情熱あふれる歌・踊り・群舞;『ヲタクに恋は難しい』の高畑充希になり切る
『ヲタクに恋は難しい』(2020・福田雄一監督)
映画評論家・内海陽子
足立区の劇場で映画を観終えたら前方から拍手が聞こえた。拍手するのは一人で、館内が明るくなるまで続いた。同調しようかと思いつつためらったわたしは申し訳ないような気がしてその人を探したが、勇気あるその人を見つけられなかった。勇気をうんぬんするほどのことでもないだろうが、ある映画を楽しいとか面白いとかいう気持ちを即座に表明できるのはかっこいい。原作漫画のファンかもしれない。だとすれば、この映画は原作ファンの眼鏡にもかなったことになる。
タイトルからして歴然としているが、本作の主人公はヲタク趣味の幼馴染、成海(高畑充希)と宏嵩(山﨑賢人)である。成海は恋人に振られて転職した先で宏嵩に再会、ヲタク趣味を隠すと決めた彼女に協力する形で宏嵩は好意を伝えるが、彼女がそれをきちんとキャッチするまでにずいぶん時間がかかる。その間に、きらびやかなヲタク世界の情報がちりばめられてミュージカルと化し、その中心で、若手実力派のトップに立つ高畑充希が大活躍する。いわゆる恋愛映画におけるあいまいな表情や複雑な心情をシャットアウトし、明解さ一直線で突き進む姿に、目がまん丸になる。彼女とおんなじだ。
すでに十分なキャリアを持つ彼女の名を、わたしがはっきり記憶したのは『アオハライド』(2014・三木孝浩監督)だ。中学時代に転校した恍(東出昌大)と高校で再会した双葉(本田翼)は胸をときめかせるが、彼が長崎で過ごした時代の友人・唯(高畑充希)が思わぬ障壁となる。唯は恍を独占するために彼の弱みにつけ込む。心揺れる恍と、唯に太刀打ちできない双葉に気をもむが、なにしろ唯は悪魔のように狡猾である。最終的に唯が引き下がってことなきを得るが、彼女が諦めなかったらどうなったことだろう。高畑充希を敵に回してはならない、とわたしは胸に刻んだ。
今もそう思っているので、成海を演じる高畑充希の表情がくもったり険悪になったりするのをひそかに待ち望みもしたが、彼女がそんな隙を見せるはずもない。成海は終始キュートでちょっと抜けていて情熱あふれるヲタクのまま突っ走る。すさまじい速さの「ヲタク台詞」の応酬をリズミカルにこなし、突然の歌唱、踊り、群舞もなめらかにこなし、余計な人間臭さ、女っぽさなど微塵も感じさせない。
いや、まったくないわけでもない。未確定の恋人同士は、たいてい成海の部屋でゲーム三昧するが、あるとき宏嵩の部屋に誘われ、彼女は下着の色を気にし出す。色はベージュで、「なんだかなあ」という顔つきだ。その後、彼女は仕事でチームを組んだ上司(斎藤工)の部屋に誘われて断れず「今日に限ってピンク!」と内心で狼狽する。部屋に上がれば、宏嵩が上司の恋人(菜々緒)とコスプレ衣裳で登場、というなまなましい情景に出くわす。むろんこの映画の性格上、まったくこじれることなくそもそものカップルにおさまるが、ひやりとさせてすっと切り上げるその呼吸がいい。物語全体がドライでシャープである。それを最も的確に体現するのが高畑充希なのである。
もう一人、大事な出演者を忘れてはいけない。数多い福田雄一監督作品の中で、山田孝之主演のテレビドラマ『勇者ヨシヒコシリーズ』に親しんだわたしは、助演のムロツヨシのファンになった。いまや押しも押されもせぬ名バイプレーヤーのひとりであり、スタンダードな映画でも好演するが、福田雄一作品における彼のたたずまいは一味も二味も違う。今回は客の少ないバーのバーテンで、カウンターでしたたかに酔っている女(菜々緒)と宏嵩の会話を繋ぐ役目だが、その目つき、身のこなし、歌い出しのタイミングと、何から何までうなるばかりである。
劇場を出るとき、だれも見ていなければ、わたしの身は軽々としてステップを踏み、目はまん丸くなったと思う。かつて仁侠映画華やかなりし頃、観客の男性はみな(高倉)健さんになり切り、肩で風切って劇場を出たというが、わたしはハイになって高畑充希になり切りそうであった。今年初の極上ラブコメ・エンターテイメントである。
内海陽子プロフィール
1950年、東京都台東区生まれ。都立白鷗高校卒業後、三菱石油、百貨店松屋で事務職に従事。休みの日はほぼすべて映画鑑賞に費やす年月を経て、映画雑誌「キネマ旬報」に声をかけられ、1977年、「ニッポン個性派時代」というインタビューページのライターのひとりとしてスタート。この連載は同誌の読者賞を受賞し、「シネマ個性派ランド」(共著)として刊行された。1978年ころから、映画評論家として仕事を始めて現在に至る。(著者の新刊が出ました)
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