おどおどしつつも男の意気地が光る!;中谷美紀と田中圭の『総理の夫』

『総理の夫』(2021・河合勇人監督)

 映画評論家・内海陽子

 政界の暗くて怖い部分はきれいにオブラートにくるまれ、日本初の女性内閣総理大臣、相馬凛子(中谷美紀)はすらりと登場する。彼女の熱狂的支持者は“凛子ジェンヌ”と呼ばれることになり、なるほどフランスはパリの香りか……と思ったら、中谷美紀が『電車男』(2005・村上正典監督)で演じた“エルメス”という役が脳裏に浮かんで重なった。となると「総理の夫」である相馬日和に扮する田中圭は『電車男』の主人公、山田孝之に重なるではないか。高嶺の花と思われる伴侶を得て、彼女に釣り合う男になれるかどうかという非マッチョ男の挑戦。この点において両者はよく似ている。

「鳥類研究所」の研究員と言えば聞こえはいいが、つまりバードウォッチングが好きなだけの鳥オタクの日和が、久しぶりの出張を楽しんで帰ったら、妻の凛子は内閣総理大臣になっていた。そういえば「もしも私が総理大臣になったら、何かあなたに不都合はある?」と言われたような気がするが、ぼんやり頭の日和は深く考えなかった。妻の言葉が現実になってみると、不都合が山となって押し寄せ、内閣広報官の富士宮(貫地谷しほり)が彼の監視役につき、ぬるま湯につかったような日和の生活は一変した。

 そもそも凛子との結婚は、日和がいちおうプロポーズしたものの、そうさせたのは凛子ではないだろうか。彼は「ソウマグローバル」の御曹司だが、会社は長男の多和(片岡愛之助)がCEOで、母親(余貴美子)が会長を務め、日和の出番はない。もしもの時の資金力を持ち、暇だけはたっぷりある男。こういう男が夫だったら、政治家である妻の足を引っ張るような真似はせず、鳥オタクだから浮気の心配もなく、何かにつけ好都合である。凛子の政治力は、私生活において、すでに十分に発揮されていた。日和にとって、結婚は “凛子のペット”になることであったと思われる。

『おっさんずラブ』シリーズで明らかなように、田中圭は巻き込まれ型おとぼけヒーローがよく似合う。自分ではほとんど何も手を打てないのだが、それがほどよく観客を翻弄して快適なリズムを作り出し、いつしか彼も力を蓄え、最終的には理想的着地点を見出す。その過程に無理がなく、温かな共感を誘う。今回もいくつかのトラブルに見舞われるが、中でもおかしいのはハニートラップに引っ掛かるところ。「鳥類研究所」の同僚研究員、るい(松井愛莉)が突然しどけない姿になり、わざわざよく見えるところで彼にしなだれかかる。ここまで無防備な男がいるのかと呆れるが、観ていて楽しく、ほんのちょっぴりのリアリティの匙加減がいい。

 巻き起こったスキャンダルを見事に収めてしまうのが、相馬凛子総理の腕の見せどころ。「鳥類研究所」にやって来た凛子は、るいの身の上話を誠実に聞きだすことから始め、彼女を味方につけるどころか自分のとりこにしてしまう。凛子の後ろ盾を装いながら、実は引きずりおろすことを画策する政界の策士、原九郎(岸部一徳)こそが、日和にハニートラップを仕掛けた張本人であることなど、凛子はとうにお見通しだが、原九郎に対して嫣然とした態度を貫く。老獪なオヤジの扱いに修練を積んだ女の“格”を見せつける。

 後半、妊娠した凛子が切迫流産の危機に見舞われるのだが、この個所は田中圭のおとぼけぶりを楽しみたかったご婦人の興をそいだようで、劇場では二人のご婦人が退場して行った。確たる理由はわからないが、総理大臣になった女性が、妊娠、出産で苦悩するという描写を見たくないのかもしれない。だが、映画はこのくだりにかなり力を注いでおり、日和の凛子への愛情の深さが試される。ラブコメディといえども、人生の重要点を含んでいるのだから、ここはしっかり見届けようではないか、とわたしは二人のご婦人を叱りたい。

 いまや「シンデレラストーリー」が夢物語だということは誰でも知っている。「いつか王子様が」来るわけがないことを、気の利いた女性なら誰でも知っている。しかし王子様がいないというわけではないのだ。日和がおどおどしつつも、自分の言葉で凛子を支えていく決意を表明するところは「いつか王子様に」なる男の意気地が光る。これは奇をてらった政界物語ではなく、男が女を愛する姿勢を描くまっとうな物語なのである。

◎2021年9月23日より公開中

内海陽子プロフィール

1950年、東京都台東区生まれ。都立白鷗高校卒業後、三菱石油、百貨店松屋で事務職に従事。休みの日はほぼすべて映画鑑賞に費やす年月を経て、映画雑誌「キネマ旬報」に声をかけられ、1977年、「ニッポン個性派時代」というインタビューページのライターのひとりとしてスタート。この連載は同誌の読者賞を受賞し、「シネマ個性派ランド」(共著)として刊行された。1978年ころから、映画評論家として仕事を始めて現在に至る。(著者の近著はこちら

 

内海陽子のほかのページもどうぞ

『愛がなんだ』:悲しみとおかしみを包み込む上質なコートのような仕上がり

『バースデー・ワンダーランド』:情感とスピード感に満ちた贅沢なひととき

『家族にサルーテ! イスキア島は大騒動』:けっして自分の生き方を諦めない大人たちを描きぬく

『町田くんの世界』:熱風がユーモアにつつまれて吹き続ける

『エリカ38』:浅田美代子が醸し出す途方に暮れた少女のおもかげ

『ファイティング・ダディ 怒りの除雪車』:本作が断然お薦め! 頑固一徹闘うジジイ

『DANCE WITH ME ダンス ウィズ ミー』:正常モードから異常モードへの転換センスのよさ

『記憶にございません!』:笑いのお座敷列車 中井貴一の演技が素敵!

熱い血を感じさせる「男の子」の西部劇

RBGがまだ世間知らずだったとき:ルース・B・ギンズバーグの闘い

『劇場版おっさんずラブ LOVE or DEAD』常に新鮮で的確な田中圭のリアクション

俺はまだ夢の途中だぁ~!:草彅剛の持ち味満喫

相手を「発見」し続ける喜び:アイネクライネナハトムジーク

僕の人生は喜劇だ!;ホアキン・フェニックスの可憐な熱演

カトリーヌ・ドヌーヴの物語を生む力

悲しみと愚かさと大胆さ;恋を発酵させるもうひとりのヒロイン

獲れたての魚のような映画;フィッシャーマンズ・ソング

肩肘張らない詐欺ゲーム;『嘘八百 京町ロワイヤル』

あったかく鼻の奥がつんとする;『星屑の町』の懐かしさ

高級もなかの深い味わい;『初恋』の三池崇史節に酔う

千葉雄大の孤軍奮闘にハラハラ;『スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼』

成田凌から飛び出す得体のしれないもの;ヨコハマ映画祭・助演男優賞受賞に寄せて

関水渚のふてくされた顔がいい;キネマ旬報新人女優賞受賞

情熱あふれる歌・踊り・群舞;『ヲタクに恋は難しい』の高畑充希になり切る

受賞者の挨拶はスリリング;キネマ旬報ベスト・テン 続報!

年を取るってすばらしいこと;波瑠と成田凌の『弥生、三月』

洗練された泥臭さに乾杯!;『最高の花婿 アンコール』

生きていると否応なく生じる隙間;『街の上で』若葉竜也の「素朴」さに注目!

ヒロインを再現出させる魔術;ゼルウィガーの『ジュディ 虹の彼方に』

わたしはオオカミになった;『ペトルーニャに祝福を』

心が晴れ晴れとする作品;『五億円のじんせい』の気性のよさ

「境目」を超え続けた人;大杉漣さんの現場

老いた眼差しの向こう;『ぶあいそうな手紙』が開く夢

オフビートの笑いが楽しい;『デッド・ドント・ダイ』のビル・マーレイを見よ

現代によみがえる四人姉妹;『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』

夜にたたずむ男の見果てぬ夢;『一度も撃ってません』の石橋蓮司に映画館で会おう

長澤まさみの艶姿を見よ!;『コンフィデンスマン JP プリンセス編』は快作中の快作

幸運を呼ぶ赤パンツ;濱田岳と水川あさみの『喜劇 愛妻物語』

刃の上を歩くような恋;『燃ゆる女の肖像』から匂い立つ輝き

どことなく滑稽でどことなく怖い;『星の子』にみる芦田愛菜の包容力

挑戦をやめない家族;『ヒトラーに盗られたうさぎ』でリフレッシュ

おらおらでひとりいぐも;田中裕子の『おらおらでひとりいぐも』

弱い人間への労りのまなざし;波留の『ホテルローヤル』

内海陽子「誇り高き者の確執、愛憎」;佐野亨編『リドリー・スコット』に寄稿しました

小粋な女性のサッカー・チーム;『クイーンズ・オブ・フィールド』で愉快になれる

娑婆は我慢の連続、でも空は広い;西川美和監督の『すばらしき世界』は温かく冷たい

感情を自在に操ることのできる演技者・水川あさみ;ヨコハマ映画祭・主演女優賞受賞によせて

最高の「嘘っぱち!」物語;『騙し絵の牙』の大泉洋は期待通りの全開

チャーミングな老人映画;『カムバック・トゥ・ハリウッド‼』を見逃すな

「打倒! まとも」が新しい世界を運んでくる;『まともじゃないのは君も一緒』の成田凌を深読みする

役所広司の醸し出す「歴史」;『峠 最後のサムライ』のぬくもり

異様な細部がすばらしい『ベルヴィル・ランデブー』;おばあちゃんの闘争は続く!

恋ゆえに渡る危ない橋『ファイナル・プラン』;リーアム・ニーソンからの「夢のギフト」

王道を行く人情コメディ;やっぱり笑える『明日に向かって笑え!』

「君は世界を守れ、俺は君を守る」;初々しい『少年の君』のチョウ・ドンユイ

漫画家夫婦の不倫ゲームを楽しむ;黒木華と柄本佑の『先生、私の隣に座っていただけませんか?』

未来についての勇気の物語;『愛のくだらない』の藤原麻希がみせる推進力

ムロツヨシの「愚直」な演技力;『マイ・ダディ』の聖なる滑稽さ

ジェイソン・ステイサムの暗く鈍い輝き;『キャッシュトラック』の「悪役」が魅せる

底なし沼に足を踏み入れたヒロイン;『アンテベラム』の終わらない感情

早すぎる時間の中での成長;『オールド』にみるシャマラン監督の新境地

二人はともに優しい女房のよう;西島秀俊と内野聖陽の『劇場版 きのう何食べた?』

おどおどしつつも男の意気地が光る!;中谷美紀と田中圭の『総理の夫』

生き生きとした幸福のヒント;加賀まりこが母を演じる『梅切らぬバカ』


『女優の肖像』全2巻 ご覧ください

Follow me!

おどおどしつつも男の意気地が光る!;中谷美紀と田中圭の『総理の夫』” に対して1件のコメントがあります。

  1. 東谷暁先生の大ファンでもある50代 より:

    先生はじめまして。『いつかの君にもわかること』は先生の評を拝読して映画館へ、『ゴヤの名画と優しい泥棒』はDVDを観たあと先生の評を拝読し、いずれも深い感銘を受け、ご信頼申しあげております。いまDVDで『総理の夫』を観たところです。前半、こんなに豪華な配役なのに、でたらめで薄い内容の、ダメダメな脚本、演出のくだらない作品だとプリプリ、イライラしながら観てましたが、後半、観るべきところを逸らさず挙げて評された先生のまさにその通りだと感じた次第です(ふたりのご婦人はしかたがないかなと思います)。BBCの『イエス、プライムミニスター』のシリーズに歓喜した人間としては、中井貴一さんの三谷幸喜映画もつまらないわけではないがやはり充足できませんでした。引き続きご健筆をお祈り申しあげます。

    1. komodon-z より:

      まことにありがとうございます。内海陽子ともども励みになります。せっかくコメントしていただいたのに、掲載と返信が大変おくれて申し訳ありません。10月7日に国際的事件があってブログのほうでフォローし、さらに仕事の打ち合わせなどであたふたし、コメント欄をチェックする時間を、とっていませんでした。これにこりずに、今後もコメントくだざい。(東谷暁)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください