永野芽郁のバンカラ女子がいい;『マイ・ブロークン・マリコ』の確かな手ごたえ
『マイ・ブロークン・マリコ』(2022・タナダユキ監督)
映画評論家・内海陽子
悲劇の主人公が、いかにも悲劇の主人公として観客に共感を迫るのは二流だ。たいていの悲劇は他人にはさしたる悲劇ではなく、ときどきかなり滑稽なことすらある。この映画の主人公、シイノトモヨ(永野芽郁)はさえない会社の冴えない営業マンで、ある日突然“ダチ”の死を知る。その後の彼女の行動はすぐさま他人の共感を得るものではないが、それゆえに悲劇の主人公として一流である。初めはなんとなく目が離せないだけなのに、最後に圧倒的な共感を観客に与えるからだ。
幼いころから父親の虐待にあってきた幼なじみのマリコ(奈緒)が飛び降り自殺した。シイノは愕然とし、「今からでもあたしにできることはないの?」と激しく動揺する。早くからタバコを吸っていたシイノの家庭環境は描かれないが、マリコとだけ心を通わせる様子から、彼女もさして幸福な家庭で育ってはいないということが察せられる。突発的に台所から包丁を持ち出し、マリコの実家にやって来た彼女は、にっくき父親(尾美としのり)が遺骨と遺影を前に肩を落としているのを見て激高する。暴力的に遺骨を奪ったシイノは逃走し、マリコの思いを探り続けて「二人で海へ行こう」と決心する。
思い出したのは「まりがおか岬」。弱虫で自意識の強いマリコらしい少女趣味だが、シイノは夜行バスに乗ってそこへ向かう。「今度こそあたしが助ける」とは思ったものの、何がマリコを助けることなのか皆目わからない。シイノに手紙をよこすのが大好きだったマリコの手紙を読み返していると、過去のさまざまな場面が脳裏をよぎる。正直なところ、海だとか手紙だとか、あまりにありふれていて、物語としての吸引力が飛びぬけているとは思えない。しかしシイノが路線バスに乗るあたりから、わたしは同行者になる。それは永野芽郁がそうしてくれと言っているように思えるからだ。
長いキャリアを持つ永野芽郁は映画出演も多いが、わたしはテレビドラマ「ハコヅメ~たたかう!交番女子~」(2021)の彼女が一番好きだ。可愛くて生き生きとしてひょうきんで誰もが守ってあげたいと思うタイプだ。ほかの作品も、おおむねこのタイプから外れない。しかし、この映画のシイノは、ひとりでラーメンをすすり、汚い喫煙所でタバコをふかし、靴といえば、営業用のパンプス以外ろくな靴を持たない、ふてくされた子供っぽい女子である。誰もが守ってあげたいと思うどころか、誰もそばに近寄りたくならない女子である。それが見ているわたしには特別な女子に見えてくる。
それはきっと、映画の作り手がそういう女子を大事に思っているからだろう。女の子らしく従順で愛らしく、誰もが味方になるタイプではなく、意固地で怒りっぽく我を忘れて突っ走るわかりにくいタイプ。そういうタイプの女子の中にある純情を大事に思っているからだろう。路線バスの中で、群れずにひとりで乗車した女生徒にシイノが目を留めるシーンがある。女生徒の発する匂いが、自分と同類のものだったからだ。降車した彼女にそっと手を振ると、彼女もそれに応えて手を振る。手を振るという行為には、単なる挨拶以外に、ほんとうの別れを告げる意味もある。これがひとつの布石になる。
シイノ自身が発する匂いにも敏感に反応する人がいる。窮地に陥ったシイノに一万円を渡し、名乗るほどの者ではないと気取りつつ “ナリタ マキオ”と記した釣り道具箱を持つ男(窪田正孝)だ。同じ匂いを発する三人が、まりがおか岬で再び結集し、助けたり助けられたりして、やっかいな壁を乗り越えることになる。それこそ、他人から見れば大した壁ではないかもしれない。しかし誰もがいつか体験し、体験して初めてわかる生きる秘密のようなものがここにある。それを共有できる人に、最も大事な瞬間に遭えることこそ僥倖である。僥倖の瞬間がクスっと笑えるものであることがまた素晴らしい。
「人に会うには、自分が生きているしかないんじゃないでしょうか」。ナリタ マキオと思しき男が、とつとつと口にする言葉が矢のようにわたしの胸にも刺さる。これほど平明に生きることの極意を伝えられる男もいるのだ。自信のなさそうな彼が精一杯に、似た匂いのする、世話の焼ける女に手を差し伸べる。窪田正孝の醸し出す優しさは父親の慈愛にも似て、押しつけがましさのない善意に溢れている。
このシイノというバンカラ風の女子は、おそらくタナダユキ監督の最も好むタイプの女性像であり、彼女自身に近いメンタリティーを持つ存在だろう。わたしにとっても同監督の『百万円と苦虫女』(2008)以来、久々に確かな手ごたえを得られる女性像になった。むかつく上司(本当はそうでもない)に退職届を破り捨てられ、変わらぬ日常に戻ったシイノの姿をずっと見ていたいと思うほど愛おしい。
◎2022年9月30日より公開
内海陽子プロフィール
1950年、東京都台東区生まれ。都立白鷗高校卒業後、三菱石油、百貨店松屋で事務職に従事。休みの日はほぼすべて映画鑑賞に費やす年月を経て、映画雑誌「キネマ旬報」に声をかけられ、1977年、「ニッポン個性派時代」というインタビューページのライターのひとりとしてスタート。この連載は同誌の読者賞を受賞し、「シネマ個性派ランド」(共著)として刊行された。1978年ころから、映画評論家として仕事を始めて現在に至る。(著者の近著はこちら)
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