どことなく滑稽でどことなく怖い;『星の子』にみる芦田愛菜の包容力
『星の子』(2020・大森立嗣監督)
映画評論家・内海陽子
いままで多くの思春期映画を観てきたが、久しぶりに“成長痛”とよばれる妙な痛みを思い出した。具体的には膝の少し上あたりにうすら寒いような痛みが走る症状だ。わたしは必ず学校へ向かう途中でそれを意識したせいか、得体のしれない不安や憂鬱と強く結びついた。といっても、それは表面にはっきり出るたぐいのものではなく、みずからそれを打ち消すようにヘラヘラしたり、しかめっ面をしたりしてやり過ごしていた。『星の子』のヒロイン、ちひろの穏やかな笑顔やふるまいを見ていると、不安や憂鬱をやり過ごしているようでいてそうでもない胸の内が透けて見える。“成長痛”が長引いているのだろうか。
ちひろ(芦田愛菜)の家庭はちょっと特殊である。未熟児として生まれた彼女は全身にひどい湿疹が出たが、ある水のおかげできれいに治り、それ以来、父(永瀬正敏)と母(原田知世)は教団が販売する「金星のめぐみ」という水を愛飲し、ちひろは学校にもペットボトルを持って行く。しかし中学三年生にもなると、両親が頭に載せたタオルに「金星のめぐみ」を慎重に注ぐ儀式を見るのが辛くなってきた。姉のまーちゃん(蒔田彩珠)はだいぶ前に家出し、たまに帰宅することもあったが、ついにまったく帰ってこなくなった。両親の愛情が自分にだけ注がれたことが姉の家出の一因だとわかっているだけに、ちひろは簡単に姉の真似をすることはできないと考えている。
学校生活でなにか嫌なことが起こるのではないかと思っていると、やがてその時が来る。友だちと一緒に、イケメンの南先生(岡田将生)の車に乗って家まで送ってもらう途中、両親が公園で“儀式”をしている姿を先生に見られてしまう。先生はちひろの手をつかんで降りるのを引き留めたのでちひろはドキドキするが、両親を不審者扱いされた屈辱感がそこにかぶさる。恋する乙女心と、世間から白眼視される両親を持つ者の恥の感覚がぶつかるというのは相当ひどい気分だろう。もしかすると、ちひろは姉のまーちゃんと同じように、家を飛び出すかもしれないという思いがわたしの頭をかすめる。
それだけに、高校進学を控えた彼女を、我が家に住まないかと誘う雄三おじさん(大友康平)の申し出をちひろが断るシーンは、彼女の自立心がはっきり伝わって爽快である。母の弟である雄三おじさんも、おばさんも、従兄弟もみんないい人で、ちひろを思ってくれていることがよくわかる。だがそれ以上に、両親がいい人で、自分のことを大事に思ってくれているという事実をちひろは誰よりもよくわかっている。あたりまえのことのようだが、そうではない。ちひろはかなり早い時期に、自分が特別に育てられた人間だということを知り、そのために両親が常の人間から逸脱したということを残酷な事実として認識したのである。その結果、両親が風邪をひかなくなったという素晴らしい“おまけ”がついたとしても。
この“おまけ”に明らかなように、この映画はどことなく滑稽でどことなく怖い。永瀬正敏と原田知世が真剣な表情で静かに“儀式”に取り組む様子は、なにかのコントかとちゃかしたくなるのをこらえなくてはならない。教団の幹部候補生とでもいうべき女性、昇子さんを演じる黒木華の能面のような白い表情はいくぶんホラーの匂いがする。何かを信じることは精神を統一するにはもってこいなのだろうが、だとすると精神を統一するとは、自分を見失うことでもあるような気がする。自分を見失うことなく、何かに囚われることもなく生きている人間ははたしているのだろうか。
教団の研修旅行先の「星々の郷」で、父と母とちひろは星空がよく見える丘に上って流れ星を待つ。父と母が発見し、ようやくちひろも発見する。もしかしたら、ちひろはおつきあいで発見したことにしたかもしれない。自分が両親に庇護されて育ったように、これから自分は両親を庇護する立場になっていくのかもしれない。そう思うには早すぎる年齢だが、芦田愛菜の演技には、そんな驚異的な包容力の芽生えが感じ取れる。原作にはない「まーちゃんに子どもが生まれた」という両親の報告があるが、これは映画が物語に希望を与えた証拠だ。不安や憂鬱を抱えるより希望をになうほうが辛いことがある。それでもになうちひろを、芦田愛菜がわがこととして丁寧に表現する。いい女優になってくれるだろう。
◎10月9日より公開
内海陽子プロフィール
1950年、東京都台東区生まれ。都立白鷗高校卒業後、三菱石油、百貨店松屋で事務職に従事。休みの日はほぼすべて映画鑑賞に費やす年月を経て、映画雑誌「キネマ旬報」に声をかけられ、1977年、「ニッポン個性派時代」というインタビューページのライターのひとりとしてスタート。この連載は同誌の読者賞を受賞し、「シネマ個性派ランド」(共著)として刊行された。1978年ころから、映画評論家として仕事を始めて現在に至る。(著者の近著はこちら)
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