内海陽子の映画館;最近の投稿から

当サイトで映画・ビデオを担当している映画評論家・内海陽子の最近の投稿をご紹介します。これから公開される作品だけでなく、過去に上映された作品も多くありますが、見どころをやさしく鋭く論じる映画評です。これからの鑑賞のために、また、DVDで楽しむさいにもお役立てください。それぞれの青太文字の部分をクリックしてください(サン・イースト企画)

最近の映画評から

教室はサスペンスに満ちている;『中山教頭の人生テスト』が明らかにしていく事実 校長への昇進試験をひかえている中山教頭(渋川清彦)は、勉強に余念がないが、仕事柄、小学校でつぎつぎと起こる問題はサスペンスめいているが、なんでも彼のところに回って来る。妻を亡くしているので家族は思春期を迎えた娘ひとりだが、その娘は出世のために汲々としている父親に対して冷ややかだ。そんな中で中山教頭は苦闘を続けていく。はたして校長になれるのだろうか? 「さまざまな役柄を巧みにこなして実力を発揮してきた渋川清彦が、どことなく笑いを誘う教頭先生をたんたんと演じる。私はいつしか彼に親愛感を覚えている:」(内海さん)。

怪物の呼ばれてこそスター;『MaXXXine マキシーン』は暗黒版「スター誕生」 ハリウッドで活躍し始め、急激に人気をものにしつつある女優マキシーンには、ポルノ女優としての暗い過去がある。それは常にマキシーンに付きまとい、スターの地位から引きずり落とそうとするのだが、彼女は少しもひるまず闘って栄光を勝ち取っていく。今日もマキシーンは「モンスターと呼ばれてこそスターとなれる」との決意を胸に、脅しをかけてきた者たちの悪の巣窟へ、みずから乗り込んでいくのだった。シリーズは3作目だが「ヒロイン、マキシーンの過去を知らなくても十分に楽しめる」。

『秋が来るとき』の繊細さと悲しさ;老婦人の秘密をめぐるミステリー パリを離れてブルゴーニュの田舎で暮らすミシェルには、過去の仕事にまつわる人に話せない秘密があった。本当に心を開いて話せる相手は、近くに住むマリー=クロードだけで、二人は森の中を散歩したり料理を一緒に作ったりする。しかし、一見、静かな生活を続けているミシェルに、大きな変化が訪れる。ミシェルとマリー=クロードは、人生の悲しさをさりげなく淡々と語り合うが「この映画の最も美しい部分」だと内海さんは評している。

聖人のような殺し屋の物語;『プロフェッショナル』が描き出す運命の悲しさ 暗殺請負人であるフィンバー(リーアム・ニーソン)は古書の販売業者を装って、着実に本職の仕事をこなし続けてきた。そして「最後の仕事」を終えて引退しようと思っていたときに、少女モヤと出会ったことから、やっかいな事件に巻き込まれることになる。「この作品でリーアム・ニーソンの魅力が深まり、老いの寂しさも他者への思いやりも、当たり前のことだが、イーストウッドとはまた違う色合いを帯びてきた」と内海さんも大絶賛しています。

激闘につぐ激闘の『ベテラン 凶悪犯罪捜査班』;隣のおまわりさんは絶対しなない 奇妙な殺人事件が続く。手口からして同一犯による連続殺人事件と思われるが、それも法の裁きを逃れた人間たちへの裁きであることがしだいに明らかになる。この事件を追う刑事がファン・ジョンミン演じるソ・ドチョルだ。2015年にヒットした『ベテラン』の第2弾で、ソ・ドチョルはややしぶくベテランらしくなっている。内海さんによれば、「クライマックスはまさに韓国映画ならではの、危機一髪てんこ盛り。存分にお楽しみいただける」とのことです。

草笛光子が演じる「流れ者」の魅力;『アンジーのBARで逢いましょう』の活力と孤独 町にふらりとやってきた老女が、ちょっと洒落た感じのバーを開いたことから、トラブルがつぎつぎと起こる。この女性の正体は何者なのか。また、なぜ人びとは急にもめごとを起こすようになったのだろうか。いまも美しい姿でこの不思議な老女を演じた草笛光子に称賛が集まっている。「アンジーが集った仲間を見渡しながら、ゆっくりグラスを傾けるシーンもいいが、ふと外へ出てロッキングチェアで物思いにふける様子もいい」と内海さんも絶賛しています。

●『内海陽子の映画館』をすべてご覧になれます

https://komodon-z.net/wp-admin/post.php?post=3232&action=edit

●最新の話題作『平場の月』についての考察です。観る前の方も観た後の方もどうぞ!

『平場の月』(2025・土井裕泰監督)

 映画評論家・内海陽子

 気安い雰囲気の焼鳥屋に流れる歌に耳を傾けると、店の大将(塩見三省)がぼそっと「薬師丸ひろ子」と言う。そうだ、薬師丸ひろ子主演の映画『メイン・テーマ』(1984・森田芳光監督)の主題歌だ。「愛ってよくわからないけど 傷つく感じが素敵」というフレーズが心に刺さる歌を、中年の女性がきれいな声でくちずさめば、傍らの男性も満足げだ。店のカウンターで肩を寄せ合う二人は、中学校時代の同級生である。

 青砥健将(堺雅人)は胃の検診のために来た病院の売店で、派遣として働く須藤葉子(井川遥)と再会した。ともに50歳になっており、結婚はしたが、青砥は離婚し、須藤は夫に先立たれた。誰かに聞いてもらいたい愚痴はあるが、誰でもいいというわけではなく、二人は互助会と称して互いの現在を語り合う機会をもうける。そして外食は料金がかさむという理由で、須藤からうちで飲まないかと誘われ、青砥は承知し、二人は節度を保った逢瀬を重ねる。やがて、青砥ではなく、須藤の身体が深刻な状態にあるとわかる。

お互いを「須藤」「青砥」とぶっきらぼうに呼び合う二人は、須藤の病の発覚に後押しされるように、少しずつ互いの心に踏み込む。青砥の脳裏をかすめるのは、中学校時代の須藤の「太さ」で、それは体型のことではなく内面の強さのことであり、それゆえに彼は慎重さを崩せない。須藤は結婚生活が芳しいものではなかったことをあけすけに語り、若い男に貢いだ日々があったことも話す。まったく褒められた人生ではない、ということだが、それを聞かされても、青砥の中の須藤の像には何の影響もない。青砥は須藤が好きだ。

 須藤の職場には、同じく元同級生のウミちゃん(安藤玉恵)がおり、彼女が目ざとく青砥と須藤の仲に気づき、やいのやいのと騒ぎ立てる。それを二人は迷惑に思うが、はたで見ているわたしには、ウミちゃんの“スピーカー”ぶりが温かく好もしく、その尻馬に乗りたい気持ちが強まる。青砥と須藤、当人たちに感情移入するというよりも、二人は大事な友人で、その友人の大事な話を少しももらすことなく聴きたい、その懸命な姿を見届けたいという気持ちになるからだ。緊迫感がどんどん募ってくる。

 かつて須藤が心を奪われた若い男(成田凌)が彼女のアパートを訪ねて来る。いかにも甘え上手なレディキラータイプだ。2度目に彼を見たとき、青砥は声を掛けられる。彼は須藤に渡してくれと青砥に封筒を差し出す。その中にはしわくちゃの札が数枚入っているように見える。青砥は「彼女に嫌われないほうがいい」と言ってそれを彼に返す。そこには嫉妬心というよりも怒りがある。この若造には須藤のことが何もわかっていないという怒りだ。わたしは青砥という男のことが少しわかり、須藤は幸せだなと思う。

青砥と須藤が結ばれるシーンはごく短いけれど非常に印象深い。中学校時代に一度したように、青砥は須藤の頬に自分の頬をそっと寄せる。ためらったすえに青砥を受け入れる須藤が「恥ずかしい」と言い、それを受けて青砥が「俺だって恥ずかしいよ」と言う。観ているわたしはくすっと笑うが、むろんそれは祝福のつもりだ。50年生きて来たからこその恥じらい。なんという真実味、なんという清らかさだろう。

 しかし二人の思いはどうしてもすれ違っていく。青砥には男としての意気地と須藤への思いやりがある。須藤は自分の過去の体験への悔いをどうしても消せない。重い病にかかったがゆえにその悔いは濃くなり、青砥に気兼ねなく甘えることを許さない。青砥のいささか性急なプロポーズは彼女の心を硬化させ、二人はいったん気まずい別れを迎える。むろん、決定的な別れではなく希望がある。それは青砥がカレンダーに付けた印に明らかだ。闘病が須藤を頑なにしているだけだ、彼女の気持ちの変化を落ち着いて待とう。青砥は我慢する。

“そのとき”は突然やって来た。呆然とする青砥に、姉を見守って来た須藤の妹(中村ゆり)が、青砥に大事な知らせをしなかったことを謝る。そして姉の真意を伝える。「合わせる顔がないんだよ」。

『メイン・テーマ』の心に刺さるフレーズはこう続く。「笑っちゃう 涙の止め方も知らない 20年も生きて来たのにね」。50年も生きて来たなら、なおさら涙の止め方はわからない。笑っちゃう切なさだけがそこに残る。「愛ってよくわからないけど」、青砥は須藤の気持ちがわかっている、須藤も同じだ。互いに、それが愛だということもわかっている。二人に敬意を表してもらい泣きは我慢すべきだろうが、なかなか難しい。

◎2025年11月14日より公開中

\ 最新情報をチェック /

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください