「君は世界を守れ、俺は君を守る」;初々しい『少年の君』のチョウ・ドンユイ
『少年の君』(2019・デレク・ツァン監督)
映画評論家・内海陽子
映画には、ときどき忘れえぬヒロインが登場する。近年の中国映画の場合、即座に思い浮かぶのは『紅いコーリャン』(1987)のコン・リー、『初恋のきた道』(1999)のチャン・ツィイー、そして『サンザシの樹の下で』(2011)のチョウ・ドンユイだ。コン・リーとチャン・ツィイーは国際派女優としてゴージャズなイメージをまとうようになり、当初の鮮烈なイメージを失っていったが、本作のヒロインをほぼ素顔で演じるチョウ・ドンユイは、さほど大きく変化していない。それどころか、まるで本作がデビュー作であるかのような初々しさで圧倒する。
受験戦争まっただ中にある中国の進学校の高校生たち。母が詐欺まがいの行為で後ろ指さされる中、優等生のチェン・ニェン(チョウ・ドンユイ)は同級生の自殺に衝撃を受け、目立つ行為をしたことから新たないじめのターゲットになった。陰湿ないじめのリーダー格は裕福な家庭の美少女で、学校も級友も見て見ぬふりをする。かつて見て見ぬふりをしてきた自分に罪悪感を抱いたチェンは、街で男たちに暴行されている少年シャオベイ(イー・ヤンチェンシー)を救おうとし、一緒に暴行を受ける。シャオベイは彼女に恩義を覚え、それは好意に変わっていく。
母親に捨てられ、チンピラとして生きているシャオベイから見ればチェンは高嶺の花である。彼女はいじめを警察に通報したことでさらにいじめチームの恨みを買い、行くあてもなく彼のあばら家に逃げ込む。服を洗い、カップラーメンを作ってもらい、お姫さまのように大事にされて眠りにつく。ここは小さな安全地帯だ。登校時は、距離を置いて歩くシャオベイが彼女を守ってくれる。そんな彼女に対していじめのリーダー格の美少女は復讐心と嫉妬心をつのらせる。二人を取り巻く状況は厳しさを増すが、すべては二人を結びつける強い絆になる。これは『泥だらけの純情』ものだと思う。
突然、リーダー格の少女が死体で発見される。ここから物語はミステリー色を帯び、刑事ドラマの妙味が加わる。わたしは、大事にしている人を汚されたという怒りに駆られたシャオベイの犯行だと直感し、無理もないことだと思う。ところが警察サイドは、チェンをも重要容疑者として扱い、シャオベイとチェン、二人の取り調べが同時に進行する。どちらが嘘をついているのか、警察の見立てはどこまで当たっているのか、スリリングな展開が続くが、刑事の思惑が非常に俗っぽいものに見える。それはこの二人の聖性ゆえである。
少女の死の前、ひどいリンチを受け、髪を切られ、半裸にされ、その姿を携帯で発信されたチェンを受け止めたシャオベイは、彼女の髪をバリカンで丸刈りにする。彼自身も丸刈りになる。彼女は被虐者の美に輝き、まるで菩薩のようだ。彼は菩薩に仕える修行僧といったところだろう。間近に迫る全国大学統一入試「高考(ガオカオ)」に挑むチェンは神々しいまでの気品をにじませ、他の生徒の視線を弾く。高い点数を得て北京の大学へ行き「世界を守る」仕事につくのがチェンの夢だ。「君は世界を守れ、俺は君を守る」。ここまで二人の気持ちが高まっているというのに、現実はむごいものだ。
しかしこの映画の何よりの救いはまず冒頭に提示されている。英語の教師になったと思しき20代のチェンが生徒に教えている。彼女は生徒を見まわし、ひとりの女子生徒に目を留める。おそらくいじめられている子だろう。チェンは世界を守る=生徒を守る仕事についている。それは確かだ。そしてエンディング、影のように彼女の後ろをついて歩くシャオベイがいる。これは彼女の心象風景で、彼女の心にある“実在”だろう。そう思い続けて生きて来たこと、そう思い続けて生きていくこと、それがきっと世界を守ることにつながっている。チョウ・ドンユイの柔らかな表情が、現在の確かな幸福を語っている。忘れえぬ女優が、いつまでも初々しく生き続けていくように願っている。
◎7月16日より公開
内海陽子プロフィール
1950年、東京都台東区生まれ。都立白鷗高校卒業後、三菱石油、百貨店松屋で事務職に従事。休みの日はほぼすべて映画鑑賞に費やす年月を経て、映画雑誌「キネマ旬報」に声をかけられ、1977年、「ニッポン個性派時代」というインタビューページのライターのひとりとしてスタート。この連載は同誌の読者賞を受賞し、「シネマ個性派ランド」(共著)として刊行された。1978年ころから、映画評論家として仕事を始めて現在に至る。(著者の近著はこちら)
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