フク兄さんとの哲学対話(39)シェリング前編:神が創った世界になぜ悪があるのか

ようやく暑い夏が終わって、その後も残暑がひどかったが、それでも秋がやってきた。哲学対話を復活したいのでフク兄さんに連絡したら、ビールが飲みたいという。涼しくなりそうだというと、秋口のビールがいちばん旨いのだという。そこで今回は、わたしの仕事場の近くにある居酒屋で対話することにした。例によって( )内はわたしの独白。

フク兄さん いや~、暑かったのう。長いわしの生涯のなかでも、これほど暑かったのは2回か3回ではないかのう。さて、今回は誰について対話することになっているのかな。

わたし メールで送っておいたように、1775年うまれのフリードリヒ・シェリングという哲学者について、あれこれ論じてみたいんだけど。(たぶん、しらないよな)

フク兄さん え~と、どこかで聞いたことがあるが、どんなことを主張したかは分からんのう。名前も日本ではあんまり知られていないかもしれないのう。似たような名前の人が、いたような気もするが。

わたし ドイツの哲学史では、前回2回で話していたフィヒテの次にくる人なんだけれど、フィヒテが徹底的に自我を中心にする「イッヒ(我)の哲学」を展開したのにたいして、シェリングは最初フィヒテに師事していたけれど、じきに離れて神と我とが一致しているという「同一性の哲学」を論じるようになったんだ。つまり、フィヒテは神も絶対的我から生じているのに対して、シェリングは神が定義上絶対的なものであるかぎり、我は神に含まれるというわけなんだ。

フク兄さん なんだか面白くないのう。それじゃ、神様がすべての世界に逆戻りじゃな。

わたし もちろん、その「同一性の哲学」からさらに進んで、「中期」「後期」へと行くわけだけれど、今回はそういった区分は措いといて、この哲学者の生涯を貫くテーマを追いかけてみたいんだね。

フク兄さん お~い、お姉さん、生ビールはまだかな~! (フク兄さん、妙に元気だな)………おお、来た来た、サッポロ黒生じゃあ。これじゃ、これじゃよ。やっぱり生ビールは黒生でないとな。ん? 中ジョッキじゃないか。なんで大ジョッキを頼まないじゃ? ま、いいか。ぐび、ぐび、ぐび、………ぷふぁ~!これは旨い! ビールは汗をかきすぎると、本当の味が分からなくなる。で、生涯貫くテーマというのは何かな。

わたし 神学校時代の十代に書いた最初の論文が「悪の起源について」だったんだ。キリスト教では神が世界を創ったことになっている。しかし、それならばなぜ悪が存在するのだろうか、というテーマなんだね。あ、ぼくもビールをいただくね。ぐび、ぐび、ぐび……ぷふぁ~! なるほどなあ、黒生の味がしっかり分かる。しかも、長い夏の暑さで渇いた体に、ビールがしみ込んでいくようだね。

フク兄さん な、そうじゃろ。ほっほっほ。(そろそろ、眠気がしてくるぞ)

わたし もちろん、この1792年に書いた「悪の起源について」は、神学校に提出する修士論文だから悪を肯定的に述べるわけはない。でも、人間には感性によって縛り付けられている側面と、英知を備えている側面の「本性の2面性」があることを認め、その葛藤を人間の歴史として描いたんだ。つまり、感性にしたがえば自由を失い、自由にしたがえば必然性に背くという矛盾がある。いずれにせよ、悪が生まれてしまう。だから、人間は自分自身を制限しなくてはならないのであって、それが人間の歴史だというわけなんだね。

フク兄さん まだまだ、単なる神学校の優等生君じゃな。で、どうなったんじゃ?

わたし その後、紆余曲折があったけれど、彼はドイツ中に知られる哲学の人気大学教授となり、1809年に書いた『人間的自由の本質』という本では、自由にしたがって生み出される悪を、かなり肯定的に評価するようになる。いや、こういうと言いすぎかもしれないが、悪の権化である「悪魔がもっとも自由だ」などと言ってしまっているんだ。

フク兄さん それじゃ、悪魔主義じゃないのか? 中世なら火あぶりの対象ぞよ。お~い、お姉さん、ビール大ジョッキ2つ追加。特製ブリ大根がまだなんだがのう~。(どうも、今日は眠気が訪れないなあ)

わたし そこの部分を、ちょっと長いけれど引用してみるね。「悪魔とは、最も制限された被造物ではなくて、むしろ最も制限されていない被造物なのであった。一般的形而上学的な意味における不完全性というものは、悪のもつ通常の性格ではない。というのも、悪はしばしば、善によってはごくまれにしか見られないような、個々の諸力の卓抜な優秀さと結びついて現れることがあるからである」。

フク兄さん おお、これはちょっと面白いのう。いや、いや、まだ19世紀の初めころであることを思えば、かなり危ない人じゃのう。おお、大ジョッキと特製ブリ大根がきたぞよ。さあ、さあ、ぐび、ぐび、ぐび、ぐび、………ぷふぁ~!旨いのう。どれどれ、もぐもぐもぐ、んんん、大根に味がしっかりしみ込んでいるぞよ。

わたし え? いつのまに大ジョッキを頼んだんだ。しょうがないなあ。ま、いいか。ぐび、ぐび、ぐび、………ぷふぁ~! あれあれ、特大玉子焼きまで来たぞ。ぼくは知らないぞ、これたのんだの? え、そうだっけ。お、これは出汁がきいていて旨いわ。どれどれ、ブリ大根はどうかな?

フク兄さん ただのブリ大根ではないぞ。特製ブリ大根じゃよ。哲学を志すものは概念を正確に使わなければいかんなあ。ぐび、ぐび、ぐび、………ぷふぁ~! 酒は悪とされることが多いが、なぜ否定されないかといえば、善によってはごくまれにしか見られないような、個々の諸力の卓抜な優秀さと結びついて現れることがあるからなのじゃよ。ほっほっほ。

わたし え~と、なんで悪魔主義であるかのようなことを書いているかというと、それまで哲学者が悪について論じるさいには、悪とは欠落とか逸脱であると述べて、絶対的善である神の創った世界のなかに悪があり、悪魔がいることを説明してきた。シェリングはおそらく、10代にして「悪の起源について」を書いたときに、すでにこうした説明が説明になっていないことに気がついていたんだね。ぐび、ぐび、ぐび、………ぷふぁ~!旨いなあ~。

フク兄さん お姉さん、大ジョッキ追加ね。もう2つ。それと、なにかつまみの追加を。

わたし フク兄さん、勝手に注文しないでくれよ。全部飲める? え? ほんとに、全部飲めるかなあ。ともかく、シェリングはこの『人間的自由の本質』以降、新しい段階に入ったとされるが、スター的な哲学者としての人気は衰えてしまうことになる。それは別に悪魔を評価したせいではなく、友人だったヘーゲルという哲学者が、どういうわけか急激に人気を博すようになったのが大きな原因だった。その話は、シェリングの哲学史における位置づけといっしょに、次回、もう少し細かく話したい。ヒック!

フク兄さん おお、大ジョッキが来たぞよ。あ、お姉さん、サバの味噌煮追加ね。

わたし ええ? もう食べられないよ。フク兄さん、今回は途中で眠ってしまわないから、調子がくるっちゃったなあ………ま、いいか、ひさしぶりだし。

●フク兄さんシリーズ フク兄さんとの哲学対話 ☚こちらをどうぞ

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください