『ドライビング・バニー』は振り返らない;アンチヒーローの正義
『ドライビング・バニー』(2021・ゲイソン・サヴァット監督)
映画評論家・内海陽子
物語の主人公になるには、いくらマイナス要素を抱えていても他人を味方にできる力を持っていなくてはならない。この映画の主人公、バニー(エシー・デイヴィス)にはそれがある。もう若くはない彼女は、早朝から、行き交う車のフロントガラスを掃除する違法行為で小銭を稼いでいる。同業者は正業に就けない男子ばかりだが、彼らは彼女をリーダー格と認めているようだ。バニーに人を引きつける力、人をまとめ上げる力、厳しい世の中を生き抜ける力があるからだ。むろん観客も彼女にどんどん引きつけられる。
舞台はニュージーランド。バニーは妹夫婦の家に居候しており、里親の元にいる息子と娘と一緒に暮らせる日を待ち望んでいる。彼女はある罪で服役した身で、家庭支援局の厳しい審査を通らないと子供たちを引き取れない。娘シャノン(アメリ・バーンズ)の誕生日が迫り、焦ったバニーは妹グレース(トニ・ポッター)の再婚相手ビーバン(エロール・シャン)に頼み、ガレージでの暮らしの許可を得る。喜び勇んだのもつかの間、ビーバンが義理の娘トーニャ(トーマシン・マッケンジー)に車の中で言い寄っている姿を目撃する。
自分の立場を考えるいとまもなく怒りを爆発させたバニーは、結局ビーバンの家を追い出されてしまう。彼女は見て見ぬふりをすることができず、怒りを抑えることができない。その性格ゆえに、いやおうなく人生にマイナス要素が増えてしまったのだろう。だが悪いことばかりではない。フロントガラス掃除の同業者セム(ライブリー・ニリ)が同情して自宅に招き、その母親がおおらかにバニーを受け入れてくれる。先住民の大家族の温かさに包まれ、信用されて家の鍵まで渡され、自分の身に起きたことが信じられないバニー。ところが彼女はつい調子に乗ってしまう。
家庭支援局の審査の中には、子供たちと住む家を借りること、というのがある。バニーはセム一家の留守を狙って、担当者アイリン(ザナ・タン)を呼び、借りた家だと嘘をついて案内するが、その最中にセムの母親が帰宅。事態を飲み込んだ彼女は、失望を隠しながらバニーの計略に付き合い、大家と偽って署名までする。苦しい生活を強いられてきた先住民ならではの優しさに、バニーは恥じ入る。家の壁に飾られていた家族写真を丁寧に元に戻し、鍵をテーブルに置いて去るバニーは、かろうじて自分の品位を保ったことになる。
品位と言えば、服装で面接相手の好感度を上げる支援をする団体が紹介される。親切な係員はバニーの眼の美しさを引き立てるパンツスーツ一式を見立ててくれ、彼女は“セクシーなキャリアウーマン”に変身して、とある不動産業者を引っかける。このシーンは、女優エシー・デイヴィスの実力を強調するしゃれたエピソードという気もするが、人を見た目で判断するのはどこも同じだということだ。バニーがもう少し慎重なら、実際に有能なキャリアウーマンになれたはずなのにと残念になる。
しかし子供たちへの愛情で自分自身をがんじがらめにし、突発的な怒りと浅知恵に任せたバニーの人生は歯止めが利かなくなっている。特別な意図もないまま、家庭支援局に立てこもるはめになってしまった彼女の味方は、親に絶望した姪のトーニャだけである。警察の特殊部隊に囲まれて絶体絶命の危機に陥っても、バニーの要求はシャノンの誕生日会をすること。単なる駄々っ子の様相を呈しているのだが、それは観客にだけわかることで、世間的には凶悪犯立てこもりの図なのである。
トーニャが言う。「このまま人生をやり直したい、振り返らずに」。「あたしもよ」と応えたバニーは何事かを決心したはずだが、ここではまだわからない。やり直しがきく人生と、もはややり直しがきかない人生がある。自分の思いを託すにふさわしいのは姪のトーニャだとバニーは感じたことだろう。二人の様子を見ながら、人質になった家庭支援局の職員トリッシュ(タニア・ヘイク)がバニーの理解者になって行くところは、観客にとってこそ大きな救いになる。
エンディングは、女性監督らしく非常にエネルギッシュで皮肉に富んでいる。自分の思いとは裏腹に、バニーは立派なアンチヒーローになって行く。もしかしたら、バニーはようやく運をつかんで、やり直しの利く人生を歩み出したのではないかとすら思う。バニーに向かって「あなたは強い人ね、わかるわ」とある女性が言う。その予言通り、バニーは必ずや復活する。彼女の正義は輝ける伝説になるだろう。
◎2022年9月30日より公開
内海陽子プロフィール
1950年、東京都台東区生まれ。都立白鷗高校卒業後、三菱石油、百貨店松屋で事務職に従事。休みの日はほぼすべて映画鑑賞に費やす年月を経て、映画雑誌「キネマ旬報」に声をかけられ、1977年、「ニッポン個性派時代」というインタビューページのライターのひとりとしてスタート。この連載は同誌の読者賞を受賞し、「シネマ個性派ランド」(共著)として刊行された。1978年ころから、映画評論家として仕事を始めて現在に至る。(著者の近著はこちら)
『愛がなんだ』:悲しみとおかしみを包み込む上質なコートのような仕上がり
『バースデー・ワンダーランド』:情感とスピード感に満ちた贅沢なひととき
『家族にサルーテ! イスキア島は大騒動』:けっして自分の生き方を諦めない大人たちを描きぬく
『エリカ38』:浅田美代子が醸し出す途方に暮れた少女のおもかげ
『ファイティング・ダディ 怒りの除雪車』:本作が断然お薦め! 頑固一徹闘うジジイ
『DANCE WITH ME ダンス ウィズ ミー』:正常モードから異常モードへの転換センスのよさ
『記憶にございません!』:笑いのお座敷列車 中井貴一の演技が素敵!
RBGがまだ世間知らずだったとき:ルース・B・ギンズバーグの闘い
『劇場版おっさんずラブ LOVE or DEAD』常に新鮮で的確な田中圭のリアクション
千葉雄大の孤軍奮闘にハラハラ;『スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼』
成田凌から飛び出す得体のしれないもの;ヨコハマ映画祭・助演男優賞受賞に寄せて
情熱あふれる歌・踊り・群舞;『ヲタクに恋は難しい』の高畑充希になり切る
生きていると否応なく生じる隙間;『街の上で』若葉竜也の「素朴」さに注目!
ヒロインを再現出させる魔術;ゼルウィガーの『ジュディ 虹の彼方に』
オフビートの笑いが楽しい;『デッド・ドント・ダイ』のビル・マーレイを見よ
現代によみがえる四人姉妹;『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』
夜にたたずむ男の見果てぬ夢;『一度も撃ってません』の石橋蓮司に映画館で会おう
長澤まさみの艶姿を見よ!;『コンフィデンスマン JP プリンセス編』は快作中の快作
どことなく滑稽でどことなく怖い;『星の子』にみる芦田愛菜の包容力
挑戦をやめない家族;『ヒトラーに盗られたうさぎ』でリフレッシュ
おらおらでひとりいぐも;田中裕子の『おらおらでひとりいぐも』
内海陽子「誇り高き者の確執、愛憎」;佐野亨編『リドリー・スコット』に寄稿しました
小粋な女性のサッカー・チーム;『クイーンズ・オブ・フィールド』で愉快になれる
娑婆は我慢の連続、でも空は広い;西川美和監督の『すばらしき世界』は温かく冷たい
感情を自在に操ることのできる演技者・水川あさみ;ヨコハマ映画祭・主演女優賞受賞によせて
最高の「嘘っぱち!」物語;『騙し絵の牙』の大泉洋は期待通りの全開
チャーミングな老人映画;『カムバック・トゥ・ハリウッド‼』を見逃すな
「打倒! まとも」が新しい世界を運んでくる;『まともじゃないのは君も一緒』の成田凌を深読みする
役所広司の醸し出す「歴史」;『峠 最後のサムライ』のぬくもり
異様な細部がすばらしい『ベルヴィル・ランデブー』;おばあちゃんの闘争は続く!
恋ゆえに渡る危ない橋『ファイナル・プラン』;リーアム・ニーソンからの「夢のギフト」
王道を行く人情コメディ;やっぱり笑える『明日に向かって笑え!』
「君は世界を守れ、俺は君を守る」;初々しい『少年の君』のチョウ・ドンユイ
漫画家夫婦の不倫ゲームを楽しむ;黒木華と柄本佑の『先生、私の隣に座っていただけませんか?』
未来についての勇気の物語;『愛のくだらない』の藤原麻希がみせる推進力
ムロツヨシの「愚直」な演技力;『マイ・ダディ』の聖なる滑稽さ
ジェイソン・ステイサムの暗く鈍い輝き;『キャッシュトラック』の「悪役」が魅せる
底なし沼に足を踏み入れたヒロイン;『アンテベラム』の終わらない感情
早すぎる時間の中での成長;『オールド』にみるシャマラン監督の新境地
二人はともに優しい女房のよう;西島秀俊と内野聖陽の『劇場版 きのう何食べた?』
おどおどしつつも男の意気地が光る!;中谷美紀と田中圭の『総理の夫』
生き生きとした幸福のヒント;加賀まりこが母を演じる『梅切らぬバカ』
前進する者への確かなエール;リーアム・ニーソンの『マークスマン』
小さな人間にも偉大なことはできる;妻の仇討ち物語『ライダーズ・オブ・ジャスティス』
AIを超える人間の誠意;『ブラックボックス 音声分析捜査』の最後に残る希望とは
体全体で感じる音楽の喜び;『CODA あいのうた』の家族たち
胸がすく女殺し屋の戦闘シーン;『ガンパウダー・ミルクシェイク』から目を離すな!
臨床心理士が逆に心を解読される恐怖;『カウンセラー』がみせる短編映画の切れ味
深い思いやりをもって吸い付くように伴走する笠松則通の眼;ヨコハマ映画祭・撮影賞によせて
肩の凝らない、いいセーター;今泉力哉監督の『猫は逃げた』は恋のトラブルの高みの見物
隠し味が効いてる『ゴヤの名画と優しい泥棒』;実話の映画化はやっぱり喜劇が最高だ!
田中圭の『女子校生に殺されたい』;目当ての少女を見つけ出せ!
生きることはミステリアス;小林聡美の『ツユクサ』がもつ苦味とおかしみ
奇妙な悲しみをたたえる阿部サダヲが怖い;『死刑にいたる病』が残す余韻
「少女」を演じる宮本信子が温かい;『メタモルフォーゼの縁側』は生きて行く活力を伝える
鳥肌が立つほどの軽やかさと上品さ;中井貴一の『大河への道』は裏切らない
あの世への優雅なダンス;『スワンソング』の心地よい風に吹かれて
人生における美しい瞬間;『セイント・フランシス』の小さな体験
「イエス」で答え「アンド」で繋げる未来;『もうひとつのことば』の初々しい二人
永野芽郁のバンカラ女子がいい;『マイ・ブロークン・マリコ』の確かな手ごたえ
『ドライビング・バニー』は振り返らない:アンチヒーローの正義