コロナ恐慌からの脱出(10)どの国が何時どこから先に回復するか
新型コロナウイルス感染流行からの立ち直りは、国によって、また経済の分野によって異なるのが当然だろう。しかし、根拠のない過大な評価や見当違いの安堵はこれからの政策を大きく誤らせる。ここで検証してみたいのは、「中国一人勝ち」という説と「農産物サプライチェーンはコロナを乗り切った」という報道についてである。
まず、中国一人勝ちという説はいかにに分かりやすい。たしかに、新型コロナは武漢から世界に伝染したが、すでに中国では新たに感染する者はあまりいなくなり、いまや中国経済は急速な復活を遂げつつあると言われれば、なるほどそうだろうなと信じてしまう。
だからこそ、アメリカのトランプ大統領やポンペオ国務長官は、本当に説得力のある根拠を持っているか否かにかかわらず、新型コロナウイルスは中国が意図的に作ったものだと主張して、自分たちの新型コロナに対する失政を糊塗したくなるわけである。
しかし、武漢にあるウイルス研究所から、何らかのミスによって新型コロナウイルスが流出した事態があったとしても、武漢を中心とした国内各地に蔓延するまで放置するということは、まず考えられない。ましてや、すでにワクチンがあるのに、それを隠しているという説にいたっては、出来の悪い陰謀説というべきだろう。
では、すでに中国経済は順調に回復に向かっているのだろうか。これこそ、習近平をはじめとする中国政府幹部が意図的に作った風評だといってもおかしくない。中国政府はこれから、世界中に察知されてしまった感染初期の情報隠蔽疑惑に打ち勝って、再び多くの投資を呼び込み、また、さらに世界に中国製品を売り込まなくてはならないからである。
それは日本の経済人の一部についても同じことがいえる。これまで行ってきた中国への投資や人脈形成が、今回の新型コロナ騒動で無に帰すようなことがあってはたまらない。それには、中国の評判が下落してもらっては困るのだ。なぜなら、中国の評判の下落は、自分の経済人としての評価の連れ落ちになってしまうからだ。
たしかに、中国経済は回復を試みている。そして、一部においては成果をあげているかもしれない。しかし、全面的に中国経済が力強く復活しているかといえば、とてもそんなことはいえない。それは前回でも触れたように、港湾は活況を呈してきていても、国内の消費やホテルの使用率はかつての半分くらいでしかない。飛行機の乗客数にいたっては2割強くらいで低空飛行しているのである。
そもそも、いまの中国経済が急激にリバウンドするということがありえないことは、こうした新しいデーターを集めるまでもなく予想できる。新型コロナ感染が発覚する以前にも、すでに中国の民間債務は累積されて2100兆円を超えてしまっていた。しかも、そのかなりの部分が長期にわたる不動産バブルによってもたらされた債務なのである。
また、中国経済の急上昇を支えたのは、いうまでもなく「世界の工場」および「世界の市場」が複合した巨大な輸出入だった。輸入額だけでも2005年ころには対GDP比で49%にも達し、その後、サービス業の発展に伴って15%に低下したものの、輸出入両方をあわせた貿易依存度は今も32%を超える、巨大貿易大国=巨大貿易依存国であることは変わりないのである。
その点、アメリカは金額こそ大きいが対GDP比でみれば、貿易依存度は20%そこそこである。トランプ大統領に理性というものがあるとすれば、中国に経済戦争をしかけて自国が勝利すると信じることができた根拠は、この10%あまりの経済構造の違いということになる。(ちなみに日本の貿易依存度も29%を超えており、しかも米中への依存があまりに高いことが、日本経済の脆弱性となってきた)
こうした条件を思い出せば、どうして中国が新型コロナから脱却できただけで、かつての急速な経済成長を遂げた時代に戻ることができるだろうか。そもそも、新型コロナの蔓延によって、こうした巨大な債務と過大な貿易依存は、ますます投資対象としては魅力がなくなり、また、国際社会の貿易パートナーとしては価値が下落しつつあったのだ。
もうひとつの「新しい情報」である、「いまも世界の農産物サプライチェーンが良好に機能している」という説については、いちおう根拠となるデーターが存在する。それは農産物の国際価格が安定していることであり、まるで何もなかったようにすら見えるほどなのだ。
英経済紙『ジ・エコノミスト』5月9日付は「グローバル・フード・サプライチェーンは、厳しいテストをパスしつつある」との社説を掲載し、さらに、その根拠となるデーターとレポートを掲載している。「この資本主義の奇跡は、一枚岩の計画のお陰ではなくて、8兆ドル規模の世界農産物サプライチェーンが、この新しい現実に対応していることから生じている」。
では、その根拠となるデーターを見てみることにしよう。同誌が掲げるグラフを見れば、たとえば、2008年のリーマンショックの直後には、小麦、トウモロコシ、コメなどが急騰した。しかし、今回のCOVID-19ショックにおいては、小麦もトウモロコシもコメも、そして豚肉も、価格は横ばいか下降している。
新型コロナ蔓延のような事態にあっては、需要が異常に増加し買い占めが横行して価格が急上昇してもおかしくない。マスクのようにストックが可能な物の場合には、風説に便乗した買い占めが起こっても不思議ではないだろう。事実、日本ではスーパーから原料が輸入品である小麦粉やホットケーキの素までもが姿を消しているのだ。
ところが『ジ・エコノミスト』はレポート「世界のフード・システムはいまのところCOVID-19の挑戦を切り抜けている」において次のように述べる。「サプライチェーンの洗練されたシステムや、そこに携わる市場参加者の見通しが、いまのところ、巧妙な供給元の転換やサプライチェーンの再編によって、需要と供給へのCOVID-19ショックに耐えている」。
本当にそうなのだろうか。この1週間ほどの海外ニュースを目にした人は、アメリカの牛肉と豚肉の市場が異常をきたしているという報道を思い出すことだろう。『フィナンシャル・タイムズ』電子版4月17日付によると、豚肉加工の大手スミスフィールド・フーズが、従業員238人のウイルス感染によって無期限閉鎖に陥った。
「米国の食を支える労働者は、同国内の貧困層でもある。彼らは狭い場所で暮らし、働いている。つまり、とりわけウイルスに感染しやすい環境に置かれている。食品工場や農場で肩を寄せ合うように働く人々にとって、社会的距離の確保や自己隔離は手の届かないぜいたくなのだ」(同紙日本電子版より)
また、『フォーリン・ポリティックス』電子版5月6日号は、アメリカの牛肉が品不足になったことを伝え、同国では食肉業が過度に統合されてしまっていることを指摘している。「ヨーロッパの食肉加工業とは異なり、アメリカの食肉加工業があまりに高度に統合されている。たとえば牛肉の場合、たった3社が市場の3分の2を支配している。この統合は工場レベルでも同じだ。ひとつの牛肉加工プラントが閉鎖されると、1日だけでも1000万人分の供給が途絶える」。
こうした出来事をニュースから拾っていけば、とても『ジ・エコノミスト』が指摘する「巧妙な転換や再編」によって、サプライチェーンが新型コロナの衝撃に耐えているとは思えない。これまでも、世界的に大きなショックがあったときは、穀物を中心とする食料は価格が高騰するのが普通だったからだ。
もちろん、『ジ・エコノミスト』は比較的長いレポートにおいて、どれほどフード・サプライチェーンが微妙な危険をはらんでいるかを指摘している。たとえば、いま80億人の世界人口の8割は「輸入」された食料を消費しており、昨年、それらの輸入食料に払われた金額は1兆5000億ドルに達し、2000年の実に3倍に膨れ上がっているという。このように食料の輸入への依存がいよいよ高まったところで、今回の新型コロナショックが世界を襲ったのである。
また、カロリー計算で世界食糧の30%を消費する、レストラン、カフェ、学生食堂が閉鎖された衝撃は大きかったという。こうした飲食店や施設においてはプロの料理人が調理するが、彼らが求める食材のパッケージと、家庭料理のために購入される食材パッケージはまったく違うため、今回の新型コロナショックで破棄されてしまう食料が大量に出ることになった。
さらに、すでに行われている各国政府による食料の禁輸措置や、民間業者による買い占めは、価格上昇を生み出して、特に貧困層に大きな影響を与えることになるが、その解決策はまだ採られていない……。
こうした『ジ・エコノミスト』の今回の特集におけるレポートの後半部を読むと、社説で述べたような「奇跡」が、たんなる修辞的な表現というより、本当に奇跡的な現象ではないかと思えてくる。ということは、この「奇跡」がこれからも続くという保証はまったくないのではないだろうか。
高校の教科書にも登場する、コブデンやブライトといった、マンチェスター派の自由貿易主義を掲げてきた同誌が、世界食料市場を支えるサプライチェーンを称賛しても当然だろうと読み進んだが、そのうち、実は同誌は世界の食料市場の危うさを、逆説的に強調したいのではないかと思えてきた。もし、そうでなければ、この特集は社説とレポートの間に大きな齟齬が見られる奇妙な特集ということになってしまうのではないだろうか。
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