成田凌から飛び出す得体のしれないもの;ヨコハマ映画祭・助演男優賞受賞に寄せて
「成田凌」第41回ヨコハマ映画祭助演男優賞
映画評論家・内海陽子
2020年2月2日、第41回ヨコハマ映画祭において「愛がなんだ」「さよならくちびる」などで好演した成田凌さんに、助演男優賞がおくられました。このサイトでも内海陽子が「愛がなんだ」や「スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼」を紹介するなかで、成田さんの演技を高く評価しています。以下に再掲するのは、第41回ヨコハマ映画祭のプログラムに内海が寄せた成田凌論です。なお、オリジナル・タイトルは「彼の中から飛び出す得体のしれない何ものかにときめく」でした。
彼はいつもなにげない顔をしているが、含むものがある。そのつぶらな瞳は明朗快活さに直結せず、虎視眈々と獲物を狙っているような雰囲気がある。それは『スマホを落としただけなのに』(2018)を見てしまったせいでもあるが、陽が射したり陰ったり、善悪がころころ入れ替わるようなイメージだ。猫を被っているという表現も浮かぶが、それほど自覚的にも思えない。
『愛がなんだ』のマモル(成田凌)の第一印象は、テルコ(岸井ゆきの)をもてあそぶ嫌なやつというものだが、見続けていると単に嫌なやつというわけでもない。自分の感情には敏感で、他者の感情には鈍感、というありふれた男のようである。しかし成田凌が演じる役を、ごく平凡で鈍感な男という範疇に入れてしまうのもなんだかもったいない気がして、こちらも振り回されるはめになる。
なにしろテルコはマモルのことで常に頭がいっぱいで、観念的には人生そのものを彼に捧げてしまっている。それでも自我は残る。自我を捧げることに溺れてしまえるほど愚かではない、というところがテルコの不幸である。まったく愛とは不幸を呼ぶマジックだ。
うってかわって『さよなら くちびる』の成田凌は、ハル(門脇麦)とレオ(小松菜奈)による女性デュオ「ハルレオ」の付き人兼マネージャーのシマで、元ホストの苦労人だ。自分のレオへの感情も、ハルの自分への感情も、ハルとレオそれぞれの揺れる感情もほぼすべて感知できる。だからこそその表情には憂愁がつきまとう。
日常のちょっとした動作にも憂愁は漂うが、くどくはない。それはタンバリンの演奏よりもずっと「ハルレオ」の音楽=存在を引き立てる。最終的にハルとレオが解散を回避するのは、シマと一緒に行くことを選んだからにほかならない。言葉による説得ではなく、身体全体から発するなにかで、シマは「ハルレオ」を存続させ未来へと導くのである。
そもそも成田凌の身体には、言葉にならない思いがぎっしり詰まっているのではないだろうか。それが彼を俳優の道へ進ませたと考えれば、それは正しい決断であり、観客にとっては僥倖ともいうべき決断だったことになる。息せき切って走ったり、わめいたり、乱暴を働いたりするより、じっと相手との間合いを測っているようなときの成田凌にときめく。得体のしれないものが突然飛び出てきそうな気がするからだ。
これから先、何が飛び出てきても歓迎する。たとえテルコのように報われなくても、ハルとレオのようにいつも笑顔になれなくても。
内海陽子プロフィール
1950年、東京都台東区生まれ。都立白鷗高校卒業後、三菱石油、百貨店松屋で事務職に従事。休みの日はほぼすべて映画鑑賞に費やす年月を経て、映画雑誌「キネマ旬報」に声をかけられ、1977年、「ニッポン個性派時代」というインタビューページのライターのひとりとしてスタート。この連載は同誌の読者賞を受賞し、「シネマ個性派ランド」(共著)として刊行された。1978年ころから、映画評論家として仕事を始めて現在に至る。(著者の新刊が出ました)
『愛がなんだ』:悲しみとおかしみを包み込む上質なコートのような仕上がり
『バースデー・ワンダーランド』:情感とスピード感に満ちた贅沢なひととき
『家族にサルーテ! イスキア島は大騒動』:けっして自分の生き方を諦めない大人たちを描きぬく
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