フク兄さんとの哲学対話(28)ベンサム①功利主義の元祖の奇妙な生涯
前回、ヒュームについての対話をいちおう終了したせいもあって、何となく間が空いてしまった。ふつうはヒュームからカントに移行するのだが、ヒュームの共感の哲学から、その後継者の倫理学者としてのアダム・スミスを取り上げるという手もある。実は、もうひとつあって、この共感の哲学への反対者であるジェレミー・ベンサムにつないで、功利主義について論じておくのも悪くない。例によって( )内はわたしの心のつぶやき。
フク兄さん ずいぶんと間が空いたのう。お前がコロナにでも感染してしまったのかと思って心配したぞよ。(また、また、心配なんかしてないくせに)
わたし ワクチンを2回接種してもらったので、重症化は避けられると思うけど。デルタ株の蔓延や、オリンピックなどもあったので、外に出るのをなるだけ控えていたんだよ。それに、ベンサムについて対話すると決めたのはいいけど、準備を始めているうちに、実は、この哲学者は、けっこう難物だということも思い出したんだ。
フク兄さん おお、このベンサムさんという御仁は、そんなに難しい性格をしとるのか?
わたし ベンサム自身の性格はある意味でシンプルかもしれないけど、そうした見かけとはうらはらに、後世への影響はきわめて大きいんだね。彼の功利主義の哲学というのは、19世紀のJ・S・ミルに引き継がれて、19世紀の末まで生きたシジウィックで終わったとされる。でも、実は、そうではない。あんまり影響が大きくて、思想が現実そのものに化けてしまったので、影響が見えにくくなったというのが正しいんだね。
フク兄さん ほほ~、そんなに凄い奴なのか、そのベンサムという人は。で、彼は、いったい何といったんじゃ?
わたし いちばん有名なのが「最大多数の最大幸福」という言葉で、ベンサムが最初に使ったわけではないが、彼の哲学の核心をあらわすのに、もっともふさわしいというので、ベンサムといえば「最大多数の最大幸福」を言い出した人物ということになっている。
フク兄さん どこかで聞いたことがあるような気もするが、なんだかよく分からんのう。
わたし つまり、最大多数の人間を幸福にすれば、幸福の総和が最大になるということだけど……。砕いていえば、幸福と言うのは快楽のことだから、快楽を感じることが多ければ幸福だといえる。その社会の幸福とはメンバーの快楽の総和ということになる。したがって、なるべく多くの人が快楽を感じるようにするのが道徳的にもかなっているので、政策においても快楽の総和が多くすることが正しい、となるわけなんだ。
フク兄さん ………。
わたし それから「自然は人類を苦痛と快楽という、二人の主権者の支配のもとにおいている」というのも、よくベンサムの言葉として引用される。要するに、人間は突き詰めると苦痛か快楽かの判断に行き着く。もっといえば、苦痛は最小にして快楽を最大にしようとしているというわけだ。これは草稿に出てくるフレーズだけど、「人間は子供でも狂人でも、また、睡眠しているあいだも、快楽を最大にしようと計算している」とも述べている。
フク兄さん ひゃ~、なんだか臆面もない哲学じゃのう。でも、睡眠している間は分からんが、快楽を最大にしようと四苦八苦しているというのは、いまの人間に関するかぎり当たっているのう。……さて、ここらで少し唇を湿らせる必要があるじゃろ。さっき、お前がカバンから取り出した瓶の栓を、開けてもええのじゃないかの?
わたし あ、これはカミさんから預かってきたお酒なんだけど、気に入るかどうか……。
フク兄さん おお、群馬県甘楽郡の銘酒「聖徳」ではないか。さて、さて、(またまた、でかい丼かあ)おととととと、……ぐび、ぐび、ぐび、ぐび、ぷふぁ~! これは旨い。かんら、からから(甘楽郡のしゃれのつもりだな)。華やかですっきりした味わいが、わしに快楽をもたらすのう。おお、最大幸福じゃあ。……お、お前も飲め。(え、また小さなぐい飲みか)
わたし お、とととと、……ぐび、ぐび、ぐび、これはいい。(しょうがないなあ、カミさんも。こんないい酒を、フク兄さんとの対話に持たせるなんて)。ベンサムに戻るけれど、ベンサムは1748年、ロンドンに生まれている。父親のジェレミアは保有地や賃貸地を所有する裕福な公証人で、そのまた父親(つまり、ベンサムの祖父)は叩き上げの法律代理人だったといわれる。ベンサム家は父の代にはかなりの資産を持つようになっていたらしい。父ジェレミアの願いは、息子たちに正式の法律の勉強をさせて、弁護士になってもらうことだった。
フク兄さん ふむ、ふむ。
わたし さいわい、ジェレミーは賢くて、十二歳でオクスフォード大学に入学して法律学を学んだのだけれど、どうも学問のほうが好きになったらしい。弁護士の資格はとったけど、法律で商売するより、立法の論理を考えるようになった。
フク兄さん 法律は読むだけでも面倒なのに、ベンサムは法律をつくるほうに回ったわけじゃな。そのほうが偉くなれると思ったのかのう?
わたし そういうことではなくて、何事も根本的に調べたり考えるのが好きなんだね。だから、最初に評価された『高利子弁護論』なども、ちゃんとアダム・スミスの『国富論』を読み込んで、当時の経済について理解してから、スミスが利子には上限を設けたほうがいいと述べているのに反論している。どんなに利子が高くても、それを借りるというのは、借りたお金で十分な利益が得られると判断しているからだというわけだ。変に制限を付ければ、かえって経済に悪影響を与えるとの考えなわけだよ。これって、いまの新自由主義に近いかもしれないね。
フク兄さん あらっぽい奴じゃなあ……。ただ、先駆的だとはいえるわけか。ぐび、ぐび。
わたし 当時の英国は、法律制度の改革が叫ばれた時期で、若きベンサムも自分の思想で法制度を改革する方法を提示しようとしたんだね。たとえば、刑務所についても綿密に考えて、受刑者の独房がぐるりとドーナツ状に並び、そのドーナツが6層重なっていて、そのすべてを監視する監視塔を真ん中に建てる刑務所を考案した。有名な「パノプティコン」(一望監視施設)と言われているものだ。
フク兄さん なんじゃ、そりゃ? 刑務所の設計までしているのか。ぐび、ぐび。
わたし この提言は政府が採用直前までいったけれど、小ピット政権が途中で建設の情熱を失ってしまったので実現しなかった。しかし、ベンサムが考えた奇妙な形をした建物の構造は、刑務所だけでなく各種の収容所などに応用されて、実際に歴史に登場している。革命前のキューバの例が有名だね。まあ、思想的には、いまのパソコンのソフトを使った、社員監視システムの原型みたいなもんだ。このパノプティコンは、いまの監視社会の先駆として、フーコーが『監獄の誕生』で取り上げているけど、そもそもが、ベンサムの功利主義の具体化だったんだね。
フク兄さん しかし、そんなところに収容された囚人は、快楽どころか苦痛は増すのではないかのう。四六時中、監視されているわけじゃろ。ぐび、ぐび。(お、するどいな)
わたし そこらへんはあとで議論することにして、ベンサムのやったことをもう少し話すね。意外に思うのは、英国の哲学者としては珍しく、有力政治家の金銭的支援を断っていることなんだ。シェルバーン卿という有力政治家が便宜をはかろうとしたのに、「私はあなたの所有物ではない」とまでいって断っている。何もしなくても暮らせるだけの資産があったからでもあるけど、功利主義が損得勘定だと思っていると、けっこう驚くべきことだよね。
フク兄さん なんだか、よく分からない男じゃのう。金は多いほうがより幸福だと思うが……わしは、この聖徳を飲むだけで幸福じゃがな。ほっほっほ……。
わたし 弟が今でいう技術者で、ロシアの造船所に招かれたこともあって、ベンサム自身も2年ほどロシアで過ごしている。当時のロシアはエカテリーナ女帝のもとで近代改革が行われており、その助言ができるのではないかと思ってのことだったらしい。ベンサムの行動で理解するのが難しいことのきわめつけは、自分が死んだらミイラにして欲しいと遺言したことだね。
フク兄さん ミ、ミイラじゃと? あの包帯ぐるぐるまきのか?
わたし そして、それは信奉者たちによって実現されている。古代帝国の帝王とか、宗教的な教祖なら分かるけど、19世紀、1832年まで生きた功利主義者の始祖が、ミイラになりたがったというのは、何とも解せないよね。包帯ぐるぐる巻きではないようだけど、やっぱりちょっと気持ち悪いよね。
フク兄さん ひゃ~、わしにはその気持ちがまるで分からん。いったいどういう人間なんだ、ベンサムという男は。それが功利主義というものなのか? ミイラになると気持ちいいのかのう?(今回は眠ってしまわないなあ、これも不思議、不思議。お酒のお陰? それともベンサムの迫力かな)。
わたし その謎ときは、次回に回すことにして、今日はもってきた聖徳をゆっくり飲もうよ。……あれ? フク兄さん、いつのまにこんなに飲んだんだ? もう、ほどんと瓶が空になってるじゃないか。またか~。ほんとにひどいなあ~。
●フク兄さんシリーズ フク兄さんとの哲学対話 ☚こちらをどうぞ