フク兄さんとの哲学対話(30)ベンサム③監視監獄を構想し自らミイラになった理由

最初は1回で終わりにしようと思っていたけれど、ベンサムという哲学者は問題が多くて、あれこれ話しているうちに、結局、3回目になってしまった。彼のいう「功利」というのが「快楽」の最大化であり、社会全体で「快楽」の量が多いことが「幸福」だとすれば、なぜ、彼は監視監獄を発想したり、遺言に自分をミイラにしてほしいと書いたのだろうか。今回はフク兄さんの家を訪問した。例によって( )内はわたしの独白。

フク兄さん おお、よく来たのう。オミクロン株がいつ感染爆発を起こすか分からないというので、外を歩くのは鬱陶しいと思っていたのじゃよ。お前が来てくれるのは、まことにありがたい。ま、わしは感染しないけどな、ほっほっほ。

わたし いやいや、まだまだ日本でのオミクロン株の感染は少ないから、いまなら大丈夫だと思ってね(フク兄さんがぐずぐずしているので、しかたなく来たんじゃないか)。

フク兄さん 今日は、ようやくベンさんの秘密が明かされるそうじゃが(ベンサムだよ)、これまでの対話でも、ずいぶんと不思議な御仁だと思ったが、あのポップコーンとかいう監視監獄とか(パノプティコンだよ)、ミイラの話はまことに理解困難じゃなあ。

わたし さっそく、そのパノプティコンから始めるけど、ベンサムという人は功利主義者だったから、人間が酷薄だったので、犯罪者を徹底的に監視をする設備を作ったんだと言われることがある。だけど本人は、当時のひどい境遇にある受刑者に、もっと功利的な環境を与えようとして、パノプティコンを考えたんだね。

フク兄さん ほ、ほう~。そのこころは?

わたし つまり、受刑者には再び犯罪を犯さないための罰を与えると同時に、社会復帰のために何らかの技術を身に着けさせることも考えていたんだ。これは、いまの刑務所でも同じ発想があるわけだけど。それにくわえて、受刑者に技術を教えながら労働をさせれば、このパノプティコンに収入が入るようになり、社会の負担にならない社会復帰訓練所になると思ったらしい。

フク兄さん なるほど、たしかにベンさんの構想どおりにうまくいけば(だから、ベンサムだよ)、一石二鳥どころか一石三鳥も夢ではない。しかし、ちょっと話がうますぎる気がするがのう。

わたし 円形に小部屋が並ぶ建物の真ん中に塔を建てて、そこから1人で監視できるようにしたのも、この施設の運営費用が低く効率的にできるということだったんだ。もともとは、ベンサムの弟がロシアで仕事していたときに思いついたんだけど、ベンサムは弟のところに行ってこの構想を聞いて、「これは応用がきくぞ」と思ったらしい。そこで監獄だけでなく、当時、英国で多くなっていた貧民の収容施設もこのパノプティコンはどうだろうと思ったらしい。

フク兄さん ほっほ、見方によっては、貧民を犯罪者と一緒にしていることになるかもしれんのう(おっ、気がついたんだ)。

わたし 当時でもそう思った人はいたし、後にも功利主義ゆえの効率優先で残酷な思想だと批判する人はいたんだ。しかも、貧しい人たちが労働を受け入れるかどうかも分からないし、採算がとれるかどうかも怪しかった。結局、ベンサムは貧民収容施設の計画は取り下げてしまう。しかし、監獄のほうは政府を動かし、プロに依頼して建物として欠陥のないものにしようと努力している。当時の英国政府もかなりその気になって、計画を立てるとこまで行ったのだけれど、おそらく採算性を実現するのが難しく、人道的に批判を受けやすいという観点から、計画を中止してしまったんだ。

フク兄さん その、何だ、ベンさんはなかなか勤勉で努力家なんじゃのう。そういう話だけ聞いていると、計画が中止になったのは、残念だったような気持ちになるのう。

わたし 前回でも触れたけれど、実は、後になってパノプティコンを立てた政府はいくつか存在している。たとえば革命以前のキューバなどでは、壮大な監視監獄を立てて、革命運動を始めたカストロたちを放り込んで監視していたんだね。

フク兄さん え~と、そのパップコーンの話が終わったところで(パノプティコンだよ)、ちょっと休もう。お前、何か持っていたのう。あれは嫁が持たせたお土産だと見たぞ。ささ、出してもらおうかのう(えっらそうにいうなあ)。

わたし ほら、これだよ。

フク兄さん おお、浦霞ではないか。宮城県は塩釜の銘酒じゃ。さあ、これに注いでくれ(わ、また大きな丼)。おとととっと、………ぐび、ぐび、ぐび、ぐび、ぐび、ぐび、ぐび、ぐび、ぐび、プファ~。これは旨い。クラシックといってもよい、本来的な旨さを追求したお酒じゃ。さ、お前はこれで飲め(え、小さなぐい飲みじゃないか)。

わたし おととと、ぐびぐびぐびぐびぐび、お、これはいい。昔、おとうさんが塩釜で測候所所長をやっていたけど、何度か官舎に帰宅したことがある。あのころを思い出すなあ。さて、今度はミイラの話だけど、こっちはなかなか難しくて、研究者たちにもこれといった共通了解というものがないんだよね。

フク兄さん それにしても、この酒はうまいのう。ぐび、ぐび、ぐび、ぐび……ぷふぁ~!(ちょっとペースが速すぎやしないかな)ミイラになると、なんかいいことがあるのかのう。永遠に生きられるとか、あの世で好待遇を受けるとか。

わたし そういうことではないだろうな。あ、ぼくももう一杯。ぐびぐびぐび。(たしかに旨い。いまの季節にあっているのかもね)やっぱり、生きている人に何かを伝えたいからだと思うけどね。これはベンサムの謎かけだといった人もいる。

フク兄さん そりゃそうじゃな。……(あ、もう目がとろんとしてきた)

わたし それも道理で、ミイラにしてくれという遺書も、読み方によってはジョークじゃないかと思われる内容が含まれているんだ。(あれ、僕も、なんだか急速に酔いが回ってきた)普通の葬式にするよりミイラにすれば費用もかからないし、見世物にすれば客もやってくるとか書いてある。でも、自分のミイラを見て、功利主義思想がこの人物によって創始されたということを、後世の人に思い出して欲しいというのは、けっこう本音だったのじゃないかな。……あれ?

フク兄さん …………、あ、聞いてる、聞いているぞよ。

わたし しかし、後世、展示されているベンさんの、あ、ベンサムのミイラを見て嫌悪を覚えた人は多かったと思われる。遺言を実行した人物は、ミイラの頭部は外して、その代わりに蝋人形で頭部を作り、それを胴体のミイラの上に乗っけて展示したんだね。(あ、目が回ってきたぞ)え~と、ベンサムの思想を現代に復活させようとしている英国のフィリップ・スコフィールドという研究者ですら、この問題に最終的な回答を与えることは避けて「ぜひロンドンに来て、ベンサムのミイラを見て、自分自身で答えを決めていただきたい」などと述べている。……フク兄さん、起きてる?

フク兄さん …………、あ、も、もちろん起きているぞよ。起きて………

わたし 最後にベンさん、もとい、ベンサムの功利主義の後継者について述べておくことにするけど、自他ともに最大の功利主義思想家はJ・S・ミルといえる。この哲学者については、改めてじっくり対話することになるけれど、若いときからベンサムの思想を学んで功利主義を大成させたといわれる。

フク兄さん …………。(これは、もう眠ってしまったな)

わたし え~と、興味深いのは、ミルの代になると功利主義はいっそう洗練されて、普通の人にとっては「苦痛」ではないかと思われるようなことすら、「快楽」として挙げるようになることだね。たとえば、ベンサムは好奇心を満たすのも快楽で、また、本を読むことも快楽だとしていた。ここまでは分かるけれど、ミルは普段の生活においても、刻苦勉励して「最大多数の最大幸福」を実現する活動をすることも快楽になってしまうんだ。だから人びとが功利主義をしっかりと受け止めれば、「満ち足りて太った豚よりも、悩んで痩せたソクラテスになるはずだ」と述べている。

フク兄さん ……ん? なんで、悩んで痩せるのが快楽なのじゃ?

わたし あれ、起きてるじゃないか。……つまりは、功利という言葉の定義を広義にとれば、かなりの部分を快楽として受け入れることができるわけなんだ。どんな苦痛を伴う営みでも、達成後には快楽に転換されうるからね。これは自分がエピクロスの復活であると自覚してたベンさんとしては、まさに本望だったのではないだろうか。ヒック。

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