フク兄さんとの哲学対話(33)カント③『純粋理性批判』をちょっと齧る
大きな事件がつぎつぎと起こるので、湯檜曽温泉から帰ってきてからは、フク兄さんと話す機会がなかなか取れなかった。しかも、ものすごいオミクロン株BA.5の感染拡大と、溶けてしまいそうな炎天の毎日だった。決意してフク兄さんの家を訪れると、いがいにフク兄さんは快適に過ごしているようすだった。( )内はわたしの独白。
フク兄さん おお、よく来たのう。この暑い中を、いかに大思想家の哲学についての対話とはいえ、ごくろうじゃのう。たしか、いよいよ今日はカントさんの主著についての議論だったのう。
わたし よく覚えておいてくれてたねえ。そうなんだ、いよいよ、なんだけど(なんだか、フク兄さんの目が定まらないぞ)、すこし絞り込んで話さないと、何日もかかることになってしまいそうなんだ。(あ、僕がもってきた袋が気になるんだな)。え~と、カミサンから預かったお土産があるけど、これは少ししてからにしようね(ふふふ、残念そうな顔してるぞ)。
フク兄さん ふ~ん、それで「絞り込む」といっても、なかなか大変じゃろう。で、どうする気なんじゃ?
わたし カントの哲学史上での意義は、いちばん最初の「フク兄さんとの哲学対話(31)カント①」で話したから、今回はその話を繰り返すのはやめて、あのときの「独断論のまどろみから覚まされた」という話をもっと詰めてみようと思うんだ。
フク兄さん え~と、その「まどろみから覚まされた」というのは、わしが好きな太っちょ哲学者ヒュームさんの哲学にふれて、カントさんが「これはいかん」と思い直した出来事じゃったな、たしか……。
わたし そうそう、「フク兄さんとの対話」の(24)と(25)で語り合ったように、デヴィッド・ヒュームは人間の能力には限界があって、神のことや未来のことを思いのままに論じることはできないと述べていた。特に驚かされるのは、人間の知性には「因果関係」を見抜く力はないので、わたしたちが「これは原因でこれが結果だ」と断じているのは、たんなる思い過ごしかもしれないという指摘だよね。せいぜい想像力や経験の積み重ねを用いて、どうもこの事件とこの事件には因果関係がありそうだと推測するだけというわけだ。
フク兄さん おお、そうじゃった。それで、カントさんは「目が覚めた」と悟ったわけかな。しかし、カントさんはそれをそのまま、受け入れることができたんじゃろうか。(おお、いい突込みだなあ)。
わたし その通りなんだよね。そのまま受け入れてしまえば、カントはただのヒュームの追随者になってしまっていたわけで、ここでカントは「しかし、まてよ」と考え直すんだ。それまで使われていた哲学用語を、そのまま何の疑いもなく使ってしまうのは独断論といってよいだろう。たとえば、(20)で取り上げたバークリーという哲学者は、使われてきた観念を全面的に肯定して、人間は実は観念だけの世界に住んでいると断定した。となると、われわれが世界だと思っているこの触れる空間は、いったい何なんだということになる。かといって、ヒュームの指摘をそのまま受け入れてしまうと、世界は人間にはまったく分からないままに推移していることになってしまう。実は、さまざまな事件には因果関係があったりなかったりしていても、人間にはそれを判断することができないわけだからね。そこで、……。(ん?)
フク兄さん ちょっと待った。急ぐ旅ではあるまいし、肝心な話をするのは、ちょっと休憩してからにしよう。え~と、さっきの土産を出してはどうかの。(ま、いいか、あんまり待たせると、フク兄さん、気もそぞろになってしまうからね)。
わたし あ、カミサンが、湯檜曽温泉から帰るさいに、買っておいたらしいんだけど、ほら、これだよ。(あ、目に光がともった)
フク兄さん おお、群馬の酒、『聖徳(せいとく)』ではないか。旅館でも飲んだが、再び飲めるとは、ありがたいのう~。(でたぞ、でかい丼)お、ととととととととととと、……ぐび、ぐび、ぐび、ぐび、ぐび、……ぷふぁ~~~~~~~! おお、これは旨い。なんというか、媚びていないというか、まっすぐというか、素直な味が素晴らしいのう~。あ、お前も飲め。ほら、(あ、これまた小さなぐい飲みだ)。
わたし お、とととと、ぐびぐび……おお、群馬のあの温泉町を思い出すな。たしかに、旨い。……さて、話を続けるけど、カントとしてはそれまでの独断論から脱却すると同時に、ヒュームに見られる懐疑論を回避したいと思ったわけだね。そこで思索を続けるわけだけれど、ちょうどこのころ(1769年)、ようやく彼に大学から教授の口がかかっていた。エルランゲン大学とイェーナ大学からで、かなりいい話といえた。ところが、カントはこれらを断ってしまう。そして1年待ってケーニヒスベルク大学での教授席がひとつ空いたところで、自分の故郷の町の大学教授となる。もう四十七歳だった。実は、そうなるのを待っていたんだね。
フク兄さん …………(ん~、ちょっと、酔うのが早すぎないかな)
わたし ケーニヒスベルク大学教授の就任論文として書いたのが「感性界と知性界の形式と原理について」というものだった。人間の知的活動が経験から始まるのは正しいかもしれないが、では、その経験はどうやって受け入れるのか。受け入れた経験は頭のなかでどう扱われるのか。まさに、ヒュームに対する返答といってもよいものだった。しかし、この論文をあれこれ検討していって、『純粋理性批判』として刊行したのは1781年、つまり10年以上もの年月を経てからだったんだ。もう60歳に近いよね。(あれ?)
フク兄さん ……、おっと、ねてない、ねていないぞよ。それで、どんなふうに返答していたんじゃ?(あれ、ちゃんと聞いているんだなあ)。
わたし カントは人間の知的活動が経験で始まることは認める。しかし、ヒュームが前提としていたように、知覚の束となってその経験がそのまま人間に入ってくるとは考えなくなっていた。人間側にも能動的な働きがあるというわけだ。まず、知覚で受け入れるさいにも感性は「空間と時間」という形式で受け入れようとするというんだね。何で空間と時間という2つの形式と分かるかというと、カントによればこの2つに関しては、人間はどのような判断も下せないからだというんだね。
フク兄さん ええ? そうかのう~。わしは空間を自由に生きておるし、時間のなかで自由に暮らしているぞよ。正確にいえば、カミサンのベーさんに、無理やり空間を設定されて、時間も決められて、そのなかで働かされておるがのう、ほっほっほ。
わたし もう、フク兄さんは正しい答えを言っているようなもんだよ。カントの証明は巧妙なもので、空間と時間に関してはどのようなテーゼも「二律背反」に陥ることを明らかにするんだ。たとえば、空間は無限だというテーゼと、空間は有限だというテーゼを立てても、実は、人間はこれをどちらかに判断することはできないんだね。空間は有限だと言っても「では、その有限の外はどうなっている」という問いを立てると、空間が無限であることになってしまう。空間が無限だと言っても「じゃあ、無限はどこで終わるんだ」と言われるとまったく答えられない。つまり、空間と時間は人間にとって感性の「形式」でしかないというわけなんだね。
フク兄さん なんだか騙されているような気もするがのう。……では、さっきの因果関係はどうなるのじゃ?
わたし 因果関係については、感性のほうじゃなくて知性のほうで対応することになっている。感性で受け止めて知性で位置付ける。人間の知性は、カントにいわせると12のカテゴリー(範疇)によって、認識を構成することになっている。この12のカテゴリーは、まず、量、質、関係、様態の4つに分けられ、さらに、量は単数性、多数性、全体性に、質は実在性、否定性、限界性に、関係は実体性、因果性、相互性に、そして様態は可能性、現存性、必然性に分けられるというわけなんだ。こまかい説明はここではやらないけど、ヒュームにおいては想像力や経験の繰り返しで説明していた因果性が、カントの場合には知性のひとつのカテゴリーとして、人間に備わっているものとされている。
フク兄さん なんだか勝手に分類して、「どうだ」と言っているようにも聞こえるがのう。これは、実は備わっていたんじゃ~、といわれてもなあ。ヒック。(かなり回ってきたな、これは)
わたし 実は、最初からカントは同じような批判にさらされることになったんだ。でも、そのたびに納得させながら,細かく分類して見せ、論理だてて説明するので、ちょっと思い付きで反論したくらいでは、簡単に論破されてしまう。そいうことが、カント以降の哲学史で繰り返されてきたんだね。
フク兄さん なんだか人間の頭の中が、理科のおさらいのための表に、分類されてしまったような気がしないでもないがのう~。
わたし カントを批判する哲学者たちはすぐに現れた。有名なのがゲッチンゲン大学のグループで、そのなかのリーダー格は「カントとかいう男は、哲学に関してはまったくの素人だ」と言い放った。でも、それは、カントが哲学史上で大きな転換を行なったことを、逆に証明しているともいえるんだ。彼らはそれなりにカントの『純粋理性批判』を読んだんだろうけど、何をいっているのか分からなかった。というよりも、カントが問題としていることが何なのか、最初の出だしから分からなかったんだろうね。
フク兄さん …………(あ、もう安らかな顔をしている)
わたし もちろん、時代が下るにつれてカントが例として取り上げた分野の事項が、学説としても古くなる事態が生まれた。たとえば、カントは幾何学についてはユークリッド幾何学しか知らなかったけど、20世紀になると非ユークリッド幾何学が普通のものとなった。そのとき空間について、カントの言っているあれこれが正しいかという問題が出てくるけど、それはまた別の問題だろう。
フク兄さん ………むにゃ、ゆうくりっど………。ZZZ,ZZZ
わたし そもそも、ヒュームにしてもカントが激しい攻撃の対象としたのは、20歳代で書いたものが中心になっていて、後年、ヒュームにも、因果関係について考えるさい、もっと柔軟にとらえる傾向が生まれていたといわれる。しかし、そんなことは、当時のカントは知る由もなかったし、知らなくてよかった。そうでなければ、『純粋理性批判』という哲学史を飾る大著が、書かれなかったかもしれないからね。……あれ~、聖徳のビンが空になってるじゃないか。ひどいなあ、……いつの間に飲んだんだろう?
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