひどく醜くなるのが困る。そういう結論を得て、あっけらかんと「死んだ細胞だから伸びない」で済ますことにしたのかもしれない。
マジックのお粗末な部分がはっきりして、いくらか人心地がつく。すると、時間というものが人の見た目ばかりでなく頭脳を成長させ、鈍化させ、人間の関係をもどんどん変えていくという当たり前のことに気づく。通常の時間の流れならゆっくりじっくり展開されることが猛スピードで行われる、その面白さがこの映画にはつまっているのである。思春期がすっとんでしまい、予期せぬ生命が誕生する。病気はどんどん悪化する。しかしプリスカの良性腫瘍の粗っぽい手術は、傷口があっという間にふさがるので大成功となる。チャールズの美人妻の持病の悪化は、恐ろしいけれども笑える見ものであり、これぞスリラーの醍醐味といわんばかりだ。
シャマラン監督の作風は、こけおどしを延々見せて怯えさせ、最後の種明かしで驚かせるというものだが、わたしは種明かしで拍子抜けすることが多かった。今回も、ビーチに誘い込まれた全員がやがて死を迎え、おさまりのよくないオチが待つのではないかと予想していた。ところが、このビーチでの2日目の明け方=人生の終わりになり、ガイとプリスカが急激に弱っていくあたりで、夫婦が和やかな表情をするようになる。二人の不和は、過ぎ去る時間によって洗いさらされ、夫婦の間にある純なものだけが残る。見た目には朽ち果てただけだが、幸福な終焉というものを二人は迎える。子どもたちにもそれははっきり伝わる。
となると、この子どもたちこそが生の証を見せなければならない。マドックス(エンベス・デイヴィッツ)の肉体年齢は61歳に、トレント(イーモン・エリオット)は56歳になっている。精神年齢とのギャップを笑いながら、二人で砂の城を作って遊ぶ。ふとサンゴ礁が目に入る。トレントの脳内に閃きが走る。ここから始まる精神の疾走とでもいうべき瞬発力に陶然となる。崖の上から、ビーチに誘い込んだ者たちを記録し、観察している者には決してわからないものをわたしは見ているのだ。早すぎる時間の流れは悪いことばかりをもたらしはしない。早すぎる時間の中で確かな成長を遂げる者もいる。姉弟が見せる向日性は、シャマラン監督の成熟をも証明しているようだ。
◎2021年8月27日より公開中
内海陽子プロフィール
1950年、東京都台東区生まれ。都立白鷗高校卒業後、三菱石油、百貨店松屋で事務職に従事。休みの日はほぼすべて映画鑑賞に費やす年月を経て、映画雑誌「キネマ旬報」に声をかけられ、1977年、「ニッポン個性派時代」というインタビューページのライターのひとりとしてスタート。この連載は同誌の読者賞を受賞し、「シネマ個性派ランド」(共著)として刊行された。1978年ころから、映画評論家として仕事を始めて現在に至る。(著者の近著はこちら)
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