役所広司の醸し出す「歴史」;『峠 最後のサムライ』のぬくもり

『峠 最後のサムライ』(2020・小泉堯史監督)

 映画評論家・内海陽子

 時代劇というのはほぼ想像の世界の産物だから、どういう描写があってもそういうものかと思うしかないのだが、一番いただけないのは、形態模写のような歴史上の偉人が登場するときだ。居丈高な振る舞いや大仰な衣裳やメイキャップを目にすると、一瞬にして物語世界から弾かれる。演じる俳優の熱意がみなぎればみなぎるほど心は遠ざかり、その努力や粘りがうっとうしいものに感じられる。

 歴史超大作と銘打たれたものはだいたいそういう印象を与えるが、この『峠 最後のサムライ』には演じる俳優の人肌が伝わるような慕わしさがある。それはほとんど主人公・河井継之助を演じる役所広司が醸し出すもので、歴史上の偉人がまるで同じ部屋で呼吸している人間であるかのような気持ちにさせる。だから彼の妻・おすが(松たか子)の気持ちにも、旅籠の娘(芳根京子)の気持ちにもすんなり共感を覚える。つまり物語世界の住人になれる。この映画は、ひとえに役所広司の醸し出すぬくもりが説得力になる。

 時は幕末。15代将軍・徳川慶喜(東出昌大)が大政奉還し、1868年、鳥羽・伏見の戦いを皮切りに戊辰戦争が始まった。勢いを増した新政府軍は、長岡藩にも軍資金と兵士の供出を要請するが、長岡藩の家老・河井継之助(役所広司)はこれに応えない。旧幕府軍にも新政府軍にもつかずに中立を守り、長岡藩を独立した国にしたいというのが継之助の夢である。新政府軍が攻め込んでくると、継之助は土佐藩の軍監・岩村精一郎(吉岡秀隆)に会い、長岡藩のめざすところを訴えるが、書状を受け取ってもらえず、談判は決裂する。

 中盤のこのシーンがクライマックスではないかと思うほど、役所広司は河井継之助に魂を吹き込む。顔つきや声、立ち居振る舞いに緊張感があるのは当然ながら、身に着けているものすべてが継之助の筋肉と化しているようだ。これほどの迫力を前にしたら、思わず書状を受け取ってしまいそうだが、岩村は頑として受け取らない。継之助のあまりの迫力に恐れをなして受け取らなかったのかもしれない。恐怖は人を頑迷にする。配役の吉岡秀隆はいささか小粒に感じられるが、継之助に恐怖を覚えた演技と考えれば適役である。

 もはや戦闘を避けることはできない。長岡藩は奥羽越列藩同盟に加わり、継之助は総督になる。戦いを始めたのちは、いっそせいせいしたかのように「命なぞ、使うときに使わなければ意味がない!」と笑い飛ばし、日本に3台しかなかったというガトリング銃を豪快に撃ちまくる。ここで、調子づいて遊んでいる子どものように見えないのが役所広司の偉大なところで、継之助の派手な戦闘行動の裏には独特の諦観がつめたく張り付いている。これは役所広司の醸し出すぬくもりの変形である。

 場面は少ないながら、継之助の日常生活におけるぬくもりもいい。彼は妻・おすがを連れて芸者屋に繰り出し、妻にも酒を飲ませ、盆踊りを一緒に踊って家族サービスをする。だが武家の妻は、芸者遊びの最中に盆踊りを踊らされる、その違和感に必死に耐える。松たか子は、踊りながらもピンと伸びたままの指先に妻の内心のこわばりをこめる。そのしとやかさが絶妙のアクセントになる。また、継之助が当時は珍しいオルゴールをおすがに贈る場面もぬくもりがある。大型のオルゴールから流れる曲は「埴生の宿」だろうか。これが形見になるということをうっすらと感じている、子のない夫婦の情緒があふれる。

 結局、長岡の戦いは信濃川も守ってくれず、兵士の数で勝負にならないまま無惨な敗戦となる。脚に重傷を負った継之助は担架に乗せられて会津へと落ち延びる。6人程の従者に守られて峠を越えていく継之助の姿が、次第に小さくなり、木々に隠されていく場面が非常にあわれで美しい。ここで終わってもいいのではないかと思うが、物語は、まだ言い残したことがあるとでも言いたげにエンディングを用意する。そこでクローズアップされるのは、忠実な従者の松蔵(永山絢斗)で、彼に託されたものが後世の人々への遺言となる。永山絢斗がとてもいい面構えを見せるのもこの映画の収穫だ。

 脚本を手掛けた小泉堯史監督は「原作者の司馬遼太郎さんが『峠』で描こうとした河井継之助をなんとか自分の中でつかまえてみたい」と思って挑戦したそうだが、それは功を奏した。ここには歴史超大作では伝わらない、河井継之助の遺志が静かに脈打っている。

◎2022年6月17日より全国公開

1950年、東京都台東区生まれ。都立白鷗高校卒業後、三菱石油、百貨店松屋で事務職に従事。休みの日はほぼすべて映画鑑賞に費やす年月を経て、映画雑誌「キネマ旬報」に声をかけられ、1977年、「ニッポン個性派時代」というインタビューページのライターのひとりとしてスタート。この連載は同誌の読者賞を受賞し、「シネマ個性派ランド」(共著)として刊行された。1978年ころから、映画評論家として仕事を始めて現在に至る。(著者の近著はこちら

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