トランプ経済を乗り切る(3)ドナルド・トランプの思想的源流をさぐる

ほとんど思いつき次第のようなトランプ大統領の経済政策だが、その思想的水脈をたどる試みがいくつも行われている。トランプ経済についての思想的アプローチなど、無意味だと思う人も多いかもしれない。しかし、政治家が採用した経済政策には、そのブレーンの経済学や思想的背景が関係していることは間違いなく、また、その経済専門家の思想的背景をたどっていくと、もっと大きな時代精神といったものに突き当たる。それはドナルド・トランプについても当てはまるので、少しばかり書いておくことにする。

トランプ自身が尊敬すると表明している過去のアメリカ大統領は、ロナルド・レーガンであり、そして、アンドリュー・ジャクソンであることは知られている。第7代大統領のジャクソンについては、アメリカ大統領の類型研究で知られる国際政治学者のウォルター・ミードが「トランプはジャクソン型」と断じており、その概要についてすでに書いたことがある。レーガン大統領については、社会主義的政策への激しい批判や、福祉国家に対する嫌悪、そしてアメリカの栄光への憧憬において、トランプが大きな影響を受けている(あるいは真似をしている)ことは明らかだろう。

そこで、レーガン自身はどのような思想に影響を受けたのかが問題になるが、これまではレーガンがハリウッド俳優であり、当時は民主党系でバリバリの俳優労働組合委員長であったことから、その転向にいたる経緯と1980年代のミルトン・フリードマンが唱えたマネタリズムや、変人教授が唱えたラッファー曲線から遡及的に考えて納得していたところがある。すくなくとも日本でレーガン時代を論じるさいにはそうだった。レーガンは福祉国家に対して激しく批判し、冷戦の末期にソ連と真っ向から対決していたから、それで分かったような気になれた。しかし、もっと浸透度の高い人間の生活レベルの思想として、レーガンに何があったのか、何が支えとなったのかは、あまり詳らかにはされなかった。

英経済誌ジ・エコノミスト7月10日付は「トランプはウィリアム・F・バックリー・ジュニアに何を負っているか ほとんどすべて」との記事を掲載している。バックリーあるいはバックレ―は、アメリカの保守系ジャーナリズムを深く知る人にはおなじみのジャーナリスト兼作家だが、日本人にとっては疎遠なキャラクターといってよい。同誌6月26日付は書評欄で1000ページを超えるサム・タネンハウス著『バックリー:アメリカを変えた人生と革命』を取り上げており、今回の小論はこの著作と書評に触発されたものであることは間違いないだろう。

では、このウィリアム・F・バックリーとはどんな「思想家」だったのか。「反国家主義と低税のビジョンを体現したロナルド・レーガンが大統領に当選するずっと以前から、バックリーは、こうした伝統的立場と新しい階層の支持者の増加なかで、両者をどのように調和させるかに苦慮していた。民主党政治への批判のなかで使用された『忘れられたアメリカ人』という言葉は、他の多くのトランプが使う言葉と同様、バックリーが苦闘していた時代から使われていたものなのだ」。

バックリーの著述家兼思想家としての出発は、イェール大学在学中に書いた「いわゆる保守派とは」との論文だった。このなかでバックリーは「論争を不快なほど軽蔑しており、闘うエネルギーをほとんど持ち合わせていない」と当時のアメリカの保守派つまり共和党支持知識人を批判した。バックリーは1925年に敬虔なカトリック教徒の家庭に生まれ、思想的にもコンサバティブだったから、ルーズベルト時代のアメリカにおける共和党系の政治家や活動家のふがいなさを、憤って書いた一文だった。

バックリーは29歳のとき(1955年)に雑誌『ナショナル・レビュー』を創刊して、社会主義に向かうのが歴史的必然だとか、福祉国家の建設を自明なものとする言論に批判的で、そうした「歴史に逆らって『ストップ』と叫ぶこと」を訴えた。この時代のバックリーは、人間の活動に介入する国家権力を懐疑の目で見つめ、いわゆるリベラルな勢力と闘うことを望み、断固たる反共産主義者だったという。

バックリーの言論人としての頂点は、ロナルド・レーガンが大統領に当選したときであり、レーガンが読者でもあったことから、自分が発行している『ナショナル・レビュー』について、「これからはジョークを求める人は他誌を買うべきで」、同誌は「アメリカ社会における重要性を帯びるに至った」と自画自賛してみせた。これは同誌が辛辣なジョークを多用して読者の関心を引きつけることが売物だったことを考えれば、バックリー流のジョークと言えるだろう。2008年没。57年におよんだ活動時期に50冊以上の本を刊行し、そのうち25冊が小説だった。

若いときから晩年にいたるまで、時代と対決して執筆やテレビ出演を続けたが、必ずしも一貫した政治的立場を貫いたわけではない。たとえば、著作には『大衆への反逆』という著作があるが(同タイトルの本を書いた日本人がいたが、そのことについて今回は省く)この著作では黒人には選挙権を与えないことを主張しており、それは後のバックリーの思想とは異なるので、結局、上梓しなかったことは幸いだった。一時は赤狩りのジョセフ・マッカーシーに近づいたこともあるが、バリー・ゴールドウォーターが大統領候補として浮上したときには強く支持し、そのいっぽう、リチャード・ニクソンには疑いをもっており、彼が中国と国交回復したことで完全に批判の対象となった。

やや、バックリーの紹介が長くなってしまったが、では、いまのアメリカ大統領であるドナルド・トランプへの影響と、彼との比較についてはどうだろうか。ジ・エコノミスト7月10日号の記事のタイトルを見て誤解した読者は多かったと思うが、同記事が本当に言いたいことは、バックリーはトランプとは肝心の点でまったく異なっていたということなのである。「バックリーの見解、特に人種問題においては時とともに変化した。若い頃は南部の人種差別を擁護していたが、1960年代後半には『黒人大統領が必要だ』とすら述べた。1976年には人種差別的発言のレスター・マドックスが大統領候補に浮上したさいには、彼を「文字をろくに読めない人種隔離主義者」で「狂暴な右翼の熱狂の泥沼」に棲んでいると批判するようになった」。そして、最後は次のように締めくくられている。

「バックリーはイラク戦争をめぐって共和党と袂を分かったが、これを聞いたら反トランプ勢力は感銘を受けただろう。今日のアイデンティティに執着し社会主義に妙に甘い民主党の支持者でもなかったはずだし、もちろん、トランプ支持者の先駆者でもあり得なかった。トランプの下品さ、無知、そして国家権力の私的乱用については激しく憤慨したことだろう。彼はアメリカの保守主義のために戦うことを心から楽しんだのであり、彼がいなければ、アメリカの政治はもっと悪く、そして陰鬱なものになっていただろう」。

こうしたバックリー論は、それ自体が形式的な思想分類だけからすれば、多くの矛盾を持つものだが、ひとつだけ一貫しているのは、保守思想家には品位が不可欠だということである。もちろん、それは保守政治家にとっても不可欠といいたいところだが、現実の政治のなかで多くは望めない。オルテガが述べた「精神の貴族」は難しいとしても、せめて、保守思想を論じる人たちだけには、最低限の品位は保ってほしいものだ。しかし、日本の現実をみれば、いまの保守とはただのマッチョ主義の極論オタクで、誰よりも罵詈雑言を吐き、それなのにアメリカなど強いものには巻かれることを率先して是認し、やることはケチな自己利益ファースト。そして何かいわれると汚い言葉で2倍返しするのだから呆れるしかない。

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