ヒロインを再現出させる魔術;ゼルウィガーの『ジュディ 虹の彼方に』

『ジュディ 虹の彼方に』(2019・ルパート・グールド監督)

 映画評論家・内海陽子

 顔立ちそのものより、表情の変化や身体の動かし方が心底好きだ、と思った女優はレネー・ゼルウィガーのほかにはいない。彼女が顔をくしゃっとゆがめて早口でしゃべるときの声音や、すばやく身体を翻すときの無垢な雰囲気に引き込まれる。出世作『ブリジット・ジョーンズの日記』(2001・シャロン・マグワイア監督)で、ブリジットが不機嫌な顔でワインのボトルを持ちグラスに注ぐシーンがあり、その手つきが気に入って真似してみたが滑稽なだけだった。わたしがやってもなにも起こらないが、ゼルウィガーのなにげないしぐさは、マジシャンのごとくその場の空気を変え温度を上げ、人心を揺さぶるのだ。

 そんな彼女がジュデイ・ガーランドを演じるのだから、単なる再現ドラマにとどまるはずがない。ヒロインは想像以上にゼルウィガー自身であり続け、そのままジュディでもある存在になる。姿かたちと演技を丁寧に似せ、歌声をみっちり鍛え、すべてをやりつくしたのちに、やはりゼルウィガーがひょっこり顔を出す。それがなんともエレガントなのだ。

ときは1968年。愛児二人を連れての巡業に行き詰ったジュディ(レネー・ゼルウィガー)は、元夫シド(ルーファス・シーウェル)に子供を預け、単身、ロンドンのキャバレーでの公演に出立する。酒とたばこ、睡眠薬が欠かせない彼女はつねに情緒不安定で、5週間もの興行に耐えられるかどうかわからない。世話係についた若く健康的なロザリン(ジェシー・バックリー)は早速ジュディの嫌味の攻撃を受けるが、めげることなく彼女を支え続ける。しかし状況は悪化の一途をたどり、ジュディはとうとう大事な観客を怒らせてしまう。

 若いうちに絶頂期を迎えてしまった者の人生はいびつにならざるを得ない。40代後半の現在と苦闘しながら、ジュディの脳裏に浮かぶのは『オズの魔法使』(1939・ヴィクター・フレミング監督)撮影時の記憶の断片である。大プロデューサーの威圧、睡眠不足を補うための薬物、食欲との闘い、そして淡く散った恋。心の傷などという生易しいものではないのは明らかで、やせ細った身体からあの声量がほとばしるのは奇跡のようである。

 実際のジュディはもっとずっと崩れた体型になっていただろうが、そこは映画ならではのマジック、ゼルウィガーの痩身は非常に美しい。額や頬や首筋には疲れがにじんでも、二の腕にはきれいな筋肉がつき、背中や立ち姿は抜群にしなやかだ。ぐったり床に伏した時など、あばら骨が薄く浮いた胸元や、やせ細った手先に透けて見える血管までがきれいで、瀕死の白鳥のような哀れを醸し出すのでつい見入ってしまう。

 どうやらレネー・ゼルウィガーは、老いることに伴うマイナスの要素をすべて引き受け、それらと堂々と併走することによって、新たな魅力を閃かすことに成功したようである。ジュディが舞台に無事立てるかどうか、立てたとしてもきちんと歌えるかどうか、当時の舞台観客同様に映画観客をもはらはらさせるのは、演じるゼルウィガーが期待を裏切らないものを持続して放っているからである。

 老いとともに生きるというテーマは観客の代表であるゲイのカップルにも託されている。サインを求めてジュディを楽屋口で待ち構えた彼らに、ジュディが気まぐれにディナーをいかが、と誘うところから始まる一幕は、生きづらい世に、ささやかな喜びを抱いて生きる者の純粋さがにじむ名場面だ。この一幕で、ゲイの男性の肩を背後からやさしく抱くジュディは聖母である。たとえ実の子との縁が遠くなろうとも、彼女には自分を愛し慕う観客という、素晴らしい子供たちがいるのだ。

 この映画はひとりのエンターテイナーの終焉を憐れんでいるわけではない。たとえみずからを絶え間なく痛めつけているように見えようとも、ジュディは終焉までを非常にエレガントに生き抜いたと思う。ステージを終え、暗い夜道をひとり歩く彼女の足取りが意外にしっかりしているのは彼女の自立心の表れであり、人生を肯定する者の姿である。華やかな笑いはないけれど、苦闘し続けたスターを、ゼルウィガーは陽気さをたくし込むようにクールに演じてのけた。わたしは彼女のファンとして生まれ変わった心地がする。

内海陽子プロフィール

1950年、東京都台東区生まれ。都立白鷗高校卒業後、三菱石油、百貨店松屋で事務職に従事。休みの日はほぼすべて映画鑑賞に費やす年月を経て、映画雑誌「キネマ旬報」に声をかけられ、1977年、「ニッポン個性派時代」というインタビューページのライターのひとりとしてスタート。この連載は同誌の読者賞を受賞し、「シネマ個性派ランド」(共著)として刊行された。1978年ころから、映画評論家として仕事を始めて現在に至る。(著者の新刊が出ました

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