ムロツヨシの「愚直」な演技力;『マイ・ダディ』の聖なる滑稽さ
『マイ・ダディ』(2021・金井純一監督)
映画評論家・内海陽子
ちょっと気持ち悪い男を演じさせたら天下一品のムロツヨシは、いつしかすっかり二枚目半になり、とうとう主役として二枚目を演じる域に突入した。といっても真正面から美女と恋を語らうのは気後れするから、とでもいうように、堅物でついていない牧師の役である。ムロツヨシは真面目に演じれば演じるほどおかしいという技も持っているから、どういう風に演じるのかと興味津々だったが、さすがというべきか、オーバーアクションを封じた静かな演技が基調になっており、その静かさにかすかな毒をひそませる。彼が目指したのは、たぶん“愚直の人”である。
聖パウロ教会の牧師・御堂一男(ムロツヨシ)は、妻の江津子(奈緒)を8年前に亡くし、中学生の娘ひかり(中田乃愛)と二人暮らしだ。貧しいながらも平凡な幸せをかみしめていたある日、ひかりが倒れ、病院で白血病と診断された。最初の衝撃は何とか乗り越えたものの、次なる衝撃は思いもかけないものだった。ひかりの病は再発し、骨髄移植のドナーを探すことになるが、一男とは適合せず、それどころか二人は親子関係にはないということが明らかになる。彼は「亡き妻がほかの男と関係していた」という事実に打ちのめされる。
ムロツヨシの静かさは、ひかりに病名を告げるシーンでまず光る。娘の反応を予測して内心で怯えつつも、娘の目を見て事実だけをそっと伝える。非常に精密な表情だ。彼の思いが伝わったか、ひかりは気丈に事態を受け入れ、白血病と闘う決意をする。難病を抱えた人たちすべてが体験するできごとが、ひとつひとつ特別で切実なできごとだということを改めて思い知らされる。化学療法に際して坊主刈りになったひかりを演じる中田乃愛はまことに若々しく美しく、『少年の君』(2019)のヒロインに勝るとも劣らない。ひかりに対する父の愛情が揺るがないのは、彼女のたたずまいの可憐さゆえだろう。
とはいえ一男の苦悩は続く。牧師であるからふだんは平静を装ってはいても、アルバイト先のガソリンスタンドで客とトラブルになるシーンで、彼の鬱屈した思いがあふれる。車に傷をつけられたと高飛車にわめく客の前で、一男がスポンジで執ようにその部分を洗うシーンは、見ていて鬼気迫るものがあり、同僚や店長の助けの手が差し伸べられなかったら、どうなってしまったかわからない。一男の持って行き場のない怒りが車の傷に向けられて火を噴いている。それでもムロツヨシは少しもオーバーなふるまいをせず、静かで悲しい。
観客は幸いなことに、江津子が一男に会う前に暮らした恋人(毎熊克哉)との一部始終を知らされている。それがいささか丁寧すぎて、物語のサスペンスを損ねているかな、と思わないでもないが、少なくともイジワルではない。後半のひかりのドナー探し=ひかりの実父探しにおける、双方の父の苦しみをきちんと描くことが、作り手の選んだ誠実な道なのである。それを一身に背負って、ムロツヨシは愚直さを全うしようとする。ようやく見つけ出した実父に嫌悪され、拒否され、とことん殴られてもドナーになってくれるように頼むシーンをやや引いて捉えるカメラは、父親の真剣さというものを丸ごと映し出す。
この物語の流れは、ちょっとしたコントにもなりかねないもので、それこそ従来のムロツヨシがひょうきんに軽々と演じてのけそうなものでもある。悲劇は簡単に喜劇に転じるもので、そうやって悲劇を乗り越えることが可能な場合もある。そのほうが洗練されている、と思える場合もある。しかしこの物語は本気を本気のまま描くのである。そのことによって鮮明に浮かび上がる人の営みの滑稽さ、運命の皮肉、すれ違ってしまう思い、それらを軌道に戻す大きな力を描くのである。
奇妙なもの、まっとうではないもの、はぐれてしまったもの、そういう存在を演じることのできる役者は、同じ力で本気の人を演じ、本気を極める。その先によく磨きこまれた希望を提示することができる。そういう愚直さにおいてムロツヨシは尊敬に値する役者だ。
◎9月23日より公開
内海陽子プロフィール
1950年、東京都台東区生まれ。都立白鷗高校卒業後、三菱石油、百貨店松屋で事務職に従事。休みの日はほぼすべて映画鑑賞に費やす年月を経て、映画雑誌「キネマ旬報」に声をかけられ、1977年、「ニッポン個性派時代」というインタビューページのライターのひとりとしてスタート。この連載は同誌の読者賞を受賞し、「シネマ個性派ランド」(共著)として刊行された。1978年ころから、映画評論家として仕事を始めて現在に至る。(著者の近著はこちら)
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