いつまで続く「労働力発掘」政策:働き方改革の幻想
またしても、安倍政権による労働力の拡大政策である。安倍首相によれば、日本人は高齢化しても働きたいと思っている人たちが大勢いるので、それに対応するような政策を行うということらしい。
この政策についての感想および解釈は、すでにHatsugenTodayで書いたので、そちらを見ていただきたいのだが、要するに内閣府の世論調査もどきをつかって「日本人の約8割は70歳以上まで働きたいと思っている」と印象操作しているだけのことである。
しかし、いまの安倍政権の「人づくり」とかいわれるものは、ほとんど80年代後半のバブル期にも似た労働力不足への対応に、はなはだ近くなっていることに注目しておく必要があるだろう。
なかには、「まだ日本はデフレ基調だというのに、バブルなんか起こっていないではないか」と言う人がいるかもしれない。しかし、トランポノミクスに踊らされて乱高下する日本の株価を片目で見つつ、80年代末には雇用がひっ迫して、ついには移民政について激しい論戦がかわされていたことを思い出すのも無駄ではない。
安倍政権はいまの労働力不足に対して、まず、女性の社会進出をあおる政策をとなえ、つぎには移民政策へのルビコン川をわたり(これについては、いずれ詳しく論じたい)、さらに、労働力を「発掘」するために高齢者のフロンティアに進出してきているのである。
しかし、いずれの政策もきわめて矛盾にみちていることが明らかである。まず、女性を働かせるという政策のいっぽうで、介護は在宅を中心に考えていくという政策をうちだしている。これは馬鹿げた、しかも単純な矛盾であって、いったい誰が在宅介護をするのかという問題を置き去りにしてしまっている。
つぎに移民政策だが、安倍首相本人は「これは移民政策ではない」と言っているが、欺瞞もいいところで、10年の滞在が可能になってしまっているのだから、その間に若い外国人労働者が結婚するケースが増え、また、さまざまな資格を取得することが考えられる。それが移民ではないといったところで、ただのごまかしとしか聞こえない。
さらに、今度の高齢者による労働力の拡大だが、ひとことでいって、平均的な高齢者というものが分かっていないというしかない。しばしば、テレビなどで活躍している「高齢者」を見て、いまの老人は元気だと思いがちだが、彼らは「少数派」なのである。それは聞かれれば「なんとか働き続けたい」というかもしれない。しかし、大多数は肉体的かつ頭脳的に若いときを維持することはかなわないのである(これもHatsugenTodayを参照のこと)。
政府の言い分では、健康年齢は男女ともに70歳を超えているとのことだが、それと労働人口として、どんな仕事でも若いときと同じようにやっていけるという話とはまったく違うのだ。こういうところでも、いつもながらの政官民組んでの「印象操作」である。
これから日本では、労働力をめぐるさまざまな矛盾が生じるだけでなく、こうしたご都合主義的な政策によって、その矛盾が拡大かつ先鋭化されていくことになると思われる。これも単純に分かる。
面白いのは、若い人たちのなかには、政府がお金をばらまくいっぽうで、労働者の頭数を拡大しなければ一人当たりの収入が上昇して、そのことによって消費が伸びるなどと妄想している者がいることである。
これも安倍政権同様のご都合主義的な妄想である。もし、そうだとするなら、どうして東北復興が遅れたのだろうか。労働力はどこにあってもすぐにつかえるような、可塑性をもったものではないことを知らないようである。
さて、さきほど述べた80年代後半の労働力不足はどうなったのだろうか。簡単なことで、日本が90年に株価が暴落して「失われた20年」が始まったら、あっというまに解消してしまった。熱く論じていた移民問題なんかも、まったく姿を消してしまった。
今回も同じようなことになるとはいわないが、労働力というのは人間そのものなのだ。いつも政権が考えるように都合よくあわせてくれるわけではないし、新しい経済政策をプランニングする人たちのマクロ経済学通りに調整されるものでもない。