好きよりももっと好きな二人の関係;『からかい上手の高木さん』は十年かけて育てた初恋の物語
『からかい上手の高木さん』(2024・今泉力哉監督)
映画評論家・内海陽子
昔、勤めていた会社にちょっとした美人Aさんがいた。彼女は近眼らしく、間近で相手の目をしっかり見つめて話す癖があった。女のわたしでも戸惑うことがあったが、何人かの男性が「Aさんは俺に気がある」と言っていると知って驚いた。男というものはなんて単純で自惚れが強いのだろうと思った。本当に好きな相手に対して、じっと目を見て話すことができる女子などほとんどいない。中には、好意を率直に表すことが断固としてできず、むしろ嫌っているような態度を取ったり、相手を執拗にからかったりする女子がいる。この物語の高木さんは後者のタイプである。
おそらく単純で自惚れが強い男子中学生が多く存在する中で、高木さんが西片を選んだのは、彼が少しとろいからだろう。ちょっと抜けたところのある女子を好む男子がいるように、ちょっととろい男子を好む女子もいる。テキはとろいのだから、いくらからかっても、それが好意だとは察してくれない。それどころか西片は、高木さんのからかいを好意と受け止めたい気持ちを打ち消し、それは自分の願望あるいは勘違いだと信じているので、いっこうにらちが明かない。こうして中学生の二人は二十代半ばになってしまった。
故郷の島の中学校で体育教師をしている西片(高橋文哉)は、教頭の田辺先生(江口洋介)から、教育実習生の指導をするように命じられた。その実習生は、十年前、机を並べていた高木さん(永野芽郁)で、呆然とする西片に、光り輝くばかりの笑顔を向けるのである。
すっかり上がってしまった西片は、またしても彼女の掌で転がされる日々を迎えることになった。なんとかからかい返したいと思っても、彼の実力ではどうにもならず、しかも、それがなんとも言えず心地よく、この日々が永遠に続いてほしいとすら思う西片である。
この微笑ましい二人を見て「なんかいいっすね、青春っすね」と的確に評するのは不登校を続けている生徒の町田(齋藤潤)だ。高木さんはかまえることなく、町田を気遣うように寄り添う。いっぽう、町田を不登校状態に追い込んだのは自分が彼に告白したせいではないかと悩む女子生徒・大関(白鳥玉季)がおり、彼女はこの悩みを西片に訴える。西片は気取らずに温かく受け止め助言する。高木さんも西片も非常に優れた教師だということがわかる。二人は生徒を見守り、生徒に見守られて、少しずつ前進することになる。
ここから、今泉力哉監督ならではの人間観察とその描写が冴えてくる。高木さんが“好きな男子をからかう”ことから一歩も出ないのに引き換え、大関さんは一歩踏み込んで好きな男子に告白し、その結果に逡巡する。彼女の感覚こそは、従来、今泉力哉が描いてきた世界だろう。演じる白鳥玉季は、西川美和監督『永い言い訳』(2016)の子役時代から見事な成長を遂げ、恋をして思いつめた少女の内面を高い熱量で演じる。その熱量が、高木さんと西片の背中を押したと言っても過言ではないだろう。
フランスで美術を学んできた高木さんは、絵がうまくなるにはどうしたらいいか、という生徒の質問に「相手をよく見ること」、「たくさん描くこと」と答える。この極意はからかう際にも大事なことで、要は、時間をかけて思いをこめよ、ということだろう。その思いは見事に花開き、まるで試験官のような高木さんと、卒業試験を受けている学生のような西片の、とても人様には見せられない、感動的で妙ちくりんなラブシーンに至るのである。
西片の脳裏に現れるおばあちゃんになった高木さんは、ほんとうにきれいで可愛い。実際、こんなおばあちゃんばかりなら、誰でもわくわくして老年期を迎えられるだろう。実際はそうではないことを、西片が知らないわけではない。だが、いま、精いっぱい想像する可愛いおばあちゃんの高木さんを守るのは俺だ、という気持ちを彼は十年かけて育ててきたのである。「からかうことは好きよりもっと好き」という高木さんの本音を全身全霊で受け止めたのである。おめでとう! 初恋を成就させるとはまったく見上げたものである。
◎2024年5月31日より劇場公開
内海陽子プロフィール
1950年、東京都台東区生まれ。都立白鷗高校卒業後、三菱石油、百貨店松屋で事務職に従事。休みの日はほぼすべて映画鑑賞に費やす年月を経て、映画雑誌「キネマ旬報」に声をかけられ、1977年、「ニッポン個性派時代」というインタビューページのライターのひとりとしてスタート。この連載は同誌の読者賞を受賞し、「シネマ個性派ランド」(共著)として刊行された。1978年ころから、映画評論家として仕事を始めて現在に至る。(著者の近著はこちら)
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