高級もなかの深い味わい;『初恋』の三池崇史節に酔う
『初恋』(2019・三池崇史監督)
映画評論家・内海陽子
最中という菓子は、中身のあんこのせいで薄い皮が最初から湿っているものだと思っていたが、あるとき高級最中を頂戴したら、あんこと皮が別々に包まれていた。パリッと乾いた薄皮にあんこをはさんで食べると、上等なあんこの甘みはもちろん、薄皮のほんのりした甘みが口に広がって新鮮だった。いままで知らなかった世界に感動した。
『初恋』という映画は、そんな高級最中を連想させる。若い男女の初恋がどのように描かれるのかと期待して臨んだら、麻薬をめぐって、ヤクザと中国マフィアがくんずほぐれつして殺し合うお話が元気よく続くのである。そうか、初恋は最中の皮で、この闘争劇があんこなのか。やはり、あんこは濃厚で身体にしみる、皮はほどよく離れて乾いているから、こちらは後で食べてもいいか、といつもの三池崇史節に酔い始める。
あんこは粒あんで、粒がよくそろっている。それぞれ主演を張ることもできる俳優が将棋の駒のように動かされるが、てんでばらばらにならず、緊密に繋がっている。物語はゆるみなく展開され、残酷なシーンもリズミカルで、見続けていると残酷さに麻痺して笑いが漏れる。このあんこは観客の機嫌をよくする味付けがなされている。麻薬入りだろうか。
物語を主に引っ張るのは、策士という設定ながら考えの浅いヤクザの加瀬(染谷将太)と、彼に恋人(三浦貴大)を殺されて怒り心頭に発したジュリ(ベッキー)、そして加瀬と手を組んだ悪徳刑事の大伴(大森南朋)だ。ヤクザの餌食になった不運な少女モニカ(小西桜子)と、彼女を助けた新進ボクサーのレオ(窪田正孝)が、加瀬と大伴のたくらみに引きずり込まれるが、不思議な力で生き延びていく。
ヤクザの組織そのものは青息吐息で、組長代行(塩見三省)は力がなく、出所した武闘派の権藤(内野聖陽)は活躍の場を見出せない。資金源の麻薬が内輪もめで横取りしやすくなったと知り、中国マフィアが狙いをつける。ボスのワン(顔正國)は権藤によって片腕を失っており、この機に相手組織をつぶそうと血気盛んである。といっても、こちらのチームにさほどの運があるわけもなく、あっけなく命を落とす輩もいて勝敗の行方は見えない。
きな臭い匂いが充満する中、大勢が右往左往するので、誰が誰やらわからなくなるかと思いきや、そうならない。どの顔もくっきりして動きにメリハリがあり、先ほど述べたように残酷な殺しのシーンではいつしか笑いを誘われるようになる。それは殺すほうも殺されるほうもマヌケで、紙一重の差で勝敗が決する時、観ているほうはなんともいえない虚しさに襲われるからだ。この映画は、暴力や闘争に生きる者たちへの挽歌になっていく。
詳細を説明するのは控えるが、終盤にさしかかったころ権藤が若い“初恋”組に言う。「どこの世界にもバカもいればまともなやつもいる」。彼は遠くを見るような眼をして、自分がいまいるこの世界で、唯一まともだと思える“初恋”組に思いを託すのである。託された二人は何が何やらわからないながら、とにかくその場から逃れることに熱中する。
このワンシーンだけは具体的に書いてもいいだろう。逃げ延びた二人は、ある若い夫婦と踏切をはさんで対面する。夫はモニカの初恋の男子であり、その妻は身重である。モニカの窮地を救ってくれたレオを見たとき、彼女は初恋の男子を連想し、その連想にすがるような思いで、レオと行動を共にしてきたのである。身重の妻は二人の様子を気遣い、助けようとする。それを断って歩き出すとき、モニカは言う。「あたし、生きてみる」。
映画のタイトルの意味が、ようやく飲み込めたような気がした。『初恋』とは、モニカを支えてきた幸福なイメージのことではないだろうか。初恋の男子がまともな結婚をし、彼の妻の穏やかな人柄に触れ、彼女は初恋を卒業し、いまこの手の中にある大事な感情を育てていく決意をしたのである。それが「生きる」という言葉になる。
あんこに圧倒されていた高級な最中の皮が、品の良さを静かに息づかせる。三池崇史の演出の純真さが匂うようである。
内海陽子プロフィール
1950年、東京都台東区生まれ。都立白鷗高校卒業後、三菱石油、百貨店松屋で事務職に従事。休みの日はほぼすべて映画鑑賞に費やす年月を経て、映画雑誌「キネマ旬報」に声をかけられ、1977年、「ニッポン個性派時代」というインタビューページのライターのひとりとしてスタート。この連載は同誌の読者賞を受賞し、「シネマ個性派ランド」(共著)として刊行された。1978年ころから、映画評論家として仕事を始めて現在に至る。(著者の新刊が出ました)
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