異様な細部がすばらしい『ベルヴィル・ランデブー』;おばあちゃんの闘争は続く!

『ベルヴィル・ランデブー』(2002・シルヴァン・ショメ監督)

 映画評論家・内海陽子

 明るくて清潔でピカピカしていていい匂いがするようなものは好ましいが、このアニメーションはそういうタイプの作品ではない。画面に映し出されるものは古びていて衛生的ではなく饐えたような匂いがする。でも見始めると登場する人や物を次々に記憶の宝箱に放り込みたくなり、見終わるとすぐさまその宝箱を開けてあれこれ取り出したくなる。それらは強烈な懐かしさとリズム感に包まれており、それぞれの人や物の歴史が猛烈なうなり声をあげているからだ。

 この映画は20年ぶりの公開とのことだが、幸いなことに、わたしは20年前に観ていなかった。どうしてそれが幸いかと言うと、50歳をすぎたばかりのわたしには、片足に鉄の靴を履いたおばあちゃんと自転車オタクの孫の奇妙な冒険物語はあまり心に響かなかっただろうと思えるからだ。いまは違う。年月が経つということのさまざまな側面をいくらか見てきたような気がするし、新しいものが古びていく様子ひとつにも個性があるとわかってきたからだ。人間に限ってみれば、だらしなく崩れていく者があれば、考えることを放棄して現状を維持する者もあり、鍛錬を怠らずふところに武器を忍ばせる者もある。むろんこの映画のおばあちゃんは、ふところに武器を忍ばせたツワモノである。

 始まりは1950年前後。両親を亡くし、おばあちゃんと一軒家に住むシャンピオンは子犬をもらって喜ぶが、彼が一番好きなものは自転車だ。1960年代になり、ブルーノと名付けられた犬は老犬になったが、賢いとはいえず、日がな一日、2階の窓のすぐ外を走る通勤電車に向かって吠えている。青年になったシャンピオンはツール・ド・フランス出場のため、おばあちゃんの指導の下、特訓を続けている。空腹を抱えたブルーノは特訓を終えたおばあちゃんとシャンピオンの帰宅に狂喜するが、エサはなかなかもらえず、ようやくシャンピオンの食べ残しにありつく。そして死んだように眠るシャンピオンに覆いかぶさって寝る。これが一家のおきまりの日常のようだ。

 やがて舞台はツール・ド・フランスの躍動的な世界に変わり、おばあちゃんとブルーノは救護車の屋根に乗ってシャンピオンへの応援に余念がない。いや、ブルーノはうすぼんやりと独自の世界をさまよっている。そうこうするうち、マフィアの子分たちが操縦するニセ救護車によって、落伍した選手たちがさらわれているとわかる。このマフィアの子分たちの描写のデフォルメが秀逸で、画一的人生を絵にするとこうなるかと感心するばかり。この手の批評的デフォルメは全編にちりばめられており、レストランの支配人の風体とサービスルール(?)のデフォルメにも目を奪われる。思わず膝を打つ作者の観察力だが、こういう観察力を持つ人は生きづらいのではないかと物語と離れたところでハラハラする。

 さて、シャンピオンがマフィアにさらわれたとわかったおばあちゃんは、食欲だけで生きているブルーノを相棒に、海を渡って歓楽の都“ベルヴィル”へと向かう。右も左もわからず、財布も空っぽの老いぼれコンビは橋の下で野宿を覚悟するが、古いテレビ番組でおなじみの三つ子の歌手“トリプレット”が老いた三人姉妹となって再登場、コンビを救う。老いても歌への情熱と生きる気概を失わない三つ子と老いぼれコンビは仲よくなり、マフィアの闇の歓楽施設の在りかを突き止める。そしてこのアクションファンタジーはめくるめく暴走モードに突入するのである。

 それにつけても脳裏に刻まれるのはこの映画の異様な細部。トリプレットの一人は傘と網を持って水辺へ行き、爆弾を放り込んでカエルを捕獲する。食卓に供された初めてのカエルの姿煮にブルーノは震え上がるが、おばあちゃんは動じない。おたまじゃくしのポップコーン(?)のようなデザートも出る。トリプレットはどうやら貧しい移民の出らしく、おばあちゃん自身も生粋のフランス人ではなさそうだ。この映画に漂うひっそりした鬱の気分はそういう出身のかげりによるものかもしれないが、それをもパワーに換えてしまうエネルギーが充満していることを忘れてはいけない。

 おばあちゃんの鉄の片足はどういう事情によるものなのか。トリプレットのふところから現れるいくつもの爆弾は、いつどこで仕込んだものなのか。時代背景からうっすらと想像はつくけれど、これは謎のままにしておくのがマナーというものだろう。ラストのセリフには、おばあちゃんのための寝物語というやさしい目配せが感じられるが、わたしは、おばあちゃんの精神世界の闘争は続く、というエンドレスストーリーとして応援したい。

◎2021年7月9日より公開

内海陽子プロフィール

1950年、東京都台東区生まれ。都立白鷗高校卒業後、三菱石油、百貨店松屋で事務職に従事。休みの日はほぼすべて映画鑑賞に費やす年月を経て、映画雑誌「キネマ旬報」に声をかけられ、1977年、「ニッポン個性派時代」というインタビューページのライターのひとりとしてスタート。この連載は同誌の読者賞を受賞し、「シネマ個性派ランド」(共著)として刊行された。1978年ころから、映画評論家として仕事を始めて現在に至る。(著者の近著はこちら

 

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