フク兄さんとの哲学対話(23)デイヴィッド・ヒューム①善人と呼ばれた哲学者

すこし間が空いてしまったけれど、フク兄さんとの対話を再開することにした。世界はコロナの第2波、第3波で緊張が続いているけれど、ワクチン接種が始まってからは、少しだけ将来に明るさが見えるようになった。さて、今回は懸案のデイヴィッド・ヒュームの第1回目で、彼の生涯を簡単に語り合うことになる。例によって( )内はわたしの独白。

わたし お久しぶりです。フク兄さん、元気だった?

フク兄さん おお、わしは元気じゃが、お前は大変だったろう。なにせ満員の電車に乗って移動する日もあったようじゃからな。で、今日はヒュームという人の話じゃったな。何回も名前は出てきたが、なかなかメインでは取り上げなかったが……

わたし そうなんだ。日本でヒュームは、必ずしも人気のある哲学者ではないけれど、近代哲学を語るさいには、ひょっとすると一番重要かもしれないんだ。ある標準的なドイツの哲学史の本でも、「近代哲学の創始者はカントではなく、実は、ヒュームである」と書いているほどだからね。今日は伝記的な話をするけど、それがまた、変人だらけの哲学者の中にあっては、「善人ヒューム」と呼ばれることがあるほどいい人なんだよね。

フク兄さん ほほ~、一見控えめだが、実はキーパーソンとなる存在で、他の者にも配慮があるというわけじゃな。これは、わしに似ておるの~。(え? なにいってんだ)

わたし ともかく、人生をたどってみるね。ヒューム自身が書いた自伝『私自身の人生』があって、それによると1711年4月26日にスコットランドのエジンバラに生まれた。先祖は伯爵の家系なんだけど、父親の代には傍系で貧乏、しかもヒュームが幼いときには亡くなってしまっている。母親は村の法律家の娘でしっかり者だったらしく、ヒュームは母親と兄たちに育てられたらしい。

フク兄さん また例によって、幼いころより神童だったりするのかのう。

わたし 賢い子供だったとは思うけど、ヒュームの場合はそれよりも、子供のときから文学や哲学に興味をもって、夢中になって本を読むようになり体調を崩してしまうんだ。本の読みすぎでいわゆる神経症になって、食欲もあんまりなかったんだろう、ガリガリに痩せた子供だったらしい。1723年にエジンバラ大学に入学するけど、自分のやりたい哲学をやる時間がなくなるというので、1725年には退学して、その後は自宅に籠って哲学にどっぷり漬かっていた。

フク兄さん いずれにせよ、あんまり活発な子供ではなかったわけじゃな。

わたし 23歳のとき何人かの推薦状を携え、英国の西部にある港町ブリストルにいくんだけれど、そこで商人の見習いを始めて数カ月で「自分はこの世界にはまったく合わないと分かった」と述べている。文学とか哲学が好きで、考えをじっくりと煮詰めるタイプの若者で、すばやく商売のやり方を習得するのには向いていなかったわけだ。

フク兄さん わしも商売には向いてないので、カミサンにいつも怒られているぞよ。存在自体を否定するような文句の言い方をするので、「この家庭には合わないなあ」と時々思っておるぞよ。(このゴク潰しとか、怠け者とか言われるのを聞いたことがあるけど)

わたし それで商人修業は放棄して、フランスに渡って自分がやりたいことをやることにした。つまり、哲学の勉強をものすごい勢いでやり始めたわけだ。この間の生活費や勉強の費用はどうしたのか、書いていないんだ。たぶん、余裕が生まれていた兄たちに仕送りしてもらっていたのだろう。しかも、リトリートという言葉を使っているから、ほとんど「引き籠り」みたいな状態で勉強していたんだろうね。

フク兄さん ますます、わしの人生と似ているのう。(勉強で籠ったなんて聞いてないけど)

わたし でも、ここからがすごい。3年後には生涯の代表作といえる『人性論』(人間本質論)を書き上げて、1737年にロンドンに戻り、翌年、この『人性論』を刊行している。日本人はヒュームといえば『人性論』だと思っているけど、この著作物は23歳で取り掛かり、27歳のときには刊行しているんだ。人文系の学問で主著をこの年齢で出した人物というのはちょっと聞いたことがないな。この本の内容はじっくりと語りあうけれども、簡単にいっておくと、「人間は知覚の束」のような存在であって、したがって、「理性で因果関係を判別することはできない」という、驚くべき主張を行っているんだ。

フク兄さん 因果関係がないというのなら、そもそも、この世がどう動いているか分からないはずじゃろが。

わたし そこで人間は生活の「習慣」によって、これとこれは因果関係があるとあたりをつけられるようになっている。したがって、「道徳とか正義」とかはこうした生活の習慣によって生み出された「人間の作り物」だということになる。短くいっても何のことか分からないかもしれないけど、これからヒュームの主張を詳しく説明していく予定だからね。ともかく、当時の人たちも驚いたし、教会関係者は「この無神論者!」と怒った。

フク兄さん で、その本は大勢に読まれたわけじゃな。

わたし いや、そうじゃないんだなあ。まったく売れなかった。自伝でも「私の『人性論』は印刷機から死産の状態で出てきた」と書いているほどなんだ。もちろん、若くて無名だったということもあるけれど、ともかく今読んでもきわめて厳密な文章の運びで、読むほうがかなり疲れるというのも大きかった。

フク兄さん ふむふむふむ、やっぱり天才は、最初は認められないものじゃよ。わしは経験したから、よく分かる。(あれ、目に涙がうかんでいるぞ)

わたし もちろん、ヒュームは絶望したと書いている。でも、ここらへんがヒュームの不思議なところで、意外に立ち直るのも早いんだよね。1742年には『エッセイ集』をエジンバラで刊行して、そこそこの成績をあげるんだ。何から何まで厳密に詰めたものは読まれないと思って、こんどは経済や政治についてテーマごとに、小割で書いて読者にぶつけてみたら、読んでもらえたというわけだ。しかも、エジンバラでは母親と兄たちの家に厄介になって、栄養のあるものを食べるようになったら、ガリガリの体がリバウンドして肥満型になってしまい、この体形は一生変わらなかったといわれる。

フク兄さん おお、ここらへんも、わしとそっくりじゃなあ。わしも、むかしはスレンダーだったが、いまはちょっと恰幅がよくなっていて、風格があるといわれるんじゃが、やはり精悍で細っこかった昔が懐かしいのう。

わたし さて、ここらで少し休みをいれよう。今日はちゃんと用意してきているんだ。ほらね。(お、フク兄さんの目が光った)

フク兄さん おお、八海山ではないか。弟よ、でかした! さあ、これがお前のぐい飲みじゃ。それで、これがわしの盃。(また、ご飯茶碗じゃないか)。ささ、注いでおくれ、おとととと、………ぷふぁ~! やっぱりうまいのう。文句なし。味わいが深いのに、透明感がある。すぐれた著作はこうでなくてはならない。

わたし おととと、………おお、うまい。やっぱり、八海山は別格かもなあ。さて、ヒュームなんだけど、その後は常に売れたわけではないけど、著作をいくつも書いて刊行するようになる。評判を聞いた貴族が、子息たちの付き添いでフランスに行く仕事とか、秘書とかの仕事を依頼するようになるんだ。そうした仕事をこなしながら、フランスの知識人との関係も深めている。

フク兄さん なんだか英国の哲学者というのは、大学教授より貴族の秘書が多いのう。

わたし 哲学だけでなく『英国の歴史』などでも高い評価を得たし、経済学などのエッセイでも功績を残した。本当はエジンバラ大学で講義をしたかったらしいけれど、なにせ中退者だったし、無神論の嫌疑もかけられているので、それは最後までかなわなかったらしい。有名になっても慇懃で、フランスなどでも「善人デイヴィッド」と呼ばれたらしい。もっとも、この「人の好さ」が、ルソーが英国に逃亡するさい誠心誠意の手助けをしたのに、最後には「裏切者!」などと罵られて不快な思いをすることになる原因でもあったのかもしれない。この話も2回目か3回目に詳しくやりたい。

フク兄さん 今日はヒュームの人生の話を聞いていて、ときどき、涙がこぼれそうになった。どう考えても、わしの山あり谷ありの生涯と似すぎている。ときどき、来し方を思い出して胸がつまった。さあ、これからヒュームについて、しっかり語り合おうぞ。(こまったなあ、まったく違うと思うんだけど。……ま、いいか)

わたし あ、八海山、おとととと、これはこれは……ぷふぁ~、ほんとうにうまいね。次回は『人性論』の第1部について、くわしく述べるからね。乞う、ご期待。(今回は、フク兄さんは居眠りしなかったなあ。なんだか、悪い予感もするけれど)

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