臨床心理士が逆に心を解読される恐怖;『カウンセラー』がみせる短編映画の切れ味
『カウンセラー』(2020・酒井善三監督)
映画評論家・内海陽子
かなり昔、知り合いのバーのマダムから、外国の映画祭に出席するので代わりに店を預かってくれと頼まれたことがある。尻込みして断ったが、ある人が「マダムの仕事は物理的サービスに徹するのがコツだからあなたには難しいかもしれない」と優しく解説してくれた。多少の同情心があるぶん、他人の感情に巻き込まれやすく疲れるだろうとのことだった。
『カウンセラー』の主人公は臨床心理士だから、人の心を慮る能力こそが大事で、物理的サービスに徹するのでは仕事にならない。むろんそれなりの精神の訓練は受けているだろうが、訪れた人の話を聞いているうちに、いやおうなく動揺することもあるのではないだろうか。しかも彼女は身重である。
臨床心理士の倉田真美(鈴木睦美)は、翌日から出産休暇を取ることになっている。だが時間外に訪れた女性の様子を見て、話を聞くことにした。吉高アケミ(西山真来)と名乗る専業主婦は、妖怪が見えるようになったと言う。会社勤めをしていた5年前、宅配便の配達員・栗林(田中陸)と突然の性的関係が始まって、とみずからの体験を語り続けるが、それを聞いている倉田の様子に徐々に変化が現れる。吉高ははたして彼女自身の話をしているのだろうか、彼女はむしろ、自分(倉田)のことを言っているのではないか、聞けば聞くほど彼女の話は自分のことのようだ……という風に倉田の顔はこわばる。
主導権を握っていたはずの倉田が、吉高に気圧されて小動物のように怯えた表情になる。ここで展開されているのはどことなく洗脳に似た行為である。倉田が不安になるのは、情報がないので吉高の正体がわからず、彼女になんらかの意図があるのかどうか、それもさっぱりわからないからだ。吉高という女性は心を病んでいるのだからと簡単には割り切れない、いたたまれないような恐怖が倉田をつつみ始める。
洗脳というなら、映画そのものが優秀な洗脳装置のようなものである。吉高の話が映像でリアルに展開され、映像の中で吉高が倉田に変わり、倉田の中にあったおぼろげな未来への恐怖=出産への恐怖が形を整える。まだ起きていないできごとが、予知されたもののように映像で展開され、それが確実なものとして倉田の中で育ってしまう。
吉高と話していた部屋からいったん外に逃げた倉田のもとに、宮谷(田中陸)がやってくる。ふたりは性的関係を持ったことがあるとわかり、栗林と宮谷を同じ俳優が演じているということが、この映画のこしゃくな洗脳性をあらわにする。ちょっとしたアヴァンチュール、ちょっと魔が差しただけの関係、そうやって深く考えることなく処理してきたことがらが、出産を前にして巨大な恐怖の塊のようになって倉田を襲う。
倉田の唐突なつぶやきで映画は閉じるが、彼女が味わった恐怖は観客に引き取られて続くことになる。その中には、描かれていない倉田の私生活、吉高の本当の私生活をパズルの解読のように想像する楽しみが含まれている。すぐれた短編は冗漫な長編を軽々と凌ぐ、ということを証明する注目作である。
◎2022年3月下旬よりユーロスペース渋谷で拡大公開
内海陽子プロフィール
1950年、東京都台東区生まれ。都立白鷗高校卒業後、三菱石油、百貨店松屋で事務職に従事。休みの日はほぼすべて映画鑑賞に費やす年月を経て、映画雑誌「キネマ旬報」に声をかけられ、1977年、「ニッポン個性派時代」というインタビューページのライターのひとりとしてスタート。この連載は同誌の読者賞を受賞し、「シネマ個性派ランド」(共著)として刊行された。1978年ころから、映画評論家として仕事を始めて現在に至る。(著者の近著はこちら)
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