生きる上で幸福は花火のよう;『夜、鳥たちが啼く』の晴れやかな世界への出発
『夜、鳥たちが啼く』(2022・城定秀夫監督)
映画評論家・内海陽子
深刻な顔をして物を書く人を見るのは苦手だが、この映画で小説家・慎一を演じる山田裕貴はどことなくアクティヴな気配がしてわるくない。それはわたしがテレビドラマ「ハコヅメ~たたかう!交番女子~」(2019)で汗臭い刑事を演じる山田裕貴を見て楽しんだせいであり、彼の肉体から書くことへの挑戦がにじみ出ているからだろう。若くして文学賞を受賞したが、その後の作家人生が思うようにいかない男の、“ひと夏の恋”を思わせる一編だが、“ひと夏”というのはあくまで私見で、この恋は幸福なまま続くかもしれない。
共に暮らした文子(中村ゆりか)に去られた慎一は、母屋をシングルマザーの裕子(松本まりか)と小学生の息子・アキラ(森優理斗)に提供し、自分は仕事部屋にしているブレハブ小屋に住むことにした。脳裏をめぐるのは文子とのぎくしゃくした日々で、それを小説にしているのは、まるで記憶で自分を罰しているかのようだ。裕子が母屋に新しいカーテンをかければ、文子が趣味のよくないカーテンをかけた日を思い出し、そのカーテンは彼女の勤め先のスーパーの店長がくれたものだと思い出す。思い出せば思い出すほど心身をさいなむ出来事を、それでも慎一は思い出し、書かずにはいられない。
だんだん慎一と裕子の関わりが見えてくる。かつて文子との暮らしに悩んでいた慎一を、職場の先輩が励まそうと自宅に招き、彼の妻・裕子がきさくにもてなしてくれた。その後、先輩は裕子と別れることになったが、その原因は慎一と無関係ではなく、そのせいもあって彼は知らぬふりはできない心境になっていた。アキラと住むアパートが見つかるまでと裕子は言うが、慎一にとってはどうでもよく、ただ一点、アキラの寂しそうな様子が気になる。日々心の傷と向き合う慎一は、親の離婚に伴うアキラの動揺に敏感である。それはわるいことではないが、裕子にとってはまた別の感情との戦いになる。
中盤、この三人の感情が大きく動き出す。まず、夜の眠りから目覚めたアキラがこの宙ぶらりんな状態に業を煮やしたか、母屋に来た慎一に「おかあさんのこと嫌いなの?」と問う。この質問の裏には「おかあさんは慎一くんのことが好きだ」という確信めいたものがあるはずだ。慎一は「そんなことはないよ」と答え、アキラが三人で家族になりたいと望んでいることに気づく。ところが大人には大人の事情があり、ことはそう簡単にはかたづかない。そこへ、深夜の町で憂さを晴らしていた裕子が帰ってくる。
この後の展開は予想がつくだろうが、人間が互いに心から求め合うラブシーンを久しぶりに見たような気がする。言葉はいらないし、言葉は何も説明できない。こらえきれない感情があふれ出し、どこへ行きつくかわからない不安とともに二人を強く結びつける。本来、こういうのを結婚というのだと思う。慎一と裕子は最高の結婚をして朝を迎える。もう、鳥たちが啼く声は聞こえない。ひっそりとして、二人の朝を祝福しているようだ。このシークエンス全体に、城定秀夫監督の静かな気迫が感じられる。
城定監督は、今年、すでに『愛なのに』『女子高生に殺されたい』『ビリーバーズ』と精力的に監督作品を発表しているが、わたしにはこの『夜、鳥たちが啼く』が最もしっくりくる。売れない作家、恋のつまずき、結婚の失敗、成就困難な新しい恋、といったネガティヴな要素がちりばめられているのに、描写に作者の余計な感情移入やセンチメンタリズムが持ち込まれていないのだ。晴れやかですっきりした世界への出発点として観客の心に残るように創造されている。演じる山田裕貴と松本まりかが、そのことをよく理解していることも、全編を通して伝わってくる。つまりかっこいいのである。
いつのまにか擬似親子のようになった三人は花火見物に行くことになるが、その前にピザ屋で食事するシーンがある。そこでの雰囲気が抜群だ。幸福というものの描き方は多種多様だと思うが、きっとこのシーンは三人にとって最良の記憶として未来に繋げられるのだろう。肝腎の花火の場面はどうしたのかしらと思えば、これはとっておきの場面となって、観客にプレゼントされる。そのこともこの映画の設計図の周到さの表れであり、作者の自信の表れだと思う。生きる上で幸福は花火のように一瞬のことかもしれない。しかし、それは永遠にとどめておくことができる。
タイトル:『夜、鳥たちが啼く』/ コピーライト:© 2022 クロックワークス
公開表記:12月9日(金)新宿ピカデリーほ か全国公開/製作・配給:クロックワークス
内海陽子プロフィール
1950年、東京都台東区生まれ。都立白鷗高校卒業後、三菱石油、百貨店松屋で事務職に従事。休みの日はほぼすべて映画鑑賞に費やす年月を経て、映画雑誌「キネマ旬報」に声をかけられ、1977年、「ニッポン個性派時代」というインタビューページのライターのひとりとしてスタート。この連載は同誌の読者賞を受賞し、「シネマ個性派ランド」(共著)として刊行された。1978年ころから、映画評論家として仕事を始めて現在に至る。(著者の近著はこちら)
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