深い思いやりをもって吸い付くように伴走する笠松則通の眼;ヨコハマ映画祭・撮影賞に寄せて
第43回ヨコハマ映画祭 撮影賞 笠松則通(『すばらしき世界』)
映画評論家・内海陽子
左に大きく傾いだ東京タワーがゆっくり立ち上がり、徐々に小さくなって行く夜景が画面いっぱいに現れたとき、わたしは三上(役所広司)と深く繋がっていることに気づいた。このやさしいような薄情なような東京タワーは、もう見納めだと思った。飛行機のライトがにじむのはわたしの眼のせいだと思った。
「今度ばっかりは堅気ぞ」と決意して出所したものの、世間はそうたやすく彼を受け入れてはくれず、三上はとうとう短気を起こす。かつての兄弟分(白竜)を頼って福岡に帰った彼は、幸か不幸か、兄弟分のトラブルから遠ざけられる。そのとき兄弟分のおかみさん(キムラ緑子)から祝儀袋を渡され、「娑婆は我慢の連続」「そやけど、空が広いち言いますよ」と励まされる。頭を下げて走り去る三上と一緒にわたしも彼女に頭を下げる。短気が消し飛んでしまった彼は滑稽だが、これもまた娑婆に生きる者の宿命だ。
西川美和監督が激しいドラマの合間にふと見せる風景は、登場人物の心象風景というよりも監督自身の諦観の表れであると思うことが多い。三上の母親の情報をつかんで追ってきた津乃田(仲野太賀)と温泉に入る場面に映し出される、白い月と青い雲、さらに濃い青い山並みの風景は、美しく冷たくいやでもひとを正気にさせる。正気になることはときどき辛いことでもあるが、美しいものがまっすぐ身体に入ってくる。
津乃田の温情を受け入れ、三上は東京に舞い戻り、今度は介護施設で働く決意をする。面接に合格し「シャブを打ったみたいや!!」と街を走る彼に、笠松則通のカメラは吸い付くように一緒に走る。この映画で三上を応援し見守る人々以上に、深い思いやりを持って笠松則通の眼は三上から離れない。そのせいだろう、今までは知的に突き放したように感じられることもあった西川美和の風景に温か味が加わっている。
兄弟分のおかみさんが言った「そやけど、空が広い」という言葉が思い起こされ身体が縛られるようになるラストシーン。ゆっくり映し出される白い空に、娑婆に生きる身の、どうしようもない悲しみをいやがおうにも思い知らされるが、白い空は徐々に青みを帯び、それが三上の人生を肯定しているように感じられてくる。
倒れた三上の手に握られていたコスモスは、ささやかな勝利の証だったかもしれない。その勝利を得るための葛藤と、思いがけない電話による歓喜がその顔にかすかに残っている。つまり「すばらしき世界」はハッピーエンドである。笠松則通のカメラがそう告げている。
◎ここに掲載したのは、第43回ヨコハマ映画祭のプログラムに寄せた笠松則通論で、オリジナル・タイトルは「キャメラが映し出すコスモスの花が、人生のささやかな勝利の証に思えた」、授賞対象は『すばらしき世界』(西川美和監督 主演・役所広司)です。
内海陽子プロフィール
1950年、東京都台東区生まれ。都立白鷗高校卒業後、三菱石油、百貨店松屋で事務職に従事。休みの日はほぼすべて映画鑑賞に費やす年月を経て、映画雑誌「キネマ旬報」に声をかけられ、1977年、「ニッポン個性派時代」というインタビューページのライターのひとりとしてスタート。この連載は同誌の読者賞を受賞し、「シネマ個性派ランド」(共著)として刊行された。1978年ころから、映画評論家として仕事を始めて現在に至る。(著者の近著はこちら)
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