オフビートの笑いが楽しい;『デッド・ドント・ダイ』のビル・マーレイを見よ!
『デッド・ドント・ダイ』(2019・ジム・ジャームッシュ監督)
映画評論家・内海陽子
わたしはゾンビ映画をあまり好まないが、“好まないもの観たさ”という心理が働いてけっこう観ている。今まで観た中で特に気に入っているのは『ゾンビランド』(2009・ルーベン・フライシャー監督)で、引きこもりゆえにゾンビ禍を免れた青年(ジェシー・アイゼンバーグ)と、荒っぽい銃撃でゾンビを倒してきたカウボーイハットの男(ウディ・ハレルソン)がコンビを組む物語だ。二人は詐欺師の可愛い姉妹にころりとだまされるが、結局一致団結の末、疑似家族を形成するので、ゾンビ禍は人の生涯に次々に立ち現れる困難や試練の象徴になる。明るく前向きで適度におバカで啓蒙的側面もある佳作だ。
『ゾンビランド』の終盤に、名だたるゾンビ役者という設定でビル・マーレイが登場し、本物のゾンビになってしまい、演じている=ふざけている様子がじつに楽しい。だいたいビル・マーレイが登場すればのどかなお笑い系の映画だと思っていると、たまにゆるい悲劇系の映画があり、彼が登場するジム・ジャームッシュ監督の映画はあきらかに後者である。憂鬱そうなビル・マーレイはけっこう男っぷりがいいので、わたしはこちらの彼も好む。
『デッド・ドント・ダイ』には森に住む“世捨て人”ボブ(トム・ウェイツ)が登場し、舞台であるセンターヴィルの町に繰り広げられるゾンビによる惨劇を見守り、記憶する役目を担う。動物たちがみな森に逃げ込むので、森は安全な場所なのだろう。文明に毒されていないところの象徴かもしれない。なにしろ、この映画に登場するゾンビたちに顕著なのは生前の強い欲望で、酒、コーヒー、スマートフォン、スポーツなど、依存症を思わせる欲望の虜になっている。しかしいまさらゾンビ映画で文明批評めいた皮肉を投げかけられても、映画そのものが堂々たる文明の産物なのだから、パンチは弱い。劇中でゾンビと化したホラーオタク青年は、きっとホラー、ホラー、ゾンビ、ゾンビとつぶやきながら歩くのだろう。
つまりこの映画の見どころ、楽しみどころは、物語の展開にあるのではなく、シチュエーションと会話の妙にある。老いた警察署長のビル・マーレイと、訳知り顔の警官、アダム・ドライバーが突っ立っているだけでなんだか愉快になるし、話をすれば互いの興味のずれや人間性のかみあわないところが浮き彫りになってさらにおかしい。警官が好きだというカントリーソング「デッド・ドント・ダイ」はなかなかいい曲だが、それはわたしが歌詞に刺激されないからで、署長にとっては悪趣味極まりない歌なのだろう。惨劇が広がる中、能天気にパトカー内でCDを聴く警官に怒りを爆発させる署長は絶望の極みにあり、彼が発する無力感がこの映画の持ち味になっている。そもそも世捨て人のボブは署長の幼なじみであり、署長が彼を野放しにしておくのは単なる友情どころか、相当な親愛感の表れである。定年後も署長を辞めないのはきっと彼のためなのだ。
女優陣もいい女が揃っている。眼鏡の似合う女性警官のクロエ・セヴィニーは、ゾンビの襲来に心身の動揺を抑えられず、パトカーの窓に張り付いて自分の名を呼ぶ祖母の姿にパニックを起こし、ドアを開けて外へ飛び出してしまう。自分が、生前の祖母の強い愛情の対象だったことに感激したからであり、きわめて人間らしいふるまいである。それを十分に察した署長は、のちにゾンビと化した彼女と再会して悲しむが、警官のほうは特段の感情を見せはしない。合理主義の権化のような警官は、この映画において明らかに悪人になる。
ヴィジュアル的に圧倒的なのは、イギリス人女優ティルダ・スウィントン。奇妙な訛りのある言葉遣いの葬儀社主人で、日本刀遣いの達人である。彼女がゾンビの首をためらいなくなめらかに斬りおとす様子は美しい儀式のようで、その正体が明かされてもまったく驚かない。それはわりあい陳腐な設定である。そもそもこの物語では極地の大胆な工事により地球の自転軸がずれたことがゾンビ出現の理由とされているが、これも思いつきとしか言いようがない陳腐な発想だ。この映画の、ジム・ジャームッシュのしたたかさは陳腐な設定や発想を恐れないということだろう。
そしてまた、この映画は、名優たちが陳腐さと闘ってみごと勝利するかと思いきや、どうやら勝利は見込めそうになく、唯一頼りになりそうに思えた存在は敵前逃亡に至るという情けなさである。アメリカのインディーズ・フィルムの雄として長く名を馳せてきたジム・ジャームッシュの、端的な決め技を繰り出さないという個性はしぶとく、やはり珍重されるべきものなのかもしれない。
◎6月5日より全国公開中
内海陽子プロフィール
1950年、東京都台東区生まれ。都立白鷗高校卒業後、三菱石油、百貨店松屋で事務職に従事。休みの日はほぼすべて映画鑑賞に費やす年月を経て、映画雑誌「キネマ旬報」に声をかけられ、1977年、「ニッポン個性派時代」というインタビューページのライターのひとりとしてスタート。この連載は同誌の読者賞を受賞し、「シネマ個性派ランド」(共著)として刊行された。1978年ころから、映画評論家として仕事を始めて現在に至る。(著者の新刊が出ました)
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