フク兄さんとの哲学対話(11)スピノザ前編、ユダヤ教からの破門

旅行をしたり仕事がいくつか重なったりしたせいで、フク兄さんとの対話が途切れてしまっていた。今回は、東京郊外の私鉄駅近くにある、料理の旨い飲み屋で会うことにした。フク兄さんはノタノタ歩いてやってきた。例によって( )内は私の独白。

フク兄さん ひさしぶりじゃなあ。年を越したから1年ぶりじゃな。くれた年賀状には「正月はスピノザについて対話したいと存じます」とあったけど、このスピノザさんという人は、いったいどういう人なのじゃ?

わたし 17世紀オランダの哲学者なんだけど、いわゆる「汎神論」を唱えたことになっているんだ。つまり、この世界は神そのものだというわけ。

フク兄さん あ、注文したいんじゃが、誰か来てくれんかのう。

わたし フク兄さんがいっても来ないよ。ぼくが呼ぶから待って。……え~と、お願いします。お、来た来た……生ビール中1杯と熱燗1本。熱燗は何があるの? え? 冷がいい? それなら、え~と、あ、大山があるんだ。じゃ、大山ください。フク兄さん、大山でいいよね。

フク兄さん もちろんじゃ。山形は庄内の銘酒じゃもの。それから、タラちり2人前じゃ。

わたし え~と(勝手に決めるなよ)、タラちり2人前ね。それに、串焼き5本セット1皿ね。……このスピノザ、正しくはバールーフ・デ・スピノザだけど、ポルトガルからオランダのハーグに逃げて来たユダヤ商人の子供で、幼い時にはシナゴーグ(ユダヤ教の教会)に通ってユダヤ学校でも実によい成績だったらしい。神童だったわけだね。でも、あるときから哲学に興味を持ち始めて、ユダヤ教に反発するようになってしまう。

フク兄さん おお、来た来た。では、まず一口、……んぐ、んぐ、んぐ、ぷふぁ~! これは旨い。おまえもビールはやめて大山を飲まんか? え、いらない。あ、そのスピノザくんは、なぜ親の信じていたユダヤ教に反発したんじゃろ。

わたし 直接の原因は、あるラテン語学校に入ったせいだった。この学校の先生は、デカルトの信奉者で、デカルトの哲学の手ほどきをした。しかも、デカルト以上に急進的な合理主義者で、キリスト教に批判的な知識人だったんだ。

フク兄さん 進歩的な先生が学生に過激思想を植え付けるということは多いからのう。スピノザくんもデカルト哲学にかぶれてしまったというわけか。……ああ、うまい。あれ、つまみが来ないぞ。お~い、ねえさん、つまみはまだかな。

わたし すみませ~ん、こっちまだですかあ。……あ、来たよ、来ました。フク兄さん、あまりお酒を進めないでね。対話にならなくなっちゃうんだから。で、スピノザの先生だけど、この人はただ過激思想を吹き込むだけじゃなく、オランダの共和主義者たちと語らって、本当に政権奪取も試みてしまう革命家でもあったんだ。ところが、この運動は失敗して獄死することになる。

フク兄さん なんとも悲惨なもんじゃ。しかし、自分でも責任はとったわけじゃな。

わたし こうした事件には背景があって、当時のオランダはオラニエ公という支配貴族がいたんだけど、それに対して共和主義者たちが政治的影響力を拡大しようとしていた。スピノザの先生はその抗争のなかで非業の死をとげたというわけだったんだ。

フク兄さん なんだか、今日の話はきな臭いのう。汎神論というから、自然崇拝者みたいなおおらかな思想家かとおもったんじゃが。

わたし そこなんだよね。日本人は汎神論というと「八百万の神」みたいなイメージをもつけれど、西欧の汎神論はやっぱり唯一神なんだ。ヘーゲルもそうだよね。しかも、あとで詳しく話すけど、スピノザの場合には、その神様の存在証明を幾何学的な論理でやっている。

フク兄さん ほほう~、それは不思議じゃな。ヒック、あ、お鍋がきたぞよ。

わたし スピノザはユダヤ社会への反発を強め、ユダヤ教がもつ選民思想にも批判的になる。結局、彼はユダヤ教から破門されて、ユダヤ人社会からは排除されてしまうんだ。スピノザを惜しむ人からは、彼の実家が父の死後没落しつつあったこともあって、ユダヤ教への批判をやめたら年金を出すという話もあったらしいけど、スピノザは拒否している。

フク兄さん もぐもぐもぐ……、お前も食べんか。このタラは旨いぞ。ん、豆腐もいい。……え、ちゃんと話は聞いておるよ。もぐもぐもぐ……

わたし この破門は、姉や親戚からの絶縁も意味していた。スピノザは大学の近くに住んで知識人や学生たちと議論を繰り返しながら、独自の哲学を組み立てていくんだけれど、今夜はここまでにしよう。なんだか、お酒が回ってきて、眠くなってきちゃった。彼の思想については、この次に述べることにするよ。……あ、フク兄さん、ひどいじゃないか、タラがもう1切れしかないなんて!

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