悲しみと愚かさと大胆さ;恋を発酵させるもうひとりのヒロイン
『マチネの終わりに』(2019・西谷弘監督)
映画評論家・内海陽子
世界に名をはせたクラシックギタリストがスランプに陥ったというよりも、漠たる不安にとりつかれたというか、中年の危機に陥ったというほうがよさそうな主人公・蒔野聡史(福山雅治)。彼は演奏中の舞台から客席の女性・小峰洋子(石田ゆり子)に一目ぼれする。それは、死の気配におののく者が必死に生(愛)を求める姿のようにも見え、いちおうわたしの気を引くが、物語そのものは、この時点では相当陳腐に感じられる。
そもそも一目ぼれをした相手が都合よく自分の想いに答えてくれることはめったにないだろう。この場合、洋子が蒔野の演奏に感銘を受けたという幸運はあるものの、そのことと求愛に応えることとは全く違う。フランス在住のジャーナリストとして活躍する女性にしてはずいぶん不用心な恋をするものだな、とわたしは冷ややかな視線を送る。すると、視界にはいってくるのが、蒔野のマネージャー・早苗(桜井ユキ)である。
早苗は、打ち上げのレストランで会話を重ねる蒔野と洋子の間に割り込むようにしてワインを飲む。初めは酔った姿がほほえましく見えたが、どうやら、早苗は蒔野にぞっこんだということがわかってくる。マネージャーがアーティストに恋をする、それはよくあることだろう。しかし常識として、恋心はアーティストを崇める者ならではの節度によって慎重に抑えられるべきものだ。ところが早苗はじわじわと恋する者の主張を始める。わたしは、彼女がどう動くのかが妙に気がかりになる。
不思議なことに、蒔野自身は早苗の熱いまなざしに気づかない。アーティストは自分の恋心には敏感でも、他者の恋心には鈍いのか。メガネをかけた地味な装いのせいもあるだろうが、打ち合わせの場面での「蒔野は、蒔野は…」という早苗の執ような発言の裏に潜むものに、やり手の音楽プロデューサー(板谷由夏)も気づかない。つまり周囲の全員が、彼女を単なる黒子としてしか見ていないのである。
やがて黒子は恋する者の本性を閃かせる。蒔野と逢う約束をした洋子が帰国して彼に一報を入れた後、蒔野の恩師(古谷一行)が倒れ、彼は病院へ向かう。だが携帯電話をタクシーに忘れ、それを受け取りに行った早苗は、おそろしい計略を思いつく。洋子に偽りのメールを送った後、水に落としてわざと壊し、蒔野には社用の携帯電話を渡し、そこに自分の私用の電話番号を洋子の番号だと偽って入れ、留守録にする。ちょっとしたトリックだが、互いを思いやり、遠慮があり、プライドも高い二人はいとも簡単に交信不能の状態にされてしまう。
ここで肝腎なのは、早苗が性悪な女に見えないことである。彼女は心中、ぶるぶる震えながら、このトリックを仕掛ける。自分の行うことの醜さと罪深さを十分に承知しながら、それでもそうせずにはいられず、ほとんど命懸けでトリックを仕掛ける。そういう彼女の心持ちが、わたしには仲を裂かれる恋人たちよりも哀れに思える。そもそも恋人の電話番号を暗記していない蒔野に落ち度があったというしかないではないか、とツッコミを入れたくなる。早苗は、彼が洋子の番号を暗記していない、というほうに賭けたのである。
そして4年が経過したとき、蒔野は早苗と結婚して子をもうけ、洋子はかつての婚約者(伊勢谷友介)と復縁したのか、やはり結婚して子をもうけていた。双方とも、けっこうお手軽な愛をみつけたものだ。蒔野は引退状態だったが、恩師の死をきっかけに再起を図ることになる。この映画はここにきてようやく、恋愛映画として本編が始まったというくらいの勢いが生じる。特に“真実”を知ったときの蒔野の反応が素晴らしい。福山雅治は、台所のシンクでグラスを左手に握り、思いきり握りしめる。グラスは割れ、手は血まみれになったかと思いきや、彼はそれを思いとどまったとわかる。その理由がクライマックスとともに明かされる。
「蒔野は主役、わたしは脇役」と早苗が言うシーンがあるが、この言葉には知恵者である脇役の自負がある。蒔野のために、わざわざニューヨークまで出向いて洋子に“真実”を告白し、「後悔はない」と胸を張る。無論それは虚勢だが、自分にとって一番大事な「蒔野の音楽」を完成させるための所業であることがひしひしと伝わる。演じる桜井ユキは、ありきたりな表現を排し、恋する者の悲しみと愚かさと大胆さを的確に示し、驚くべき向日性をも見せつける。脇役どころか、主人公二人に、逢えない時間と、恋を発酵させるチャンスを与えた、もうひとりのヒロインといってもいいだろう。
西谷弘監督は、甘い“大人の恋物語”を作ったのではない。そうではなく、いい年をした男女が、苦難の恋、傷だらけになった恋からどう立ち直っていくか、互いを思い合う気持ちをいかに忘れずに育てていくかを、丁寧な心理描写を重ねて、心に響くヒューマン・サスペンスに仕上げたのである。美しい中年女性としてかねて注目の的の石田ゆり子だが、ラストカットで見せる、相応に年を重ねた困惑の笑顔は、まことに女らしくて素敵である。
内海陽子プロフィール
1950年、東京都台東区生まれ。都立白鷗高校卒業後、三菱石油、百貨店松屋で事務職に従事。休みの日はほぼすべて映画鑑賞に費やす年月を経て、映画雑誌「キネマ旬報」に声をかけられ、1977年、「ニッポン個性派時代」というインタビューページのライターのひとりとしてスタート。この連載は同誌の読者賞を受賞し、「シネマ個性派ランド」(共著)として刊行された。1978年ころから、映画評論家として仕事を始めて現在に至る。(著者の新刊が出ました)
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