フク兄さんとの哲学対話(22)正月特番! 急にエピクロスについて語ってみた

今回は、驚いたことに、フク兄さんのほうから、エピクロスについて話したいといってきた。連載の流れからいうと、英国の経験主義哲学をたどってきて、いよいよヒュームに入るところだったのだが、正月でもあるので「特番」として、この誤解の多い古代の哲学者を取り上げるのも悪くないとおもった。例によって( )内は私の独白。

フク兄さん おお、よく来てくれたのう。急にエピクロスについて話し合いたくなったのは、ほかでもない。先日、わしの言葉にヒントを得たらしく、お前があるところでエピクロスの話をしていたので、ひょっとしたらエピクロスという哲学者は、わしと同じ思想の持ち主かもしれないと思ってのう。

わたし 急なことだから、特に準備をしていないので、知っていることだけで話すけど、それでいいよね。エピクロスというと「快楽主義者」ということになっていて、たしかに「快楽」を生活の目標にしていたことは間違いではないんだ。快楽を得られる行為は、そのこと自体悪いことではないとも言っているからね。

フク兄さん ほっほっほ、そうじゃな。わしが酒を飲むのは、決して悪いことではないぞよ。なるだけ苦労はしないようにして、心地よい生活をすることが悪であるはずはないからのう。(フク兄さんは、単に仕事しないで、なまけたいだけなんじゃないかなあ)

わたし 美味しいものを食べたり、性的な快楽を求めることも、かならずしも否定的ではなかった。それでエピクロス主義というのは快楽主義だという批判は、エピクロスが生きているときからあった。彼は紀元前4世紀の人間で、その後半生のほとんどはアテネの庭園で過ごしたので、そのエピクロスの園とは堕落した人間の集まるところと思っていた人たちもいたんだ。

フク兄さん おお、わしも住んでみたかったのう。そのエピクロスの園とかに。

わたし 19世紀になって、エピクロス思想を「復活」させたと自称したのは、意外に思う人もいるだろうが、功利主義の祖ジェレミー・ベンサムだった。彼はエピクロス主義を「快楽を求め不快を避けること」として捉え、自分自身もそう振舞っただけでなく、彼の思想体系で快と不快は普遍的な対立概念にされた。また、フランスの小説家アナトール・フランスが『エピクロスの園』というエッセイ集を刊行したように、その影響は近代文学にも及んでいる。もちろん近代日本でも、エピクロスあるいはエピクロス的な生活にあこがれる知識人は多かった。たとえば、博識で知られ平凡社の世界大百科事典の編集長を務めた林達夫も「私はひとりのエピキュリアンにすぎない」と逆説的に述べたし、また、戦後の論壇で活躍し文化行政に深くかかわった梅棹忠夫も、人生を振り返って自分のことを「エピキュリアン」と呼んでいる。

フク兄さん そうじゃ、そうじゃ。生活というものを正面から考えれば、みなエピキュリアンを目指すことになるのじゃよ。

わたし すこしエピクロスについて、どんな人だったか振り返ってみるね。彼は紀元前341年に、今のトルコ西海岸ミレトス近くのサモス島で生まれている。父親は子供たちに読み書きを教える仕事だったといわれている。ちょっと怪訝に思うかもしれないけど、当時、ギリシャでは読み書きを教える仕事というのは、あまり尊敬されないものだったらしい。それでも、エピクロスは幼いときから賢かったようで、18歳のときにアテネ市民として兵役を済ませたあとも、ギリシャの都市国家を次々と訪問して哲学を学び、35歳のときにアテネに戻って自分の思想を語るようになるんだ。

フク兄さん お酒を飲むのは悪くない、無理に苦労はせずに、もっと楽をすべきだと説いたわけじゃな。

わたし それが少し違うんだなあ。エピクロスは自然については、デモクリトスが先駆者とされる原子論を展開した。この世はアトム(原子)で出来ていて、それが結びついたり崩壊したりして、この世にあるものを形成しているというわけだ。それでエピクロスは唯物論者とされるんだけれど、実は、神々の存在を否定しなかった。ただ、神々は人間社会について干渉してこないので、敬っても頼るべきではないということになる。マルクスが若い時に、学位論文で唯物論者エピクロスを取り上げたので、エピクロスという哲学者は無神論で唯物論だろうと思われたのかもしれない。

フク兄さん ふ~む、でも唯物論なら、自分の快楽を求めるのは自然だし、神々が無干渉ならば、天罰を下すこともないから、うんと享楽的に暮らしても平気じゃないのかのう。うちもカミサンのベーさんが、わしに干渉しなければ、エピクロスの言っていることと、同じ境遇になれるんじゃがなあ。

わたし ここらへんから核心に入るけれど、エピクロスは肉体を喜ばすようなものを、それ自体としては否定しなかった。だけど、その快楽にふけることによって、多くの不都合が生まれることは避けるべきだと考えていた。つまり、欲望のままに過剰に快楽を追求すれば、社会的には人間関係を損なうだろうし、肉体的には健康を損なってしまうよね。そんなことは、エピクロスにとっては最も唾棄すべきことだった。

フク兄さん なんだか、エピクロスさんの言っていることと、やっていることが随分と違うような気がしてきたのう。

わたし エピクロスが何より求めたのは、心の平穏(アタラクシア)だった。心の平穏を得られれば、この世の悩みのほとんどはなくなると考えていた。エピクロスは、しだいに多くなっていった弟子たちと、アテネ郊外に庭園をつくって、そこで共同生活を送りながら、哲学の教育をするようになったんだ。それが「エピクロスの園」で、実に清貧な生活をしながら哲学論議をしていたといわれる。

フク兄さん ええ? それではお酒はどうなってしまうのじゃ?

わたし それはもちろんワインを飲んだろうけど、この「庭園学派」のリーダーの教説が心の平穏であり、過剰なことを嫌うわけだから、そこそこの量でやめるのが普通だったと思われるね。エピクロスの発言の断片集には、「ひと壺のバターがあれば、みなで贅沢できる」などという言葉があって、エピクロスの園の地味な生活ぶりがしのばれる。ちょっとメモを読み上げてみるね。「思慮深く、立派に、かつ正しく生きることなしには、快適に生きることはできない。また逆に、快適に生きることなしには、思慮深く、立派に、かつ正しく生きることもできない」。ま、これがエピクロスの思想なんだね。

フク兄さん うへ~、そんな生活、わしはもたんと思うぞ。どこが快楽なんじゃ。

わたし エピクロスはたくさん著作をしたけれど、いつの間にか散逸してしまって、いまでは3つの長い手紙と多くの断片だけが残されている。ただ、幸運なことに3世紀前半にディオゲネス・ラエルティオスという人の『ギリシア哲学者列伝』の最後の巻がエピクロスに当てられていて、これを読むとだいたいのことは分かるんだ。もちろん、快楽主義者でロクデナシという評も記載しているけれど、おおむね好意的に記述している。

フク兄さん あ、あんまりイメージと違うんで、お酒を飲むのを忘れていたぞ。さあ、今回はわしが用意した「高清水」じゃ。いま大雪の秋田のお酒じゃ。おまえにはぐい飲みを準備してあるぞ。さ、ささ、おっととと、……一気に飲むのが旨いぞ。お前はエピクロス主義者じゃないのだから、これくらいの酒で非難されることはないぞよ。

わたし じゃ、フク兄さんも(あ、やっぱりご飯ドンブリなのか)。さ、さささ……。

フク兄さん ぐび、ぐび、ぐび……ぷふぁ~! ああ、旨い! さらりとした味わいがいい。エピクロス主義者じゃなくてよかったぞよ。ところで、聞き忘れておったが、唯物論で神々が干渉しないなら、エピクロスは「死」についてどう思っておったのかのう? さすがに、生まれ変わりの来世も神の救済もないなら、死は怖かったのではないのか?

わたし 死についてのエピクロスの有名な言葉に「あなたは死について、やってくるまでどんなものか分からない。やってきたときには、もうあなたは存在しない」というのがある。だから、死を恐れる必要はないというわけだ。恐いと思うのは死ぬときの苦しみや痛さであって、それは長くは続かないともいっている。

フク兄さん そうかのう。やはり死は怖いものだと思うがのう。それに、死ぬさいの痛みや苦しみも、そうかんたんに消えはしないぞよ。

わたし その点については、むかしから異論があった。それぞれの人によって、死は怖いからこそ宗教が生まれるのであり、また、死去のさいの痛みや苦しみは、それこそ体験しないと分からないほどひどいものかもしれないからね。ただ、エピクロスの最期は見事なものだったといわれる。西暦前271年、彼は腎臓を患って尿毒症で亡くなったようだけれど、直前まで訪れる人たちにやさしく礼儀正しく対応していたといわれる。

フク兄さん なんとなく立派すぎて、とてもついていけない気がするのう。

わたし 逆に、そういう人物だったので、弟子たちは強く尊敬したし、さらには崇拝の対象ともなった。エピクロスは弟子たちに庭園を残してくれたので、師の教えである「隠れて生きよ」に従って庭園にこもった。以降、弟子たちは教団を形成して宗教化していったともいわれる。え~と、死については、こんなことも述べている。メモから読み上げるけれど、「若者には立派に生きるように説き聞かせながら、老人には立派に生を終えるように勧めている人は、ただの馬鹿である。それは生きていることが若者にも老人にも好ましいことだからだけでなく、立派に生きるための習練と立派に死ぬための習練とは、もともと同じものだからでもある」。

フク兄さん …………

わたし こうしたエピクロスの思想が生まれた背景としては、アテネがマケドニアに征服され、さらにアレキサンダーが大遠征をして途上で死去するといった、あわただしい時代だったことが挙げられる。こういう時代には価値も規範も崩壊していく。いわゆるヘレニズムの時代の思想というのは、一般的傾向としてどこか消極的な、もっといえば受難の相がある。戦前英国のギリシャ学者ギルバート・マレーは「ここには本質的な不信から生まれる不思議な寂しい影がみられる」と述べている。これは、華やかに見えるグローバリズムの時代が、実は、不安と不信の時代であることを、思い出させてくれるわけなんだ。

フク兄さん ………ZZZ,ZZZ

わたし あれ、寝てしまったのかな。(でも、鼻の穴が開いているから、これはタヌキ寝入りの疑いありだな)

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