料理が結ぶ恋愛関係;『デリシュ!』で楽しむ幸福の味
『デリシュ!』(2020・エリック・ベナール監督)
映画評論家・内海陽子
今はお金さえ出せば誰でも最高級の料理を味わえるが、貴族だけが自分の料理人を持ち、贅沢三昧をしていた時代があった。この映画の冒頭に登場する貴族たちは、いかにも下品で心ない人々だ。革命前夜のフランスであれば当然の堕落ぶりなのだろうが、それとは別に、美食を権力ととらえる感覚を恥じることない姿が痛烈に批評される。心を込めて創作した料理を彼らに嘲笑されたばかりか、雇い主の公爵(パンジャマン・ラヴェルネ)に謝罪を要求され、それを蹴った料理長マンスロン(グレゴリー・ガドゥボワ)は誇り高い男である。彼は公爵に失恋したような気持を抱いて屋敷を去る。
意気消沈したまま実家に戻って料理を捨てた彼を、息子のパンジャマン(ロレンゾ・ルフェーブル)は叱咤激励するが、どうにもならない。そこに雰囲気のある中年女性ルイーズ(イザベル・カレ)が現れ、弟子にしてくれと言う。その熱意に負けて彼女の金を受け取り、野生の食材に接すると、マンスロンの中に次第に料理への情熱が甦ってくる。ルイーズに目を閉じさせていくつかの食材を食べさせ、それを当てさせる儀式はどこか神聖で緊張感に満ちたものになるが、気分が高揚したマンスロンは彼女に触れようとして手厳しくはねつけられる。彼女はまだ正体を明かしていない。
料理をしたくなる気持ちというのは、新しい恋の芽生えに似たものだろうか。焼き上げて庭先に置いたパンを次々に盗んでいく庶民の子を見逃して、マンスロンは「平和を買っている」と言う。彼の亡き父はパン職人で、実家はかつて人々に襲撃されたことがあるのだ。公爵一家にだけ捧げられてきた料理する喜びは、次第に一般の人々の胃袋を満たす喜びに変わり、新しい食事の形式=レストランを生み出すことになる。その過程が、心地よい音楽が演奏されるように描かれる。料理する場面は簡潔でリズミカルでこれ見よがしにならない。マンスロンが手にする食材たちが華やかに嬉しそうに踊りまわっている感じだ。
やがて評判を聞きつけた公爵が愛人の伯爵夫人を伴って彼の店を訪れると言ってくる。だが傲岸不遜な公爵は予定を早めたり、(わざと)素通りしたりしてマンスロンを苦しめる。あっさり自分の元を去った彼への一種の復讐なのだろう。料理が結んだ恋愛関係というのはなかなか厄介なものである。公爵は公爵で失恋していたのであり、美食と色事しか頭にない脆弱な貴族のもの悲しさが漂う。このあたりで目を引くのは、公爵とマンスロンの中継役を務める執事(ギューム・ドゥ・トンケデック)の旺盛な食欲とエネルギッシュな振る舞い。彼のその後の豹変が見てのお楽しみである。
物語はクライマックスに向けてじわじわと面白味を増していくので、あまり具体的に紹介するのは控えたほうがいいのだが、マンスロンが公爵の元を訪れる場面には少しだけ触れたい。公爵は深夜の厨房で、気に入らない料理人が作った気に入らない料理を無造作に口に運んでいる。どうにか面会を許されたマンスロンは、公爵を自分の店に招待したいと丁重に頼む。気が緩んだ公爵は「おまえのマヨネーズが懐かしい」とつぶやき、マンスロンはすかさず即席の一品を作り上げ、公爵の胃袋をわしづかみにする。
マンスロンの創作した料理はじゃがいもとトリュフのパイで“デリシュ―”と名付けられた。じゃがいもを嫌悪する貴族の一人は「地下のものを使うとは良き料理人にあらず」と難癖をつけたが、それを口にした者はことごとくその味わいのとりこになる。公爵が連れ回す愛人がじゃがいも好きというのも一興で、公爵は公爵なりにマンスロンへの謝罪めいた意識を持っていたのかもしれない。しかし、彼が大変な悪事を働いていたことが露呈して、マンスロンの彼に対する未練はかき消えた。今、マンスロンの胸に燃え立つのは、自分に料理人としての意欲を取り戻させてくれたルイーズへの思いである。
「アミューズからデザートまで一皿ずつお出しします、ファランドール(民族舞踊)のように」と、マンスロンは新装なった自慢のレストラン「デリシュ―」で高らかに宣言する。レストランにやって来てファランドールを楽しむ人々を祝福しながら、カメラはおおらかに空高く舞い上がる。息子のバンジャマンが空を飛ぶことを夢見ていたように、マンスロンの心はどこまでも高く舞い上がり、人々を美しく幸福にする。観客をも離れがたい気持ちにさせる佳作である。
◎2022年9月2日より全国公開
内海陽子プロフィール
1950年、東京都台東区生まれ。都立白鷗高校卒業後、三菱石油、百貨店松屋で事務職に従事。休みの日はほぼすべて映画鑑賞に費やす年月を経て、映画雑誌「キネマ旬報」に声をかけられ、1977年、「ニッポン個性派時代」というインタビューページのライターのひとりとしてスタート。この連載は同誌の読者賞を受賞し、「シネマ個性派ランド」(共著)として刊行された。1978年ころから、映画評論家として仕事を始めて現在に至る。(著者の近著はこちら)
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