コロナ恐慌からの脱出(5)ケインズ経済学の皮肉な運命
1936年に刊行されたケインズの『雇用、利子および貨幣の一般理論』は、長い間、不況から脱出するための「聖典」として読まれきた。そもそも、いわゆる「マクロ経済学」を生み出したのは、この著作だったのだ。いま行われている経済政策のかなりの部分が『一般理論』以前にはなかったのである。
ただし、1930年代に先進諸国で行われた不況脱出のための経済政策が、すべてこの本が論じたことに基づいていたわけではない。それどころか、1933年に始まったアメリカのニューディール政策ですら、この本をマニュアルにしていたわけではない。そのことは、本シリーズの第1回ですでに述べた。
また、世界恐慌よりは2年早く起こった日本の「昭和恐慌」の場合も、その脱却策を断行した高橋是清が『一般理論』に基づいて立案したわけではない。1932年に始まった「高橋財政」は、財政支出と金融緩和を行ったが、これは独自の考えによるものだった。しかも、財政支出の財源は公債によったが、いったん日銀がすべてを買い上げて、そのあとで民間に売却するという方法をとっている。
さらに、1930年代スウェーデンの不況脱出策は、ケインズ経済学ではなく、同国の経済学者クウート・ウィクセルの後継者たちによって推進された。さまざまなアイデアが試されているが、その中には、後世、日本が試みたインフレターゲット策と似たような、物価水準目標政策もあったといわれる(これは厳密にいえば違うと私は思うが)。
ケインズの『一般理論』の構想は、すでに1930年から始まっており、34年には連続公開講義を試みて、その構想を一般に明かしているから、そこから多くのアイデアをくみ取って、自国の具体的な経済政策に応用した人もいたかもしれない。しかし、そのころいくつかの国は、最悪の状況から抜け出しつつあったというのが歴史的事実である。
ケインズ経済学と呼ばれた不況脱出策は、その後も「歴史のアイロニー」そのものといってよい運命を担っていくことになる。1946年にケインズが死んでから戦後の復興が進んでいくが、その名声を勝ち得たのは、世界GDPの2分の1以上を産出し繁栄の極みにあったアメリカの中心的な経済学説となったからだった。
そのリーダーだったポール・サミュエルソンの『経済学』は、長期においては新古典派によって説明し、短期においてはケインス経済学で説明するという、きわめて「折衷的」な教科書だった。しかし、この「新古典派総合」の教科書が、ケインズ経済学の最上の入門書として世界中で読まれた。サミュエルソンの初期の主著『経済分析の基礎』は新古典派で書かれていたので、「サミュエルソンは新古典派で地位を得て、ケインズ主義でで大金持ちになった」と揶揄された。ところが、60年代末以降にアメリカは、インフレーションとスタグネーションの複合である「スタグフレーション」に悩んだために、彼の権威は急速に失われていった。
サミュエルソン経済学に代わって台頭したのが、ミルトン・フリードマンの「マネタリズム」だった。フリードマンの経済学は、マクロ経済学であるのは同じだが、アメリカにおける長期の貨幣供給を精査して、貨幣量こそが経済を動かしていると主張した。しかも、面白いことに、1929年に起こった株価暴落が大恐慌に陥ったのは、貨幣量の供給を間違ったからだと指摘した。ルーズべルト政権が行った、銀行仕分けの「バンク・ホリデー」などは「病気を治療するどころか悪化させた」。
同じく、60年代末から70年代にかけてアメリカで生じた「スタグフレーション」は、財政出動によって好景気を維持するという間違った政策をとってきた結果であって、むしろ、経済の発展は、一定の貨幣供給を続ければ達成できるという。この素朴ともいえる市場への信頼が多くの支持を得て、マネタリズムはレーガン政権の経済政策の柱のひとつとなったが、もちろん、それだけでアメリカの繁栄を維持することができたわけではない。
しかし、フリードマンの新自由主義はアメリカの経済的思想を席巻することになり、80年代にはケインズ経済学は一部で細々と学説史的に研究されるだけで、学生たちもケインズ経済学からは遠ざかるようになる。もちろん、アメリカの影響をすぐにうける日本においても、マネタリズムや新古典派の経済学が支配的となり、それは2008年ころまで続いたのである。
いまや若い人には想像もつかないかもしれないが、ケインズ経済学といえば、財政赤字と悪しき福祉政策の悪の権化だった。2005年ころ「経済学の名著100冊」という企画を引き受けたとき、レジメにケインズの本を3冊(『一般理論』『貨幣論』『説得評論集』)を入れておいたら、編集者に「本が売れなくなるから1冊だけにしてくれ」と言われた。
大逆転が生じるのは、2008年の秋になってからだった。いうまでもなくリーマンショックが起こって世界経済が急速に落ち込んだとき、経済誌『ジ・エコノミスト』が「ケインズが復活しつつある」と書いて注目され、翌年にはケインズ研究家のスキデルスキーが『巨匠の帰還』を刊行してケインズ評価のお膳立てがなされた。
しかし、これですぐに「ケインズ経済学だから財政出動だ」というわけではなかった。この時点でもマネタリズムは強い生命をもっていた。後にFRB議長となるバーナンキが2000年に刊行した『大恐慌論』は1980年代からの研究の成果だったが、1929年の株価暴落をきっかけに起こる長期の不況を、貨幣的要因と金融的要因(同じみたいに聞こえるが前者はたとえば貨幣量の分析、後者は金融制度の分析)で論じるものだった。
前後するが、80年代には1929年の研究はかなり盛んだった。特に、1国だけの現象で論じるのではなく、国際比較して原因を突き止める手法は実りがあった。アイケングリーンとサックスの国際比較研究では、恐慌期に金本位制から早く離脱した国は急速に回復したのに、金本位制に固執したフランスのような国はいつまでも低迷した。この研究も、どちらかといえばマネタリーな面からのアプローチだった。となれば、不況脱出は金融政策で可能になるのではないか?
バーナンキの研究も同様だったが、ただ、金融制度に関する研究のなかには、企業のバランスシートに負債がたまると融資が滞るという、日本では野村総研のリチャード・クーが論じたのと近い「バランスシート不況論」も含まれていた。しかし、残念なことにそれを日本の現実に適用することはなかった。むしろ、バーナンキは貨幣量のコントロールによる金融政策を研究して、インフレを鎮静化させ経済の安定をはかる「インフレターゲット政策」を提案するようになった。この延長線上に、ポール・クルーグマンの「インフレターゲット論」が登場してくる。
クルーグマンは1990年の株価暴落から8年にもなるのに、あいかわらずデフレ基調の日本経済に対して、「ひっくり返されたインフレターゲット政策」を提示した。つまり、中央銀行総裁が「インフレになるまで金融緩和をやめません」と宣言して金融緩和を徹底すれば、国民の「期待インフレ率」(心のなかのインフレ期待)が高まって、デフレ基調の経済から抜け出せると説いたわけである。
この当時、日本でもケインズ経済学が復活していた。前出のリチャード・クーが、日本の回復には財政出動しかないと断じるようになっていた。彼は巨額の財政出動をしても日本経済が復活しないのは、バランスシートに負債が固定化されているので、企業が活動できなくなったのだと指摘し、戦時中のルーズベルト政権なみに財政出動すれば(つまり戦費なみ)、日本は再び活性化すると論じて多くの人たちを呆れさせていた。
これで終わりではない。インフレターゲット論を言い出してから10年後、クルーグマンはインタビューで「日本にあやまらなければならない」と言い出す。すでにアメリカは金融危機に陥っていた。「わたしは、アメリカの場合にはFRBが金融緩和をすれば、日本のような経済停滞は起こらないと思っていたが、現実には日本の二の舞になりそうだ」というわけである。そして、アメリカ国内ではひたすら「ためらいのない財政出動」を続けるように唱えた。
バーナンキやクルーグマンは「ニュー・ケインジアン」と呼ばれることもあるが、最初は二人とも財政政策ではなく金融政策で、日本のように不動産バブルを破裂させた後でも、金融政策で回復できると思っていたのだ。その意味で、ケインジアンとはいうものの、1970年代に没落した米ケインジアンの、不倶戴天の敵であるマネタリストでもあったわけである。そして、クルーグマンは財政出動こそ不況脱出の方法だという理論に回帰してゆき、バーナンキはFRB議長になってから「量的緩和」と呼ばれる、財政支出と同じような効果のある金融政策に乗り出すことになる。
日本のインフレターゲット政策の迷走については、細かく書き始めれば際限なくなるが、2010年ころになっても、まだインフレターゲット論を振り回す人たちは多かった。面白いのは、そのさいマネタリスト的な観点で「1929年の恐慌から抜け出したのは、財政政策ではなくて金融政策だった」と主張した、クリスチーナ・ローマ―の小論文をやたらと評価したことだった。
これは「寄与度」で政策効果を測るという、かなり単純な方法で「証明」したものだったが、2009年ころ世界金融危機からの脱出策論争で、クルーグマンが財政支出派に転じたと思ったら、このローマーさんもころりと変わってしまった。ところが、勘の悪い日本の経済記者が、あいかわらずローマー論文を振り回していたので、「もう、そろそろおやめになったほうがいい」と小声で助言したところ、「あなたは変わったことをいうんだなあ」などと言って動じなかったのにはあきれた。もう、こんなところまで来ていたのに、安倍政権はインフレターゲットを経済政策の中心に据えた。
ざっと駆け足で「ケインズ経済学」の皮肉な受難史を述べてきたが、もちろん、学説史というのはアイロニーに満ちており、しばしば皮肉な結果となるのである。しかも、ケインズ経済学については、ケインズ自身にも責任がある。彼はつぎつぎと新しいアイデアを思いつくと、前のアイデアを否定することになるのに、かまわず突っ走る癖があった。そのため、ある時期の文章をもってきて、同じケインズの文章を否定しようとすれば可能になってしまうのである。
MMTが気になる人もいるだろうから簡単に述べておくと、MMTがケインズ経済学に影響を受けていることは間違いないが、それは『一般理論』ではなく、ケインズが『一般理論』で「ひどく欠陥があるもの」と述べた『貨幣論』のほうである。なお、一般理論は外生的貨幣供給論に基づくが、貨幣論は内生的貨幣供給論で、いつものようにケインズは、そのときに最も関心を持っている議論に有利なスタンスで論じる癖がでている。
今回は、ケインズ経済学を軸において、1929年以降の不況脱出の理論を概観したが、以降はもう少し歴史的な事実を盛り込んで、個々の問題について論じていくことにしたい。すでに今回みたように、不況脱出のための経済論争はつねに捻じれているし、また、アイロニーに満ちていることを忘れるわけにはいかない。
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