観客を恐怖におののかせる『悪魔と夜ふかし』;本物の悪魔は人の心に巣くっている
『悪魔と夜ふかし』(2023・コリン・ケアンズ、キャメロン・ケアンズ監督)
映画評論家・内海陽子
テレビの収録スタジオに一般の視聴者がいると、どうしても見世物小屋やサーカス小屋を連想する。そういう観客はまともなものを提示しても満足するはずがなく、悪魔に注目が集まる国では、本物の悪魔が登場するかどうかがポイントになるだろう。どんな悪魔が登場するか、どんな悪さを見せてくれるか、収録スタジオに集った人々は無傷でいられるか。展開されるきわめて刺激的な映像を、われわれは固唾を飲んで見守ることになる。
深夜番組「ナイト・オウルズ」の司会者ジャック・デルロイ(デヴィッド・ダストマルチャン)は、ライバルに差をつけられて苦しんでいた。彼が起死回生の一手としてひねり出したのは「悪魔の生出演」。めぼしい出演者を用意したが、番組が盛り上がるかどうかはジャックの腕ひとつにかかっている(と当人は思っている)。まずは霊能者クリストゥ(フェイザル・バジ)が観客席を盛り上げ、それなりの雰囲気を出すが、やがて彼の様子がおかしくなる。次に登場したのは、天才マジシャンから懐疑論者に転じたヘイグ(イアン・ブリス)で、自説が通らなかったら賞金を出すとまで豪語する。
そして真打登場。カルト教団の生き残りで、悪魔にとりつかれた少女リリー(イングリット・トレリ)と、彼女を庇護し、能力を制御・指導する学者ジューン(ローラ・ゴードン)で、ヘイグは頭ごなしに二人の行為をフェイクだと否定する。ここから、早くもリリー対ヘイグの対決ムードが高まり、それぞれの得意技とも言うべきグロテスクなシーンが披露される。ここで目を引くのはリリーではなくヘイグのほうで、華やかで意表を突き、見世物としては一級品である。おまけに観客席ばかりか、テレビの視聴者=映画観客まで丸ごと引っかけるのだからお見事というほかない。
だが、もし悪魔が本当にいるとしたら、ここで引き下がるわけがなく、とっておきの仕掛けを講じるのは当然のことだろう。悪魔は本腰を入れ、出し惜しみすることなく、どんどんエスカレートする。収録裏のプロデューサーの欲にまみれた指令や、怯えたスタッフの動揺を巧みに織り込み、あれよあれよという間にクライマックスに突入する。もったいぶったそぶりや、陰陰滅滅とした時間稼ぎのようなものはない。どんなことでも起こり得る世界としてのテレビの収録裏があからさまになるのである。
彼らのやり取りの中で面白いと思ったのは「映像は噓をつかない」という複数の発言だ。わたしは即座に「映像は嘘をつくだろう!」、あるいは「映像こそが最高の嘘つきだ!」と脳裏で反論するが、思えばこの映画世界が見せているのは1977年のテレビの秘蔵映像だ。まだまだスタジオの観客も一般視聴者もうぶだった時代の記録映像である。がんで亡くなったジャックの妻が、生前、末期で病み衰えているはずなのに豊かな体躯を誇っているのも何やら不自然で、そう思わせることもまた映像の仕掛けだろうか。
それにしても、悪魔という存在は、よほど人の弱みが好きとみえる。リリーにとりついているのは「アブラクサスに仕える悪霊で、人の混乱が大好物」という説明があるが、それは人間そのものとしか言いようがない気がしてくる。この世は、人間がひしめき合い、協力したり、対立したりで忙しい。年がら年中、それぞれの人間の内に巣くう悪魔が喜び合っているようなものである。逆に考えれば、人間がそろって慎重に身の内の悪魔を取り押さえることが可能になれば、混乱はいっさい生じないはずだ。
だがそうはならないのである。そもそも人間こそが混乱が大好きで、人を出し抜き、手柄を立て、自分が頂点に立ちたいと願っている。そういう弱みを持った人間ばかりの世界で、悪魔がほくそ笑まないはずがなく、悪魔がどんどん強力になるのは理の当然である。悪魔の切磋琢磨。その晴れ舞台として最もふさわしいと思われるのがテレビの収録現場である。エンディングの後、事態がどのように収拾されたのかわからないが、たとえ、全員が晴れ晴れとした笑顔で立ち上がったとしても、わたしはいっさい文句を言わない。なぜなら、わたしも人の混乱が大好きな“同じ穴のムジナ”だからだ。
◎10月4日より公開
内海陽子プロフィール
1950年、東京都台東区生まれ。都立白鷗高校卒業後、三菱石油、百貨店松屋で事務職に従事。休みの日はほぼすべて映画鑑賞に費やす年月を経て、映画雑誌「キネマ旬報」に声をかけられ、1977年、「ニッポン個性派時代」というインタビューページのライターのひとりとしてスタート。この連載は同誌の読者賞を受賞し、「シネマ個性派ランド」(共著)として刊行された。1978年ころから、映画評論家として仕事を始めて現在に至る。(著者の近著はこちら)
『愛がなんだ』:悲しみとおかしみを包み込む上質なコートのような仕上がり
『バースデー・ワンダーランド』:情感とスピード感に満ちた贅沢なひととき
『家族にサルーテ! イスキア島は大騒動』:けっして自分の生き方を諦めない大人たちを描きぬく
『エリカ38』:浅田美代子が醸し出す途方に暮れた少女のおもかげ
『ファイティング・ダディ 怒りの除雪車』:本作が断然お薦め! 頑固一徹闘うジジイ
『DANCE WITH ME ダンス ウィズ ミー』:正常モードから異常モードへの転換センスのよさ
『記憶にございません!』:笑いのお座敷列車 中井貴一の演技が素敵!
RBGがまだ世間知らずだったとき:ルース・B・ギンズバーグの闘い
『劇場版おっさんずラブ LOVE or DEAD』常に新鮮で的確な田中圭のリアクション
千葉雄大の孤軍奮闘にハラハラ;『スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼』
成田凌から飛び出す得体のしれないもの;ヨコハマ映画祭・助演男優賞受賞に寄せて
情熱あふれる歌・踊り・群舞;『ヲタクに恋は難しい』の高畑充希になり切る
生きていると否応なく生じる隙間;『街の上で』若葉竜也の「素朴」さに注目!
ヒロインを再現出させる魔術;ゼルウィガーの『ジュディ 虹の彼方に』
オフビートの笑いが楽しい;『デッド・ドント・ダイ』のビル・マーレイを見よ
現代によみがえる四人姉妹;『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』
夜にたたずむ男の見果てぬ夢;『一度も撃ってません』の石橋蓮司に映画館で会おう
長澤まさみの艶姿を見よ!;『コンフィデンスマン JP プリンセス編』は快作中の快作
どことなく滑稽でどことなく怖い;『星の子』にみる芦田愛菜の包容力
挑戦をやめない家族;『ヒトラーに盗られたうさぎ』でリフレッシュ
おらおらでひとりいぐも;田中裕子の『おらおらでひとりいぐも』
内海陽子「誇り高き者の確執、愛憎」;佐野亨編『リドリー・スコット』に寄稿しました
小粋な女性のサッカー・チーム;『クイーンズ・オブ・フィールド』で愉快になれる
娑婆は我慢の連続、でも空は広い;西川美和監督の『すばらしき世界』は温かく冷たい
感情を自在に操ることのできる演技者・水川あさみ;ヨコハマ映画祭・主演女優賞受賞によせて
最高の「嘘っぱち!」物語;『騙し絵の牙』の大泉洋は期待通りの全開
チャーミングな老人映画;『カムバック・トゥ・ハリウッド‼』を見逃すな
「打倒! まとも」が新しい世界を運んでくる;『まともじゃないのは君も一緒』の成田凌を深読みする
役所広司の醸し出す「歴史」;『峠 最後のサムライ』のぬくもり
異様な細部がすばらしい『ベルヴィル・ランデブー』;おばあちゃんの闘争は続く!
恋ゆえに渡る危ない橋『ファイナル・プラン』;リーアム・ニーソンからの「夢のギフト」
王道を行く人情コメディ;やっぱり笑える『明日に向かって笑え!』
「君は世界を守れ、俺は君を守る」;初々しい『少年の君』のチョウ・ドンユイ
漫画家夫婦の不倫ゲームを楽しむ;黒木華と柄本佑の『先生、私の隣に座っていただけませんか?』
未来についての勇気の物語;『愛のくだらない』の藤原麻希がみせる推進力
ムロツヨシの「愚直」な演技力;『マイ・ダディ』の聖なる滑稽さ
ジェイソン・ステイサムの暗く鈍い輝き;『キャッシュトラック』の「悪役」が魅せる
底なし沼に足を踏み入れたヒロイン;『アンテベラム』の終わらない感情
早すぎる時間の中での成長;『オールド』にみるシャマラン監督の新境地
二人はともに優しい女房のよう;西島秀俊と内野聖陽の『劇場版 きのう何食べた?』
おどおどしつつも男の意気地が光る!;中谷美紀と田中圭の『総理の夫』
生き生きとした幸福のヒント;加賀まりこが母を演じる『梅切らぬバカ』
前進する者への確かなエール;リーアム・ニーソンの『マークスマン』
小さな人間にも偉大なことはできる;妻の仇討ち物語『ライダーズ・オブ・ジャスティス』
AIを超える人間の誠意;『ブラックボックス 音声分析捜査』の最後に残る希望とは
体全体で感じる音楽の喜び;『CODA あいのうた』の家族たち
胸がすく女殺し屋の戦闘シーン;『ガンパウダー・ミルクシェイク』から目を離すな!
臨床心理士が逆に心を解読される恐怖;『カウンセラー』がみせる短編映画の切れ味
深い思いやりをもって吸い付くように伴走する笠松則通の眼;ヨコハマ映画祭・撮影賞によせて
肩の凝らない、いいセーター;今泉力哉監督の『猫は逃げた』は恋のトラブルの高みの見物
隠し味が効いてる『ゴヤの名画と優しい泥棒』;実話の映画化はやっぱり喜劇が最高だ!
田中圭の『女子校生に殺されたい』;目当ての少女を見つけ出せ!
生きることはミステリアス;小林聡美の『ツユクサ』がもつ苦味とおかしみ
奇妙な悲しみをたたえる阿部サダヲが怖い;『死刑にいたる病』が残す余韻
「少女」を演じる宮本信子が温かい;『メタモルフォーゼの縁側』は生きて行く活力を伝える
鳥肌が立つほどの軽やかさと上品さ;中井貴一の『大河への道』は裏切らない
あの世への優雅なダンス;『スワンソング』の心地よい風に吹かれて
人生における美しい瞬間;『セイント・フランシス』の小さな体験
「イエス」で答え「アンド」で繋げる未来;『もうひとつのことば』の初々しい二人
永野芽郁のバンカラ女子がいい;『マイ・ブロークン・マリコ』の確かな手ごたえ
『ドライビング・バニー』は振り返らない:アンチヒーローの正義
正念場を迎えた4つのカップル;『もっと超越した所へ。』のいい加減で深刻な情熱
男がひとりで食べるフルーツパフェの味;『窓辺にて』の嫉妬とおかしみ
生きる上で幸福は花火のよう;『夜、鳥たちが啼く』の晴れやかな世界への出発
阿部サダヲの『アイ・アム まきもと』は温かい;死を通じて人と繋がる静かな高揚感
世界は美しさに満ちている;カンバーバッチの『ルイス・ウェイン 生涯愛した妻とネコ』
弱虫だから輝く『雑魚どもよ、大志を抱け!』;内海陽子が足立紳監督の魅力と「誕生秘話」を語る
悩んで悩んで悩みぬく竹野内豊と黒木華;『イチケイのカラス』は上質なエンターテインメント
永遠性を獲得した異形の少女;『エスター ファースト・キル』が暴く家族の狂気
『Winny』は人生のドラマ;東出昌大という俳優の復活をみる
リーアム・ニーソンの『MEMORY メモリー』:殺し屋とFBI捜査官の意外な連帯感が楽しい
手ごたえのある人生を勝ち取る;『ウィ・シェフ!』の深い味わい
『テノール! 人生はハーモニー』の愛と悲しみ;思う相手に心が届く瞬間
「ちきゅう」はどこまでも繋がっている;『せかいのおきく』にある強い向日性
『釜石ラーメン物語』はチャーミングでハッピー;闘い続ける姉妹が発散する活力
父と息子の対決を包み込むあたたかい風;『ふたりのマエストロ』の颯爽とした女たち
『高野豆腐店の春』は男心のサスペンス;藤竜也は女たちを輝かせる
孤独・情熱そして生きる意欲;人間の深みを描く『ダンサー イン Paris』
はちゃめちゃな闘いぶりに体温が上がる;『SISU/シス 不死身の男』は屈しない精神の映画
『LONESOME VACATION ロンサムバケーション』の「行間」を読む楽しさ;自分の未来を発見する物語
女は被害者ではなく加害者がふさわしい;『私がやりました』の魅惑的なアジテーション
『ショータイム』は哀歓に満ちた奇跡の物語;すべての人生は敗者復活戦だ
足立紳監督『春よ来い、マジで来い』を語る;内海陽子が迫る最新小説と『ブギウギ』の背景
最後まで観客を振り回す見事な展開;『TALK TO ME トーク・トゥ・ミー』で味わう恐怖と謎とき
風格ある江口のりこの演技力;『あまろっく』は「失意」からの脱出物語
ムロツヨシが大活躍の『身代わり忠臣蔵』;多彩なキャストで笑わせる正月映画の楽しさ
リュック・ベッソンの『DOGMAN ドッグマン』;すさまじい殺戮と深い癒しの物語
黒木華と岸井ゆきの――大女優への道;内海陽子が論じるヨコハマ映画祭主演女優賞の2人
柔軟なエネルギーの発露とまごころ・目黒蓮;ヨコハマ映画祭・最優秀新人賞によせて
殺人犯と少年たちの熾烈な心理戦;『ゴールド・ボーイ』は果てしない愛憎の迷路
恋は天下の回りもの『ブルックリンでオペラを』;人生は意表を突く喜びに満ちている
チホとイルヨンの恋物語が胸に迫る!;『マイ・スイート・ハニー』はジワリと泣かせてくれるコメディ
市原隼人の『劇場版 おいしい給食 Road to イカメシ』を見よ!;給食をめぐる「一期一会」の戦いは続く
好きよりももっと好きな二人の関係;『からかい上手な高木さん:は十年かけて育てた初恋の物語
三姉妹の諍いが激しい『お母さんが一緒』;画面に出てこない母親の甘酸っぱい存在感
美少女リアがカンフーで大活躍!;『ポライト・ソサエティ』は切れ味最高の娯楽映画
さらさらとした母の愛の大きさ;『ぼくが生きてる、ふたつの世界』は聴覚障害の両親をもった少年の成長記
『本日公休』が描き出す理髪師アールイの人生;「後頭部をみればなんでもわかる」
観客を恐怖におののかせる『悪魔と夜ふかし』;本物の悪魔は人の心に巣くっている